本当の想いと覚悟

 軍議を終え、ファールクランツ侯爵を総大将としたバルディック軍は、遠征に向け大急ぎで準備を開始した。


 軍の編成、武器や防具、それに糧秣りょうまつの確保、兵站へいたんの管理。

 やるべきことは山ほどあり、昼夜を問わず急いでも最低三日を要するらしい。


 その間、僕とリズは学園を休むことにし、ファールクランツ家の屋敷でお世話になっている……んだけど。


「ちょっと、言い過ぎたかなあ……」


 ベッドに寝転がり、天井を眺めてポツリ、と呟く。

 スヴァリエ領への遠征を決めてから既に二日が経ったけど、実はあれから、一度もリズと顔を合わせていない。それも、同じ屋敷にいるにも関わらずだよ……。


 ああ言った手前、僕のほうから話しかけづらいというのもあるし、何より、リズが明らかに僕を避けているようで、使用人達に聞いても彼女のことを一切教えてもらえない。


 それはマーヤも同様で、今は執事長のモルテンと諜報員の任務に就いているからと、なしのつぶてなのだ。


「逢いたい、なあ……」


 などと呟いてみるものの、今回の件に関しては、リズ自身が気づかない限り、僕から折れることなんてできない。

 これから先の未来を考えたら、絶対に。


 僕は寝返りを打ち、悶々としていると。


 ――コン、コン。


「ルドルフ殿下、失礼しますぞ」


 ファールクランツ侯爵が部屋にやって来たので、僕は慌てて起き上がって出迎えた。


「ど、どうなさいましたか?」

「明日の朝には準備も整い、いよいよスヴァリエ領へ向け出立できそうです」

「そうですか」


 うんうん、予定どおり準備が進んで何よりだ。

 だけど、そうか……いよいよ、僕は戦場に赴くんだな。


 この二日間、頭の中で何度もそのことを想像していた。

 人を殺すということへの恐怖と罪悪感、殺されるかもしれないという恐怖と不安、そして……ヴィルヘルムと決着をつけることへの、奇妙な高揚感。


 そんな感情がぐちゃぐちゃになって暴れだしそうになるのを、胸倉を握りしめて必死に抑え込む。


「それに伴い、ルドルフ殿下にこちらを用意しました」


 差し出されたのは、ひと振りの剣。

 ブレードには、本来あるはずのといの代わりに、独特な紋様が施されていた。


「我がファールクランツ家に伝わる、”ネイリング“と銘打たれた剣です。殿下の剣術スタイルにも、ちょうどいいでしょう」

「これを、僕に……」


 僕は、ファールクランツ侯爵から剣を譲り受けると、その重さで思わず落としてしまいそうになる。

 でも……単なる剣の重みだけ、というわけじゃない。


 この剣には、ファールクランツ家の歴史と、僕に託してくれた侯爵の想いが込められているから。


「ありがとうございます……この剣に相応しい男に、必ずなります」

「クク……期待しておりますぞ」


 ファールクランツ侯爵は、そのごつごつした手で僕の頭を撫でてくれた。


 ◇


「えへへ……」


 月明かりにかざし、僕はベンチに腰掛けてネイリングを見つめる。

 ファールクランツの後継者として、正式にこの剣まで受け取った嬉しさで、幼い頃のような笑みがこぼれてしまった。


 クレイモアと呼ばれる種類の長剣なので、僕の身長だと少し大きいんだけど、侯爵の言うように僕の剣術は刺突を中心としたスタイルだから、これくらい長いほうが向いている。


「よし!」


 僕は立ち上がり気合いを入れると、早くこの剣に慣れるために素振りを始めた。


 すると。


「ルディ様」

「リズ……」


 現れたのは、槍を携えたリズだった。

 二日振りに顔を合わせたからだろうか。それとも、月明かりによるものだろうか。


 僕は、彼女の幻想的とさえ思えるほどの美しさに胸が高鳴り、ただ見惚れてしまう。


「ルディ様……どうか、私と一手願えますでしょうか」


 そう言うと、リズは槍を構えた。

 彼女のアクアマリンの瞳には、二日前にはなかった、想いと覚悟をたたえて。


「……分かりました」


 僕も、ネイリングの切っ先をリズへと向ける。

 いつもの訓練での手合わせとは違い、互いに真剣。下手をすれば、大怪我を負ってしまうかもしれない……って、それはないか。


 だって僕もリズも、剣捌き・槍捌きを誤ってしまうほど、弱くはないから。


「では……行きます!」


 宣言と同時に、僕は地面を蹴った。

 ネイリングの刃渡りが長いとはいえ、リーチで槍にかなうはずがない。なら、僕はあの時と……リズに告白した、あの試合の時と同じようにするだけだ。


 だけど。


「あ……」


 リズの槍の穂先が、僕の喉元数センチのところで寸止めされた。

 彼女の想いや覚悟を示すかのように、ぶれることもなく、逸れることもなく。


「僕の負け、ですね」

「ありがとうございました」


 僕の敗北宣言を受け、リズは槍を引いてお辞儀をした。

 その所作といい、本当に彼女は綺麗だ……。


「ルディ様……私の話を、聞いていただけますでしょうか」

「もちろんです。何分でも、何十分でも、何時間でも」

「ふふ……すぐに終わりますよ」


 肩をすくめ、僕がおどけてみせると、リズがクスリ、と笑う。


「二日前、ルディ様のお叱りを受け、私は考えました。どうしてルディ様が、あれほどお怒りになられたのか」

「…………………………」

「最初は分かりませんでした。理不尽にも、ルディ様に対して怒りさえ覚えていました。どうして、私のこの想いをご理解いただけないのか、と」


 そう言うと、リズは僅かに視線を落とす。

 僕はただ、彼女の次の言葉を待った。


「でも……私は、どうしてルディ様をお守りしたいのか、何故そのように誓ったのか、思い返したのです。そうしたら」

「……そうしたら?」

「ふふ、本当に馬鹿だということに気づきました。ルディ様をお守りしたいと思ったのは、あなた様のおそばにいたいから。あなた様と、ずっと一緒にいたいから」


 リズの瞳が、僕を捉えて離さない。

 次の言葉を……想いと覚悟を、告げるために。


「私は、あなた様と共にありたいのです。いつも、いつまでも。なのに、この身に代えてあなた様をお守りしたら、おそばにいられなくなってしまいます」


 そう言うと、リズはちろ、と舌を出して苦笑した。


 僕がリズに求めた、本当の覚悟はまさにこれだ。

 僕は、僕のためにリズに自分を犠牲にしてほしくなかった。そうではなく、いつまでも僕と共にありたいと……絶対に、自分も守り抜くんだという覚悟を待っていたんだ。


「マーヤ、あなたはどうなんですか?」


 リズが振り返り、暗闇に向かって言葉を投げかけると、マーヤが顔を逸らしながら現れた。


「そ、それはもちろん、私も死ぬつもりなどありません。そもそも、私にはルドルフ殿下に生涯ニンジンを食べさせるという、大切な使命があるんですよ?」

「何その嫌がらせでしかない使命感」


 口を尖らせるマーヤに、僕はジト目でマーヤを睨む。


「ルディ様……ですから、どうかあなた様のおそばにいさせてください。私は、絶対にあなた様と、この私を守り抜いてみせます」

「このマーヤ=ブラント、未来永劫お二人にお仕えいたします」


 二人が胸に手を当て、僕の答えを待つ。


 だから。


「こちらこそ、どうかこの僕のそばにいてください。僕は、二人を絶対に守り抜いてみせます。もちろん、この僕自身を守り抜きながら」

「はい!」

「期待していますよ、ルドルフ殿下」


 僕とリズ、そしてマーヤは、輝く月が見守る中、微笑み、誓い合った。

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