第266話 真の勝者

   ▽第二百六十一話 真の勝者

 魔教教祖のオウジン・アストラナハトは満身創痍で歩いていた。全身はズタボロであり、足を引きずって歩いている。

 逃走経路に相応しい渓谷だ。近くでは清廉なるせせらぎ。

 神器の杖を本当に杖として使って、どうにか歩いていた。


 その後ろでは瓶底眼鏡の少女が付き従っている。

 その手には扇形の神器――【世界女神の譲渡ザ・ワールド・オブ・ヒュミリティー】が握り締められていた。


 瓶底眼鏡が光で反射する。


「教祖、勝ったは良いだが……この神器はどうするべ?」

「あてはある。計画の保険にはなるだろうさ」

「保険だべか? 未来予知ができるのに?」

「俺は魔王、ヘレン、ゴースの未来だけは見えねえ。魂の質が他と違いすぎるからな……ゆえに計画をずらされちまうかもしれねえ。譲渡があれば……最悪は防げる」


 すでに戦場からは数キロも離れている。

 ジークハルトならば追いつける距離であるが、今頃はレジナルドが蘇生魔法を使った頃だろう。動けなくなった王子を置いてジークハルトが追いかけてくるとは思えない。


 オウジンの固有スキルも、その思考を証明してくれている。


 勝ち逃げできた。

 格上しかいないイカれた戦場を生き抜いた。その事実にホッと胸を撫で下ろす。飛沫いた水が頬を濡らす。


 まだ死ぬわけにはいかない。

 世界のために。死んでいった多くの同胞のために。

 守らねばならぬ。導かねばならぬ。このままでは世界は無為に終焉するだけ……最悪の未来を書き換えねばならない。


「……まったく、最後の最後以外で実働するつもりはなかったというのにな」


 そう溜息を零すように愚痴をこぼしたオウジン。視線までも下に零してみたところ、ふと違和感に気づいた。

 自身の足元。その影の形が不自然だ。

 反射的に空を見上げれば、そこにはマントを風に靡かせた青年が腕を組んでいた。


 上空を飛んでいるのは――オウジンの天敵。

 第一フィールド所属。

 王立アルビュート戦闘学院・教員。

 そして筆頭魔術師と呼ばれる最強の純魔術師――ゴース・ロシューが不敵に微笑んでいた。


「よお、オウジン。直接会うのは初めてだな? もしかして俺を避けてる? 傷つくぜ!」

「ちっ、何故、お前がここにいる」

「呼ばれたんだよ、クルシュー・ズ・ラ・シーにな。ジークハルトの指示らしいがまったくビビるぜ。念の為に試練迷宮をクリアさせられた理由を今頃に知ったよな。固有スキルも結局もらえねえし、挑まされ損だと思っていたが……そうでもなかったよ」


 オウジンの判断は一瞬だった。

 エリザベッタに命じて【世界女神の譲渡ザ・ワールド・オブ・ヒュミリティー】を放棄させた。代替に自身が持つ神器を預ける。


「……ここで節制まで奪われるわけにはいかねえ。逃げろ、エリザベッタ」

「解ったべな」


 駆け出すエリザベッタが突如として、その頭部を爆散させて死亡する。部下の脳髄を浴び、オウジンは苦笑した。


「何をしているのかが解らんな」

「簡単なことだぜ。義務教育レベルの知識で達成できる現象だ」

「……義務教育?」

「さあ、次の授業といこう。日本では棺に顔を突っ込んで死ぬ奴がいる。悲しいことだ、気をつけよう。さて――何故でしょう?」


 ゴースが怪しく笑んだ直後。

 オウジンの意識は闇に飲まれた。


       ▽

 ゴースは飛行を辞め、ゆっくりと地上に降り立った。

 魔法による防御壁は展開したまま、落ちている神器を拾い上げる。その瞬間、彼の脳内にはいくつかのアナウンスが鳴り響いたのだが……


「ああ、ザ・ワールド。俺は要らないぞ、特殊な才能も武器もな。面倒くさいから。力があったらやれることが増えすぎて、やらなくちゃいけなくなるだろ?」


 うっかり神器に適合してしまい、慌ててそれをキャンセルした。

 ザ・ワールドは普通に交渉できてしまう。無論、強引な交渉は無駄に終わるけれど、理論が通じ、なおかつザ・ワールドが「面白そう」と思えば許可してもらえるのだ。


 ゴースは魔教教祖の死体の隣、大きく伸びをする。

 欠伸さえ零して眦に涙を溢れさせた。かなりリラックスしているようだった。


「さて神器を渡しに行くかね」


 オウジンの死体を見やる。

 確実に死んでいる。死んでいるのだけれど……絶対にまだ生きている。魔教教祖がこの程度で死ぬのならば、ゴースたちはここまで苦労はしてこなかった。


 オウジンは敵だ。

 だからこその信頼がある。


「どうせ生きてんだろ、オウジンさんよ。俺は好き嫌いはいけないって子どもたちに教えてきた。施設でも学院でもな。けど、俺はお前ら嫌いだよ。だって健優を殺したんだもん」


 オウジンの死体は応えない。

 死んでいるからだ。だが、オウジンが本当に死んでいるとはまったく思えなかった。死体を風魔法でズタズタに斬り裂き、シュレッダーに入念にかける。


 何度みても人の死体は気持ちが悪い。

 ゴースはネットで教養のひとつとして屠殺を見たことがある。あれはあれで衝撃的だったけれど、人肉の生々しさたるや感覚が異なる。


「まあ、スーパーで肉が売ってたら美味そうだけど、人が肉撒き散らして死んでたらキツいよな。選民意識ってわけでもねえだろうけど。こんな奴らでも同族か」


 ゴースは神器で軽く肩を叩いてから、瓶底眼鏡の少女の死体を見た。

 しかし、すでに少女の死体は腐り果て、手に握っていたはずの杖型神器も消失している。未来予知をしているというゴースは、あらゆる人間の可能性を把握しているのだ。


 ゆえに厄介な固有スキル持ちを何人も陣営に引き入れている。


 現場現場に最適な能力者がいるわけだ。

 ゆえにオウジンは殺せない。彼が死ぬことを受け入れるその瞬間までは。あるいは、天敵たるゴースがトドメを刺すその瞬間まで。


「使命だとか才能だとかしんどいお話だぜ。なあ」


 そう吐き捨ててゴースはフェンルの街へ向かい、とぼとぼと歩き始めたのだった。

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