6 字(承前)

「マヤ文字でしょうか?」とアメリカ軍兵士の誰かが言う。

「漢字でしょうか?」とアメリカ軍兵士の別の誰かが言う。

「ラテン文字でしょうか?」とアメリカ軍兵士のそれとは別の誰かが言う。

「キリル文字でしょうか?」とアメリカ軍兵士のまたそれとは別の誰かが言う。

「なるほどな。アラビア文字、デーヴァナーガリー、ハングル、そういわれてみれば何にだって見えるな」とジェンキンズ中尉が部下たちの思いを拾い上げてそうまとめる。「別の区分けで行けば、アブジャド、アブギダ、アルファベット、フィーチュラルスクリプト、音節文字、表語文字というわけか……何か意見は?」

「おそらく文字ではないと思います」と、すかさずぼくが応えている。「確証はありませんが、あれは文字ではないと思います。ですが、人類あるいは地球上の生物に固定された形象の把握や考え方の枠(フレーム)が自分たちに一番見慣れた近しいモノとして、おそらく強制的にあれを文字にしか見えなくしているのでしょう」

 ぼくの目に映った何かを、ぼくはそんなふうに把握している。そんなふうに仮定している。そんなふうに口にしている

「それを見るぼくたちの側からすれば、まるで目くらましみたいな……」

 だがそれ以上はわからない。それ以上は何も考えが浮かばない。それ以上付け加える言葉をぼくは持たない。けれどもぼくはそう確信する。ぼくはそう強く確信する。その解釈はぼくの直感だ。根拠のないぼくの直感だ。だがそれ以外の直感をぼくは得られなかったし、また得られるとも思えない。

「何故だろうな? おれにはミスター・上原の発言が的を射ているように聞こえるよ。真実を射抜いているように……」

 ジェンキンズ中尉がそう発言すると、その場に居たアメリカ軍兵士たちと山下理緒菜が怪訝な表情を浮かべながらもジェンキンズ中尉の発言内容に同意する。

「確かにそんな気がするな」

 アメリカ軍兵士の誰かが言って急に息を飲む。

「小隊長、あれは?」

「うっ……」

 そこにいたのは怪物だ。人工衛星の落下地点に居たのは怪物だ。ヌメヌメと身体を身震いさせている怪物だ。鮮やかな内臓の赤色をテラテラと揺らめかせている怪物だ。その表皮内部に捕らわれた兵士たちの姿が見える。その表皮内部に囚われたアメリカ軍兵士たちの姿が揺らぐ。その表皮内部に揺蕩っているジェンキンズ中尉指揮下の第一分隊十名の兵士たちの姿が透ける。それら捕らわれた兵士たちの姿がそれを見ているぼくたちの心を襲い、えずかせる。それら囚われた兵士たちの姿がそれを把握するぼくたちの脳細胞を掻き混ぜて、吐き気をもよおさせる。そして怪物の姿が突然視界から消える。すると辺りの空気の圧力が不意に低くなって軍用ヘリコプターが地面の方向にぐいと引き摺られる。軍用ヘリコプターの高度が数十メートル低くなる。ぼくや山下理緒菜やジェンキンズ中尉や他のアメリカ軍兵士たちの身体が瞬間、宙に浮かび上がる。宙に浮かび上がって、えずきとはまた別の胸の悪さを経験する。

「マット、対応しろ!」と、すぐさまジェンキンズ中尉が叫んだが、そのときにはもう軍用ヘリコプターは姿勢制御を取り戻している。「もう一回、揺れがきそうな気がする」とジェンキンズ中尉が続けて叫ぶ。「マット、退避行動をとれ!」

「了解、小隊長!」

 そういって、軍用ヘリコプター操縦士は最高速度でヘリコプターを人工衛星落下地点から遠ざける。五秒と経たないうちに落下地点で大爆発が起こる。大爆発で生じた空気の圧力で軍用ヘリコプターがまたグラリと揺れる。だが操縦士はもう慣れている。すぐさま安全圏へと飛び去ってゆく。

 後に報道されたところではその爆発で宮ケ瀬湖と丹沢山頂と権現山頂を結ぶ三角領域内部の半径十数キロメートルが吹き飛んだという。その影響で宮ケ瀬ダムが一部欠損し、大量の水が下流の中津川下流に流れ込んだという。幸いダム全壊には至らなかったためそれ以上の被害は避けられ、ダム下流の人工密集地帯である厚木市などへの影響はなかったが、それ以降、現場における一般人の取材調査が遣り難くなったのは事実だ。警察と消防と自衛隊とアメリカ軍による人工衛星落下地点近傍の監視が厳しく行われたためだ。だが、その理由は報道されない。

 その後、ジェンキンズ中尉率いる人工衛星回収小隊は落下地点上空からの映像撮影、爆発が起こった落下地点の実地調査等を応援に駆けつけた別のアメリカ軍小隊と共同で行うことになる。やがて最初に人工衛星落下地点の調査に向かった第一分隊の遺骨を発見することになる。現場に残されていたのは分隊兵士の骨と歯だけで、残りの部分は何ものかによってきれいに舐め取られたかのように近傍の何処にも見当らない。近傍の何処からも発見されない。その理由はわからない。爆発の原因もわからない。何が爆発したのかもわからない。爆発が引き起こされるような何かが現場近くにあったとは思われない。もっとも爆発の定義は気体の急激な熱膨張なので理由はともかく人工衛星落下地点近傍の大気があのとき急激に膨張したのは事実だろう。だが、果たしてそんなことが物理的に可能だったのかどうか? そして怪物についてはその存在自体がまったく謎だ。どうして現れ、どうして消えたのかがわからない。現象的には人工衛星フレアKH‐12Fの落下とともにこの地上に降りてきたようには捉えられる。人工衛星フレアKH‐12Fの落下が引き金となって何物かがこの地上に降りてきたことは理解できる。だが、それが何かがわからない。それが何故かがわからない。この世の中にはわからないことが多過ぎる。体験しなければ決して信じては貰えないような出来事がアメリカ軍のミッションに同行していた日本国の民間人に起こってしまう。だからぼくと山下理緒菜は簡単にはアメリカ軍から解放されない。

「ミスター・上原とミス・山下には誠に申し訳ないが……」と一連の現場検証を終えた後でジェンキンズ中尉がぼくたちに向かって言う。「簡単にあなた方を解放することができなくなりました」

 ジェンキンズ中尉に応えて、ぼくは言う。「異常事態なので理解はできますが、安否は関係者に伝えてください。一蓮托生というわけではありませんが、どうやらぼくたちは異常事態の最初の目撃者になってしまったようですから…… 協力は惜しみませんよ」

「ありがとう。いずれ何かの機会に借りは返します。あなたがたの安否はすぐに村上卓に伝えておきます」

「ええ、そうお願いします。しかし貸し借りは何処にもありませんよ。この目撃に関しては…… けれども、できるならば山下くんだけは先に帰してやりたいのですが……」

 ぼくがジェンキンズ中尉にそう願い出るとジェンキンズ中尉が答えを返す前にぼくの脇腹が小突かれる。山下理緒菜によって、ぼくの脇腹を肘で突付かれる。

「わたしのことだったらご心配には及びません。女性だからって差別しないでください」

 そう言葉を紡ぐ山下理緒菜に、ぼくとジェンキンズ中尉双方がお互いを顔を見合わせてはっとする。それからジェンキンズ中尉が答えている。

「ええ、もちろん女性差別はいたしませんよ。それに状況からいっても、ミス・山下だけを先に解放するわけにもいきません」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る