英雄が僕の婚約者につきまとうんです

「リズベット殿……名残惜しいですが、そろそろ中へ入りましょう」


 冷たい風が吹く訓練場でしばらく抱き合っていた僕達だけど、このままだと僕の大事なリズベットが風邪を引いてしまう。

 なので、彼女の綺麗な顔をのぞき込んで促すと。


「むう……仕方ありません」


 ……今の聞いた?

 |あの『ヴィルヘルム戦記』で“氷の令嬢”とうたわれたリズベットが、頬を膨らませて、『むう』なんて可愛く呟いたんだけど。


 くそう。僕の婚約者、可愛すぎる。


「では、まいりましょう」

「はい」


 互いにそっと離れ、僕は彼女の手を取る。

 気温の低さにすぐに身体が冷えてしまったけど、それでも……僕のこの手だけは、リズベットの温もりに今も包まれている。


 そのおかげで、僕の心はぽかぽかと温かい……んだけど。


「……ルドルフ殿下、次は勝たせていただきますからね?」


 宮殿の中に入った直後、リズベットが口を尖らせながらそんなことを言った。

 やっぱり根に持っていると思ったよ。


 だけど。


「ところで……リズベット殿はどうしてそこまで、強さ・・へのこだわりを持っていらっしゃるのですか?」


 このことについては、前から気になってはいた。

 いくらファールクランツ家が帝国の誇る武門の一族とはいえ、リズベットは令嬢。ここまで強さを求められているわけじゃないのに。


 すると。


「……私は、誓ったのです。あの日・・・、恐怖に怯えて何もできなかった……あなた様を救えなかった弱さを乗り越え、ルドルフ殿下をお守りできるように、強くなろうと」

「あ……」


 そうか……リズベットは、あの日・・・のことがあったから、それで……。


「じゃあ、僕達は同じ・・、ですね」

同じ・・、ですか……?」

「はい。君は、僕を守るために強くなってくださった。僕は、君を守るために強くなりたいのですから」

「あ……ふふ、そうですね」


 リズベットが、嬉しそうにはにかむ。

 結局僕達は、あの日・・・からお互いに好きだったってことだね。


 その事実が、僕の胸を熱くする。


「リズベット殿……僕は君のことを、全力でお守りいたします。ですから、どうか僕のことを、お守りいただけますでしょうか?」

「もちろんです。私も、あなた様のことを全力でお守りいたしますので、どうかこの私を、お守りくださいませ」


 僕達は互いを守ると誓い合い、通路を歩く。


 その途中で。


「あれは……」


 通路の先に見えたのは、ヴィルヘルムの姿だった。

 あー……皇室主催の新年祝賀パーティーなんだから、スヴァリエ公爵家の子息であるヴィルヘルムが出席していても、おかしくはないか。


 とはいえ、会場である黄道宮ではなく、この天蝎てんかつ宮に姿を現している時点で、魂胆が見え見えだよね。


「リズベット殿、どうしますか? なんでしたら、迂回しても……」


 隣で眉根を寄せて睨むリズベットに尋ねる。


「いえ、このまままいりましょう。それに……これは丁度よいかと思います」

「丁度よい、ですか?」

「はい。ルドルフ殿下と私が心から結ばれていることを、あの愚かな男に分からせるには」

「あ、あははー……」


 僅かに口の端を持ち上げた彼女を見て、僕は乾いた笑みを漏らした。

 まあ、あの男はリズベットをだまして自分のものにしようとしたんだから、彼女的にこのままでは気が済まないのも当然ではあるけれど。


 ということで。


「このようなところにいるなんて、もうすぐ成人を迎えるというのに迷子ですか?」

「っ!? リ、リズベット……」

「馴れ馴れしく私の名前を呼ばないでください」


 リズベットの絶対零度の視線と盛大な皮肉に、さすがのヴィルヘルムも狼狽うろたえる。

 婚約者で想い人の僕ですら、隣にいるだけで背筋が凍りそうな気分なんだから、ヴィルヘルムは内心でさぞや恐怖に震えているんだろうなあ。


「さあ、黄道宮はあちらですよ?」

「ま、待ってくれ! せっかく新年祝賀パーティーに来たというのに、君がいなかったから探していたんだよ……この間の、誤解を解きたくて……」

「誤解? それは、あなたルドルフ殿下に対し『リズベットを譲れ』と告げたことですか?」


 リズベットが指摘した瞬間、ヴィルヘルムは僕を睨んだ。

 いやいや、あの時の様子は全て彼女が目撃していたからね? それこそ自業自得というものだよ。


「それは運命の相手である君を、俺が手放したくないからだ。たとえ皇帝陛下が君の想いを無視してルドルフ殿下との婚約を決めようとも、俺のこの想いは変わらない」

「あなたの想いなど知りません。それに、私の想いはあの日・・・からルドルフ殿下だけです」


 ヴィルヘルムが琥珀こはく色の瞳を潤ませて必死に訴えるが、リズベットはけんもほろろに相手にせず、それどころか僕への想いをはっきりと告げる。

 おかげで僕は、口元がどうしても緩んでしまうんだけど。


「……本気なのか? まさか、ルドルフ殿下が私生児であることや、皇宮での扱いを知らないわけではないだろう……?」

「本当に、あなたという男は不快ですね。私がなびかないからといって、あろうことかルドルフ殿下をけなすなど……恥を知りなさい!」

「っ!?」


 とうとう堪忍袋の緒が切れてしまったリズベットが、ヴィルヘルムを恫喝どうかつした。

 ……さすがに、これ以上は見ていられない。


「リズベット殿、もう行きましょう」

「ルドルフ殿下……ですが、この者はあなた様のことを」

「僕のことよりも、こんな男のために君が煩わしい目に遭っていることのほうが、見ていられません。それに……この男がどう思おうとも、君だけは僕のことを想ってくださっているじゃないですか」


 僕はリズベットの手を少し強く握り、ニコリ、と微笑んだ。

 大体、僕の知っている歴史……『ヴィルヘルム戦記』では、彼女を上手く騙せたのかもしれないけど、完全にその正体を見抜かれてしまった今、もう逆転の目はないんだよ。


 だから、素直に諦めたらどうなんだ、ヴィルヘルム。


「もう……そんなお顔をなさるなんて、ずるいですよ?」

「あはは」


 少し口を尖らせた後、リズベットはとろけるような微笑みを浮かべる。


「では、失礼するよ。貴様も、せいぜいパーティーを楽しむといい」

「ごきげんよう。もう二度とお会いすることがないことを祈っております」

「…………………………」


 僕とリズベットは、忌々しげに睨むヴィルヘルムを無視し、今度こそ部屋へと戻った。

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