5 鳴

 最初に聞こえてきたのはアメリカ軍兵士の悲鳴だ。最初に聞こえてきたのは勇猛果敢なはずのアメリカ軍兵士の悲鳴だ。最初に聞こえてきたのは本来ならば沈着冷静なはずのアメリカ軍兵士の悲鳴だ。それ以外だったとはぼくには思えない。

「MSR1、どうした? 何があった? 報告せよ、MSR1」

 ジェンキンズ中尉が宮ケ瀬湖近傍落下衛星回収第一分隊に向かって軍用無線機で呼びかけている。返事はない。モニター画像は兵士の悲鳴と同時に途切れて砂の嵐が舞っている。軍用ヘリコプター内部に緊張が走る。咽がカラカラになって、えずきの感覚が戻ってくる。

「MSR1、どうした? いったい何があった? 報告せよ、MSR1」

 ジェンキンズ中尉が呼びかけ続ける。ジェンキンズ中尉が執拗に呼びかけ続ける。ただただ執拗に呼びかけ続ける。だが応答はない。

「くそっ、いったい何が起こったんだ!」

 それから身振りで第二分隊の部下に命令を下す。さっきまでぼくと山下理緒菜が真下を覗いていた軍用ヘリコプターの腹部に行けという命令を下す。それを受けて複数の兵士たちがヘリコプターの腹部に素早く向かう。素早く腹部に向かって下を覗き込む。数十メートル下を覗き込む。

「どうだ? 何か見えないか?」というジェンキンズ中尉の問いかけに、「よくわかりません」と兵士のひとりが答えている。

「よくわからないとはどういうことだ?」

「視界がぼやけています」

「なんだとぉ……」

「まるで水面を覗いているような感覚です。木々の形がぼやけています。山の地形がぼやけています。落下推定地点がぼやけています。第一分隊のオニールたちの姿は見えません。オニールたちの姿は確認できません。しかし、ああ、遠くの視界は良好です。落下推定地点近傍五十メートルほどだけがぼやけている模様です」

「わかった。おれも自分の目で確認する。パターソン、おれの代わりにMSR1への呼びかけを続けてくれ!」

「了解、小隊長!」

 ジェンキンズ中尉の命令に軍用へリコプターの予備操縦席から声が返る。すかさずジェンキンズ中尉がモニター前から立ち上がる。

「ああ、それからクラウス」

 ついで急に思いついたようにジェンキンズ中尉が別の兵士に呼びかける。

「MSR1各隊員のGPS位置座標を確認してくれ!」

「了解、小隊長!」

 そのとき不意に襲った疾風に煽られて軍用ヘリコプターがグラリと揺れる。堪らずジェンキンズ中尉が足を滑らす。だが転びはしない。直ちに姿勢を取り戻す。直ちにバランスを取り戻す。突然モニター画面が甦る。山の景色が映っている。木々の景色が映っている。だがその視点は何処か可笑しい。可笑しさの原因がぼくにはわからない。可笑しさの原因がまったくぼくにはわからない。だがぼくの直感はぼくにそれが可笑しいと告げている。そのぼくの直感を受けて、ぼくの理性はそれを可笑しいと感じている。モニター画像を一瞥したジェンキンズ中尉も首を捻る。ぼくの隣で山下理緒菜も首を捻る。やはりモニター画像は何処か可笑しいのだ。だがその特定がぼくにはできない。その特定が誰にもはできない。少なくとも軍用ヘリコプターに残った十数名の人間たちにはそれができない。

「小隊長、MSR1各隊員のGPS位置情報が異常です。確認位置では一部は山の中に減り込んでいて、他の一部は空中に浮かんでいることになります」

「クソッ、謎だらけだな!」と叫びながらジェンキンズ中尉がヘリコプターの腹部に向かう。「了解した。計測は続行してくれ!」

「了解、小隊長!」

 それからジェンキンズ中尉がボソリと呟く。

「応答がある限りは無事である可能性もあるからな……」首を伸ばして下を覗き込む。「なるほど確かに水面だ。おい、チャールズ、写真と映像を頼む。何が起こっているのかさっぱりわからんが、厭な予感がする。厭な臭いがぷんぷんする。積んできているありとあらゆる方法で現場を記録してくれ。銀塩写真、映画用フィルム、電子媒体、光媒体、それから赤外線、エックス線もあれば使ってくれ! 他にもあればどんどん使え!」

「了解、小隊長!」

 チャールズと呼ばれた若い兵士がジェンキンズ中尉の命令に応じて行動を起こす。どうやら彼は映像の専門家らしい。他の二名の兵士に指示してジェンキンズ中尉に言われたことを実行に移す。

「あの、非常事態ですから、わたしたちも写真を撮っても良いですか?」

 すかさず山下理緒菜がジェンキンズ中尉に問いかける。一秒悩んでジェンキンズ中尉が言葉を返す。

「許可しよう。ただしカメラ類は撮影後、没収する。その解析はこちらで行う。それでも良いなら撮影を許可しよう。それ以外では許可できない。ヘリに乗る前に撮った映像は後でデータとして返す。それでいいか?」

 ジェンキンズ大尉の判断に山下理緒菜が思わずぼくの顔を覗き込む。ぼくはすぐさま応えている。

「山下さんにもわかるだろう。いま起こっているのは、おそらくこれまで誰も経験したことがない出来事だ。会社の体裁とかは言っていられない。協力しよう!」

「わかりました」

 そして二人してヘリコプター腹部まで移動する。安全鎖をかちゃりと嵌めて、それぞれの撮影機器で現場を写す。それから急に思いついて、ぼくはモニター画面のところに戻る。モニター画面のところに戻ってその画像をいまどき仕様の一眼レフカメラで写真に撮る。モニター画面にはさっきと同様の光景が映っている。ぼくのモニター撮影行為に、装備の撮影器材を整備していたアメリカ軍兵士が怪訝な表情を浮かべては消す。もちろんぼくには何の確証もない。もちろんぼくには何の考えもない。確証などクソ喰らえだ。考えなどカラスの餌にでもしてしまえ! さらにぼくが数葉の写真を撮っているとモニター画面がふっと揺れる。それから急に地面近くのアングルに変わる。その画像には違和感がない。地面に落ちたアメリカ軍兵士のヘルメットからの映像だということが何の疑問もなく了解される。ヒトの論理で了解される。

「元に戻ったな」

 軍用ヘリコプターの腹部からジェンキンズ中尉の声が聞こえる。軍用ヘリコプターのローターの轟音の周波数振動の振幅に紛れて瞬間切れ切れの言葉がぼくの耳に届く。それでぼくはモニター画像の変化と時を同じくして実際の景色の方の見え方も正常に戻ったらしいと判断する。

「どうされますか? 第二分隊を送り出しますか?」

 操縦席の近くまで戻ってきたジェンキンズ中尉に小隊のブレーンらしい兵士が問いかける。

「いや。一旦戻って作戦を練る。マット。ヘリを宮ケ瀬ダムまで戻してくれ!」

「了解、小隊長!」

 マットと呼ばれた軍用ヘリコプターの操縦士が答えを返し、ヘリコプターがすぐさま旋回をはじめる。

「それからパターソン、MSR1への呼びかけは続行だ!」

「了解、小隊長!」

「それからクラウス、GPS応答はどうなっている?」

「前回と変わりませんが、両方とも多少は地面に近づいたようです」

「わかった。情報確認を続けてくれ!」

「了解、小隊長!」

「ですが、オニールたちの姿は見えませんね」

 軍用ヘリコプターの閉じゆく腹部近傍でそこから下を覗き込んでいた兵士のひとりがジェンキンズ中尉にそう告げる。

「そうか……」

 ジェンキンズ中尉はそう呟くとその場で振り返って軍用ヘリコプターの閉じゆく腹部を睨みつける。ジェンキンズ中尉に睨みつけられながらキュリキュリという音を立てて軍用ヘリコプター腹部の扉が閉まって行く。同時に完全旋回してヘリコプターが宮ケ瀬ダムに戻りはじめる。その十数秒後、人工衛星の落下地点で爆発が起こる。その爆風に煽られて軍用ヘリコプターがグラリと揺れる。その振動でその場に立っていたものたち全員が機内で転ぶ。中には負傷したものもいたようだ。肘を摩って表情を歪めている。

「まったく何だっていうんだ!」とジェンキンズ中尉が悪態を吐く。「命令をころころ変えて済まんが、高度を上げて落下地点を望める位置にヘリを移動してくれないか。真上はダメだ! そして中心点から五百メートル以内にも近づくな!」

「了解、小隊長!」

 軍用ヘリコプターが高度を上げる。やがて軍用ヘリコプターに乗っていた全員が文字を見る。

「何だ、あれは?」

 ジェンキンズ中尉が口をあんぐりと開けて叫んでいる。その場の全員の背骨に戦慄が走る。

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