木山 信介(43歳)
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第1話
木山 信介43歳
ラーメン屋オープン3日目、未だに来客はない。逃げるように退職した手前、サラリーマン時代の同僚を誘える訳もなく、招ける友人もいない俺の店なのだから当然の帰結なのだろう。
その結果、静寂を埋めるようにブーンと低く唸る冷蔵庫の声をBGM代わりに店の外を眺めるのが日課になりつつある。
俺があおぞら銀行大宮支店営業部部長という肩書きを捨ててまでラーメン屋を始めたいと思った理由はあることに気付いちまったからだ。
初めて上司に殴られた日、取引先の社長に水をかけられた日。ありていに言えば「嫌なことがあった日」は決まって同じラーメン屋に行った。
そこのラーメンが特別好きだったわけじゃない。店は小汚いし、大将もぶっきらぼうで笑った顔なんて見たことがない。おまけにラーメンだって可もなく不可もなクオリティだった。
俺が22の時から通い続けてたからもう20年以上通ってたことになる。その時は「何が悲しくてこんな中途半端なラーメン屋通ってんだろ」なんて自分を嘲笑したものだった。
しかしどんなことにも終わりってのは来るもんで、俺のラーメン屋通いは唐突に終わりを告げることになる。
都市計画の一環で大きな商業施設を建てるとか何とかで、駅周辺の建物を取り壊すことになった。そのエリアの中に件のラーメン屋も入ってたんだ。
更地になったラーメン屋の跡地を眺めながら通い続けた20数年を思い出した。
上司にドヤされた日、涙を辛さのせいにしてすすった2年目の冬。35歳の春、妻の浮気が発覚し、なにも手につかなかった俺が3日ぶりにとった食事もここの味噌ラーメンだった。
そんな思い出が走馬灯のように駆け巡る中で、俺はとあることに気がついた。
俺の心は意外と繊細で、嫌なことがあると簡単に穴が空く。そんな時、あのラーメン屋の中途半端が俺を受け入れてくれてる気がして、無意識に「何かあったらまたここに来よう」って心の拠り所にしてたんだ。あのラーメンは腹だけじゃなくて俺の心まで満たしてくれてた。
「俺もそんなそんな仕事をしてみたい。誰かの心の拠り所になりたい。」
そう思うといてもたってもいられず、あれよあれよという間に会社を辞め今日に至るという訳だ。
「最初から上手くいかないとは思っていたがここまでとは思わなかったぁ」そう呟いた直後、店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
慌てて声をかけた、扉の向こうの客を見る。
にこやかな笑みを浮かべる中年の男が1人立っていた。
「やってるかい?」
「はいもちろん」
俺はそう返す。
「いやぁ〜ちょうどラーメンが食いたくてさ」
男は先程よりにこやかに笑って見せた。
なんだ、笑えんじゃねぇか。俺はそう思った。
fin
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