アリシア皇妃の闇

「本当に、あの子ったら……」


 フレドリクが出て行った後の扉を見つめ、アリシア皇妃が溜息を吐いた。

 ロビンもそうだけど、この人も気苦労が絶えないなあ。


「いずれにしましても、フレドリク兄上も退席されましたので、今日のところはお開きといたしましょう」

「そうね……って、一つ大事なことを忘れていたわ」

「大事なこと?」


 はて? 今日は手を結ぶための顔合わせだけだと思ったけど、そうじゃないのか?


「ええ。だって、私達はあなたとファールクランツ卿の支援を受けることになるけど、それに対する見返りについて、具体的に決めていないもの。もちろん、フレドリクが次の皇帝になった後の約束は当然だけど、それまでの間だって、私達は共闘関係にあるのだから」


 そう言って、アリシア皇妃が苦笑した。

 どうやら、彼女としては皇帝になるまでの間についても、僕をサポートしてくれるつもりみたいだ。


「私もこう見えて、第一皇妃ですもの。それなりに力はあるのよ?」

「あはは……」


 おどけるアリシア皇妃に、僕は苦笑する。

 いや、本当に、もっと厳しい人だと思っていたんだけどなあ……。


「では、お言葉に甘えて……」


 これからの僕達のことについて、いくつか提案をした。

 まず、ロビンの件については、既にアリシア皇妃が約束してくれたが、もう一度念押しをした。

 三か月後に帝立学園に入学した後も、向こうで絶対に接触してこないように。


 次に、天蝎てんかつ宮以外の皇宮での僕達の立場について便宜を図ってもらうことを提示する。

 天蝎てんかつ宮については、専属秘書のマーヤが怪しい連中は排除してくれているので問題ないが、そこから一歩出てしまえば、僕には敵しかいない。


 でも、皇宮全体を取り仕切るアリシア皇妃であれば、僕達が不利益をこうむるようなことをなくすことができる。

 そうすれば、僕……ひいては、リズベットがつらい思いをすることはないから。


「……最後に、母……ベアトリスについてです」

「ベアトリス?」


 アリシア皇妃の視線が鋭くなる。

 おそらく、僕がベアトリスにも便宜を図るようにとでも言うと思ったのだろうか。


 でも……これから告げるのは、それとは逆のことで。


「このようなことを申し上げるのは情けない限りですが、僕はベアトリスから母として接してもらったことは一度もありません。そのせいか、もう特別な感情を抱くようなこともありません」

「…………………………」

「ですから、この際ベアトリスとは縁を切りたい……そう考えているんです。そのために、アリシア妃殿下のお力を貸してはいただけないでしょうか」


 そう告げた瞬間、僕の中にある前世の記憶を取り戻す前のルドルフの心が、ちくり、と痛む。

 まるで、ベアトリスとの決別を拒むかのように。


 いい加減、諦めろよ僕。

 どうやったって、あの女が僕を見ることなんてないんだから。


「……ルドルフ殿下は、それでいいのね?」

「はい。構いません」


 おずおずと尋ねるアリシア皇妃に、僕は淀みない声で明確に答えた。

 これまで焦がれた想いを、捨て去るかのように。


 それに。


「…………………………」


 僕には、こうやって同じように悲しんでくれて、そっと手を握って必死に慰めようとしてくれる、最愛の女性ひとがいる。

 だからもう、家族からの愛情なんて、期待しなくてもいいんだ。


「そう……分かったわ」


 アリシア皇妃が、切ない表情を見せる。

 どうしてそんな顔をするのかは分からないけど、とにかく、こちらの申し出を受け入れてくれてよかった。


「ありがとうございます。これで僕も安心しました。では、僕達はこれで……」


 そう言って、僕はリズベットの手を取りサロンを出ようとして。


「……ルドルフ殿下。私は、あの女が……ベアトリスが憎い」

「アリシア妃殿下……?」

「第一皇妃となったその日から……いえ、陛下と婚約したその日から、私は全て帝国に捧げてきたわ。それこそ、私の全てを投げうって」


 アリシア皇妃は、ドレスのすそを握りしめる拳を震わせた。

 その表情に、悔しさ、口惜しさをにじませて。


「もちろん、陛下には優秀な後継者を生み出すという責務もあることは承知しているし、“カタリナ”を第二皇妃として迎え入れたことについても、思うところはないもの。でもね」


 ジッと僕を見据えるアリシア皇妃。

 その瞳は、うっすらと涙をたたえていた。


「あの女はこの皇宮に土足で踏み込み、けがしたの。この私が子供と呼んでも等しいくらいに守り続け、愛し続けてきた皇宮を」

「…………………………」

「……だから、縁を切る・・・・ことについては期待していいわ。その上で、あなたが想像する以上に、ベアトリスという女を滅茶苦茶に・・・・・してあげる・・・・・


 そう言うと、アリシア皇妃は仄暗ほのぐらい笑みを浮かべる。


 僕には、アリシア皇妃とベアトリスの間に何があるのか、それは分からない。

 だけど……僕はこの女性ひとを、少し可哀想だと思ってしまった。


「……失礼いたします」


 僕とリズベットは、今度こそサロンを後にした。

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