第76話 邪神降臨
▽第七十六話 邪神降臨
▽動画配信者アシッドメソッド
ネロが何かを呟いた瞬間、世界が切り替わった。
ゲームでしかないはずなのに、禁忌に触れたような、猛烈な忌避感が湧く。
闇精霊の愛らしい、ふよふよした闇の姿が――掻き消えた。かと思えば、ネロがいた場所に巨大な巨大な、見上げてしまうほどの暗幕が出現したのだ。
強烈な嫌な予感。
俺は戦闘には参加しない。
契約NPCさえいない。戦う立場にいないから、負けることも、失うことだってないのだ。ただ精霊として世界に漂い、見たいものを、流したいものを電波に流すだけ。
だというのに――震えが止まらない。
暗幕がゆっくり開いていく。
その先にいる存在が、しょせんはデータの存在でしかないはずなのに!
怖くてしょうがない。
悍ましくて堪らない……
まるで本物の――邪神でも出てきそうで。
「ああ」
というこの場になかった新たな声が聞こえた。
幕が
と同時、幕の向こうから霧状の夜が溢れ出してくる。その夜を肩で切るように、ソレが姿を現していく。
ソレを目撃した瞬間、俺は……自然と呟いていた。
「
そこに立っていたのは、君臨していたのは。
日本人ならば、否、最低限の教養がある者ならば誰でも知っている人物。
エルフに匹敵するような美貌の青年。
黄金の美しい頭髪を長く伸ばし、完全に均衡した愁いを帯びる顔……男である俺でさえ色気を感じるような、非現実じみた――実在する人物。
いわく「殺された芸術家」
いわく「世界の最高傑作」
いわく「狂人」
芸術の分野で最高の才能を持ち、ひとたび作品を生み出せば、それが億で取引される化け物だ。そして、得た金をすべて使い、新たな作品を生み出す……イカレ野郎。
何よりも。
その才能を捨て、くだらない感情で社会の歯車にされた――憐れな男。
テレビで観るような大物……正真正銘の天音ロキがそこには居た。
「全部、理解できた」思わず口にする。
この《スゴ》にはリアルチートと呼ばれる化け物たちがいる。ネロもその内の一人とされていて、とくに【クリエイト・ダーク】を
世界最高峰の造形術がなければ、扱えないほどの欠陥スキル。
掲示板ではよく言われていた。
『あんなスキル、ネロか天音ロキくらいしか自由自在に使えない』――と。
出現した天音ロキに、身体の震えが止まらない。それは有名人を目の当たりにした畏怖ではない。
かつてイベントレイドに挑んだ者たちが感じたという――存在の次元の違い。
それを心の底から理解させられたのだ。
動けない俺を余所に、天音ロキが軽く肩を揺らす。その動きはありふれているが、彼の動作はひとつひとつが絵になるくらい洗練されている。
瞬きの度、長い睫が揺れた。
「なるほど。現実の身体よりもよく動きますね。これ、初見でちゃんと動かせる人っているんですか? 筋肉の描写を知っている私でも、ちょっとかかりました」
ひょい、と天音ロキが――ネロが大鎌を拾い上げた。
まだ動けないスタークに向け、ネロが唇を動かす。
「【クリエイト・ダーク】」
闇が瞬間で複雑すぎる造形の家を建てる。
その家に閉じ込められたスタークは、焦燥しながら脱出を試みているようだ。しかし、残酷な現実は止まってはくれない。
「5」
ネロが数字を呟き、大鎌を肩に乗せて歩き始めた。
「やれ!」山賊が叫ぶ。
「あいつは一人だ! こっちは武器スキル50越えてるんだぞ!」
「【顕現】した精霊の近接戦闘なんて素人と変わらねえ」
「殺せっ! 早くっ! 殺せえええ!」
ようやく動き出した山賊たち。全員がそこそこに技術を持っている。掲示板の情報を信頼するならば、ネロは初めて【顕現】を使うはずだ。
しかもネロの【闇魔法】は妨害系ばかり。
奴は【顕現】しても大した魔法は使えないし、近接戦闘なんてできるわけが――、
「アトリの動きはよく観察しましたからね。スキルなどなくても」
あっさり。
武器スキルを鍛え、現実の剣豪にでも匹敵するような山賊たちの猛攻を。
ネロは易々と叩き伏せていく。
一斉に飛び掛かった山賊たちが、呆気なく惨殺されていた。気づけば死体ができている。
血を浴びて尚、天音ロキは怖いくらいに美しい。
アトリの舞うような大鎌術ではない。
ネロのソレはもっと残酷だ。筋肉の動きを完全に理解し、支配し、最短の動作で大鎌を叩き付けていく。
敵対者は、まるで自分から吸い込まれるように、ネロが振るう大鎌で両断される。
「6」
すでに山賊の残りは少ない。
応援に駆けつけた山賊たちも、ネロは大鎌で雑に処理していく。ただ振っているだけにしか見えないのに、ネロの大鎌は容易く命を奪う。
アトリの大鎌術が「死を振りまく」ようだとしたら、彼の大鎌術は「死を叩き付ける――宣告する」ような技だった。
死神幼女の飼い主は――死神そのものである。
「7」
終わった。
悠然と歩くネロを、誰も止めることができなかった。
いつの間にか禍々しい闇を纏う美丈夫が、柔らかな流し目を向けてきた。ぞくり、と全身の神経を脅迫されたような。
俺は撮影することも忘れ、ただ蹲って地面を見つめる。
しかし、すぐにネロを見てしまう。目を離すことさえ……危険な気がして。
アレは……関わってはいけない。
かつてレイドボス戦で怯えて動けなかったという人間たちの気持ちが、初めて理解できた。
▽闇精霊・ミリム
バカみたいな耐久度の壁でした。
普通の【決戦顕現】などよりも、遙かに高出力の【顕現】スキルでしょう。おそらく、あれこそがネロの切り札――固有スキル。
「ズルいです……」
ネロの正体は、おそらく本物の天音ロキです。
あいつは何でも持っています。才能を、財力を、カリスマを、美貌を、およそ人々が欲するモノをすべて手に入れて――それを友だちのためなんて抜かし、すべて捨てたのだ。
そんな奴に。
捨てるモノがあるような奴に、ゲームでまで負けて堪るか。
「スターク! ぜってえにぶっ殺すぞ! あのガキへの拘束は終わりだ。次はあのいけすかねえ――スターク?」
ネロの【クリエイト・ダーク】を破壊して。
いよいよ攻め時だ、というその瞬間。
すでに勝敗は決していました。
「う、ぐう……」
呻き声を上げるのは、地面に転がされているスタークです。彼の首にはネロの足が乗せられており、今にも踏みつぶされそうでした。
悍ましいほどに綺麗な瞳が、スタークを虫でもみるように見下しています。
「アトリに掛けた固有スキルは、貴方の死後に解除されますか?」
「う、ぐ……嫌だ。死にたくない。どうにかどうにかしろ、してくれ、死神っ!」
スタークは弱いです。
現実の、私のように。
胸がカッと熱くなります。どうして世界はこんなにも理不尽なのだろう。持っている者は、次から次に新しい物を得ていく。
何も持たぬ者は、何かを探すのに精一杯で――なにひとつ手に入らない。
そのような人生の中、私はようやく見つけたのです。
たったひとつ。
システムによって与えられた、私の、私とスタークだけの力が。世界に通用する力が。
私のトラウマを思い出させる固有スキル。
スタークの思っていることを見せる固有スキル。
どちらも単独では意味のない、役に立たない……だからこそハマったスキル。
「やめてください……もう誰にも酷いこと、しません」
呆然と私は呟きます。
しかし、私の制止なんて――モブキャラの言葉なんて主役には通じない。彼は冷酷なまでに美しく、私たちのような愚物に告げます。
「どちらにせよ、殺します。そちらのお嬢さん……ロスト、残念でしたね」
「待て、天音ロキっ!」
「……萎えますね。リアルネームを呼ばないでください」
「私は貴方を知ってるぞ!」
心底興味なさそうに、天音ロキが頷いた。
「でしょうね」
「知ってるんだ! 知ってるぞ! そいつを、スタークを殺してみろっ! 私はリアルでお前を殺しにいくっ。嘘ではありませんよ! 私の固有スキルはスタークとでないと役に立ちませんからね! 彼が死ねば、また何もない毎日に逆戻りだ! 絶対に殺させない! 殺すからな、リアルでおまえの家に行って殺すからな。失うモノのない人間の恐ろしさを知っているか!」
「どうぞ、お好きに」
スタークの首が踏みつぶされた。
呆気なく。
私は慌てて蘇生薬を使おうとしましたが、それよりも早く、天音ロキに精霊体を掴まれました。いつの間に移動したのかも解りませんでした。
美しい顔が、口付けするような距離で、私を観察しています。
ただ綺麗なだけの、空虚な瞳が私を観察している。
「貴女のプレイスタイルは悪くありません。むしろ、私は嫌いではありませんよ。多くの人々が貴女を馬鹿にするでしょう。ゲーム如きに本気になって、リアルで殺害予告かよ、とね? しかし、それくらい熱中せねば嘘です。リアルを犠牲にしてまで、リアルを持ち出してまで、必死にプレイする姿を――貴女の悪意を肯定しましょう」
ゾクリとした。
怖い。
天音ロキの瞳が……怖い。
私は本気でリアルにて彼を殺すつもりだ。
それを彼は理解している。私が殺しに行くことを理解した上で――私を許容している。理解させられる。こいつもまた失うモノがない男なのだ。
システムの影響もあるのだろう。
天音ロキから放たれる、神のような――悪意を許す邪神のような雰囲気に――寒気が止まらない。
「私は」
天音ロキが、ネロが、言う。
「私は好意が苦手なのです。拒み方が解りません……ですが、貴女の悪意は解りやすい。踏みにじって良い、拒絶して良い、壊して良い、それで良心が痛まない。もっとも明確で簡単で楽ちんな――すてきな人間関係!」
「意味が、解らない……どうして私たちが、こんな目に」
「アトリを泣かせたのです。考えたら解るでしょう? ――その罪は万死に値する」
こほん、と咳払い。
「さて、残りは十七秒しかございません。お仕置きです」
私を握り潰すような握力で持ったまま、彼は撮影者であるアシッドメソッドのところまで向かいます。
地に伏せた彼を左手で掴み、私を右手で掴み、ネロが微笑みます。
「精霊はダメージは受けません。ですが、普通に感覚はありますよね」
言った直後。
私たちは振り回されました。現実ではあり得ない速度で、反応することも許されず、猛烈な速度で振り回され続けます。
三半規管が一瞬で破壊され、盛大に嘔吐しようとして――できません。
地獄のような十六秒を過ごし、私たちは解放されました。しかし、もはや体力は残されておりません。吐きたいのに吐けない。天地が揺れている。前を見ているのに、前が見えない。世界が揺れている。
壊れた、世界。
洞窟の中。ちっぽけな世界。細やかな幸せ。他者を踏みにじれる喜び。
残ったのは暗い洞窟と、血と、肉と、臓物の醜さと。
「それでは」頭上から甘い声が振ってくる。「リアルでお会いしましょう」
意識を失い、私は強制ログアウトさせられました。
この日、私とスタークの《脱落会》は消滅させられたのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます