23 闇
自宅から約五分のところに建つビルの屋上にヘリポートがあるとは今日はじめて知ったが、そのビルの屋上から軍事借用されたと思われる四人乗りの小型民間ヘリコプターが利用できたおかげで、ぼくたちは二十分余りでアメリカ軍厚木基地に到着する。ヘリコプターの能力的にはもっとずっと速く到着できたはずだと思えたが、日本の空にもいろいろと規制があるのだろうと現時点ではどうでも良いことをぼくは考えている。それに利用を強要されたのがひとり乗りのヘリコプターGEN-H4だったらまったく堪らなかったなどと上の空の心でぼくはどうでも良いことを考えている。だから、ぼくはきっと緊張しているに違いない。緊張してまた役立たずになっているに違いない。
「上原先輩、少しは落ち着いたらどうなんです」
そんなぼくの緊張を敏感に感じて山下理緒菜がぼくに言う。いまにも厚木基地の敷地内に着陸せんとするヘリコプターのエンジンが立てる轟音に掻き消されないような大声でそう声をかけて、ぼくを励ます。
「ある意味、まったく弛緩しているよりはマシなのかもしれませんけど……」
「きみは良く平気だね」と感心しながらぼくが彼女に言葉を返すと、「そんなことはないんですが、先輩の姿を見てると、済みませんけど、「ああ、わたしの方がしっかりしなくちゃ駄目なんだわ」って思えたんです。だから隣に上原先輩がいなかったら、わたしだって理不尽にも泣いていたかもしれません」
そう答えて彼女が微笑む。ぼくにはまったくそうは思えなかったが、山下理緒菜の心の中ではきっとそうだったのだろう。だからぼくは彼女の発言を否定も肯定もしなかった。
やがて四人乗りの小型民間ヘリコプターが僅かの衝撃も伴わずに厚木基地内に着陸し、その後こちらの方角に近づいてきた軍用ジープに乗せられて、ぼくと山下理緒菜が基地建物内の駐車場に移動させられる。そこからこれまでに数回通った会議室まで厳つい顔をした二人の兵士の明らかな護衛付きで案内される。気分的には案内というよりは連行で、また厚木基地内にはこれまでにはなかったような緊張感が満ちている。会議室に到着するまでに擦れ違った若干名の兵士たちの顔にも親しみがない。
「やあ、ようこそいっしゃしゃった」
三十名ほどの人間で満杯になるような狭い会議室内に案内されると、この基地のボスであるライス空軍中将が奥の椅子から立ち上がって親しげにぼくたち二人に愛想を振り撒く。ライス空軍中将の皺の寄った顔に浮かんだ古き良き時代のアメリカ人を連想させる笑顔が、ぼくがこの基地に着くまで感じていた緊張を一時的に緩和するが、それも長くは持ちそうにない。ふとぼくは、ぼく自身の中に別の存在の匂いを嗅ぐ。
「前もって連絡もなく急に呼び立ててしまって済まなかったな」と空軍中将がぼくたちに詫びる。
会議室の中は数多くの人間でびっしりと埋まっている。なので、何故ここよりもっと大きな会議室を使わないのだろうと、ぼくはまたしても上の空で考えている。ここより大きな会議室は他の会議で使われているのだろうか? あるいはこの会議はもしかしたら完全に外部とはシャットアウトされた状態で行われる国家機密の会議なのだろうかと考えてしまう。
「まあ、座りたまえ」とライス空軍中将に促されて、ぼくと山下理緒菜が大人しく席に着く。そして改めて見まわした会議室を埋める顔の中に村上卓の顔を発見し、驚いてしまう。
「村上編集長?」
ぼくは思わずそう言葉を漏らすが、村上卓は何も言わない。こちらの存在には間違いなく気がついているはずなのに何も言わずに、ぼくたちの方を見さえもしない。
「よろしい。ではメンバーも揃ったことだし、早速対UGM作戦会議を開始する」
UGMとは未確認ゼリー状モンスターのことで、最初に開催された作戦会議からいまに至るも適当な名称が思い付けずに、怪物は未だにその仮の名称で呼ばれているらしい。いずれ怪物自身がその名で呼ばれていると知ったら、どういう反応を見せるのだろうか? と、ぼくはまた上の空で別のことを考えている。
「さっそくだが、本日約一時間前にミスター・上原とミス・山下はUGMと遭遇された。それに間違いありませんね」
いきなりそう切り出されてぼくは虚を衝かれた思いがした。
「ええ、確かに間違いありません。だが良くそれを……」
「申し訳ないがミスター・上原、先にこちらに質問をさせてくれませんかな。きみの質問への回答は必ず後で行うので……」
なるほど、それで基地内を緊張感が覆っていたのだとぼくは悟る。本日の作戦会議はぼくと山下理緒菜に対する尋問会議だったのかと納得する。そう納得してぼくは、ぼくの傍らに座っている山下理緒菜に顔を向ける。すると彼女もそれに気がついたような表情を浮かべる。なので、ぼくはライス中将にこう答える。
「わかりました。質問を続けてください」
「ミスター・上原、ご協力を感謝します。……さて、本日あなた方が接近遭遇した怪物は以前に二度あなた方が遭遇された怪物と同じものでしたか?」
「ぼくの印象では同じもののようでした」
「ミス・山下は同じ質問にどう返答されますか?」
「わたしも上原と同じ答えです」
「よろしい。では次に尋ねるが、きみたちが本日怪物と接近遭遇したのは――おお、何と言えば良いか――この世界とは異なった世界でしたか?」
「ぼくたちがその中に入れたのですから完全な異界ではなかったのでしょうが、その質問に対する答えはイエスです。簡潔にその印象を述べれば、赤くて濃厚な闇でした」
「ミス・山下も同じ意見ですか?」
「はい。上原と同じです」
「よろしい。では、その――ああ、ミスター上原の言葉を貰って――異界の中でUGMは我々の知る物理法則を無視した動きを見せましたか?」
「はい、そのような動きを見せました。ですが、怪物がそのような動きを見せるのは何も異界にいるときに限ったことではありません。航空機事故の現場でも同じような動きを見せたことは前にこの場でお話した通りです」
「ミス・山下も同じ意見ですか?」
「はい。同じです」
「さて、これからは推論の話になるが、ミスター上原、きみはUGM自体がその異界を発生させたと考えますか?」
「実際のところはまったくわかりませんが、おそらくそうなのだと考えます」
「では、その意味は?」
「まったくの直感ですが、怪物が自分の論理を僅かなりとも地球周辺領域を取り巻く論理から守るためではないかと推察します。もちろんその推察には証拠も根拠もありません。ただのぼくのファンタジーです」
「ファンタジーかどうかはさておくとして、もしUGMが異界を自分の意思で自由に発生させられるとすると、怪物はその中にいた方が安全なので、止むに止まれぬ必要に駆られぬ限り、異界からこちらの世界へは現れないだろうという推論も成り立つと考えられるが、その点についてはどうですか?」
「ぼくには考えはありません。そうかもしれませんし、そうではないかもしれません」
「わかりました。さて、我々のUGM探査チームによれば、最初のUGMとの接近遭遇以降、UGMが出現したのは航空機事故現場と本日の二回だけと思われるのだが、その二回ともきみたち二人が目撃者であったことについて何か考えはありますか?」
「それについてのぼくなりの考えがないことはありませんが、その前に幾つか教えてください。一体どういった技術を用いて怪物の出現場所を探査したのです。これまでのライス中将のお話を伺っていると、ぼくにはある疑念が生まれないわけにはいきません。それは生体の利用です。理由は不明ですが怪物は機器では捉えられません。怪物を鮮明に捕らえるためには生体を利用しなければなりません。人間やおそらくある程度の知性を持った動物ないし植物を利用しなければなりません。そう考えた上での質問です。答えてください。おそらく生体を利用したであろう怪物の探査装置と、およびぼくたち二人を無謀にも怪物から守ろうとして命を落とした兵士の――おそらく――目に組み込まれた生体映像送信装置について話してください」
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