8 信(承前)

「信じたいモノを信じるのではなく、信じたいモノを信じるしかない? そういった強制のような?」

「ええ、だから常識的にといいますか、コモンセンス=共通感覚的に信じるのが一般的と思われている事柄をあえて否定するのは苦痛なのだろうと彼は説明するわけです。もちろん例外は考えられるでしょう。個人的な頑な思いとかは……」

「話を本筋に……」

「ああ、すみません。ですが、それを裏返しにして考えるとどうなるかということを示したかったのです」

「ああ、つまり逆向きの二項対立だな。それもやはり同じ二項対立でしかないと……」

「仰る通りです。方向が違うだけで、それもやはり二項対立でしかありません。我々の思考はやはりそこから逃れ出ることはできないのです」

「しかし、さらに彼は考えたわけだな。続けて……」

「ファンタジーですよ。御伽噺です。そう彼はいいました。決して信じているわけではないと…… 彼の考えは、抽象化の元となる事象、あるいはそれの置かれた場に、アプリオリに概念展開装置が組み込まれているというものでした。たとえば、〇と一でも、一と他でも、あるいは善と悪でも良いのですが、元々それらは単一の概念であったものが、それ自身か、あるいはそれの置かれた場の作用によって二項に分裂した――二項に分裂せざるを得なかった――と概念構成したわけです。生死のような、論理的優位性的偏移も含めてです。ですから、可能性としては元の単一概念は三以上の複数にでも、分数的にでも、虚数的にでも、分裂することができたはずだというのです。ですが……」

「幸か不幸か、それはこの地では生じなかった、というわけか」

「仰る通りです。」

「だが、それは妄想だろう」

「もちろん証拠がなければ何だって妄想ですよ。けれども妄想としては……」

「筋が通っているわけだな。地域限定ということか?」

「それについては彼にも考えはないようでした。また、その考え方を採るにしても地域の大きさは現時点でまったく不明です。ですが例えば地球上でならばすべての生物は同じ構造のDNAもしくはRNAワールドで考えるならばRNAを持っています。いくら見た目に形が違って見えても、どんなに不思議な器官を備えていても、支配原理は同じです。そういった括りで把握することは可能ではないかと彼は言っていました。そしてそれが地域か近傍時空の性質によって齎されたとすると一本筋は通るだろうと……」

「ファンタジーだな」

「ええ、そうです。彼もそれは認めています」

「だが、少なくとも説明はできる」

「文字については彼はジェンキンズ中尉にこんなふうに説明したそうです。『おそらく文字ではないと思います。確証はありませんが、あれは文字ではないと思います。ですが、人類あるいは地球上の生物に固定された形象の把握や考え方の枠(フレーム)が自分たちに一番見慣れた近しいモノとして、おそらく強制的にあれを文字にしか見えなくしているのでしょう。それを見るぼくたちの側からすれば、まるで目くらましみたいな……』と」

「しかし、それが爆発と何の関係が?」

「人工衛星落下地点でジェンキンズ小隊と日本人民間人にだけ一瞬目撃されたとされるヌメヌメと光った怪物は地球外生命体だというのです! あの事故、あの爆発、あの破壊は、人工衛星の落下によって直接的物理的にこの地に齎されらものではなく、方法は不明ですが人工衛星に貼りついてこの地上に落ちてきた地球外生命体によるものだと言うのです。そしてその地球外生命体は違う文法を持っていたと言うのです。人間とは種類の違う文法を持っていたと言うのです。地球周辺領域のものとは本質的に異なる論理を持っていたと言うのです。そして怪物の持っていた我々のものとは本質的に異なるその論理が地球周辺時空が本来的に持っていたひとつの論理に影響されて変化して、あるいは互いに共存しえずに反発して、物理世界的にはあの爆発を引き起こしたのではなかろうかと言うのです」

「しかし、地球に落下してきたのが仮に地球外生命体だったとして、ジェンキンズ中尉たちが語った怪物にまったく知性は感じられないだろう。そんなものに論理があるのか?」

「いや、おそらくそれは違うと思いますよ。何故かと申しますと、それは先に仮提示された仮定から逆に考えてみればわかるのです。すなわちこの地に落下したときにはその地球外生命体は知的な生命体だった。何故ならば、その地球外生命体が我々のものとは違う思考フレームの概念を持っていたからこそ、あの惨劇が起こってしまったからです。知的生命体に内包されていたと思われる我々のものとは本質的に異なる論理か概念が地球に触れて物理的には破壊を齎し、そして同時にその接触が生命体を怪物に変えてしまったのだと考えられるわけです」

「つまり訳のわからん怪物になったことが元々怪物が知的生命体であったことの証拠だと?」

「証拠はどこにもありませんよ。日本人のウエハラが述べた単なる仮説に過ぎません。けれども、そのファンタジーは……」

「もしかしたら実現化してしまったかもしれないというわけだな」

 そこで一旦辺りが騒がしくなる。

「ところで怪物の論理が我々のものと違うとして、それを根拠として怪物探査装置を作ることは可能かね?」

「即答はできませんが、考えてみましょう」

「それならば、もしかするとあれがヒントになるかもしれませんな?」

「あれとは?」

「ヘリコプター内部でウエハラが撮ったモニター画像の写真です」

「だが、あれには特に変わったものは写されていなかっただろう。ついでに写り込んだモニターのフレーム同様、ただの山の写真しか…… ジェンキンズ中尉たちの証言によれば、怪物が周辺時空を水の界面のように彼らに感じさせていた間に異常な写真は写されていない」

「何故、そのときには普通の景色しか写らなかったのでしょう。逆にいえば、何故そのときもその後も普通の写真が写ったのでしょうか? ウエハラのカメラには周辺時空が水の界面のように感じられたときと、その後にそれが解消されたときで同じものが捕らえられています。とすると……」

「ヒトの知覚か?」

「あるいはそうかもしれませんし、あるいはまだ我々には考えつけない未知の理由からかもしれません」

「すると怪物が最初の降下分隊を自身の体内に取り込んだことの意味が……」

「本当に摂食なのか?」

「論理が変わってヒトを喰うようになったと……」

「落ち着いてください。怪物が人喰いだとするいかなる証拠も仮説もありません。いまここでわたしが述べたことすべては現時点では単なるファンタジーです。何の証拠も確証もないのです」

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