大事なことを忘れていました

「二九六七……二九六八……」


 月明かりに照らされる訓練場。

 僕は一人、黙々と剣の素振りを行っていた。


 ただしその回数は、ファールクランツ侯爵からの課題である一千回ではなく、三千回も目前となっている。

 もちろん、いきなり今日から三倍にしたから、まるで初めて侯爵と一緒に訓練した半年前のように全身が悲鳴を上げていた。


 でも……僕は、それさえも嬉しかった。

 だって、それだけ僕が強くなれるということだから。


 それだけ、僕はリズベットとマーヤ、そしてファールクランツ侯爵の期待に応えているということなのだから。


「えへへっ」


 僕は思わず、初めてリズベットと出逢った時のように笑ってしまった。

 侯爵のあの大きな手で撫でられた感触を、思い出しながら。


「二九九九……三千!」


 ようやく三千回の素振りが終わり、僕は地面に突っ伏した。

 いやあ……さすがにもう、力が入らないよ……って。


「あ……リズベット殿」

「ルドルフ殿下、お疲れ様でした」


 部屋にいるはずのリズベットが僕のそばに来て、膝枕をして汗をぬぐってくれた。


「こ、ここは地面だし、せっかくの服が汚れてしまいますよ」

「ご心配なく。服は着替えれば済む話ですし、この服も殿下を癒すことができて喜んでいると思います」


 僕は慌て……ることもできないほど疲労がすごいため、弱々しい声で告げるも、リズベットは済ました表情で聞き入れるつもりはないみたいだ。

 こうなると、彼女は絶対に聞き入れてくれないからなあ……。


 そんなことを考えながら、クスリ、と笑ってしまった。


「もう……そうやって笑う殿下には、こうして差し上げます」

「っ!? あはははははは! あ、お願いだからやめて……!?」


 いきなり脇をくすぐられ、僕は悶絶しながらやめるよう懇願する。

 お、お願い……身体がよじれて痛いんです……ぐふう。


「まいりましたか?」

「まいりました! すみませんでした!」

「よろしい」


 ようやくリズベットはくすぐるのをやめ、彼女が満足げに胸を張った。


「ハア……僕はリズベット殿のせいで、余計に疲れましたよ……なので、もう少しこうして休んでもよろしいですか?」

「それは仕方ありませんね」

「あははっ」

「ふふっ」


 僕とリズベットは、お互いに吹き出してしまった。

 はあ……リズベット、可愛いなあ……。


 あの日・・・の女の子とこうして再び出逢えてから、僕の毎日が幸せで満たされていく。

 うん……やっぱり僕は、彼女が……リズベットが、世界中の誰よりも大好きだ…………………………って、そ、そういえば!?


「キャッ!? ど、どうかなさいましたか!?」


 リズベットは、勢いよく身体を起こした僕に驚く。

 でも、それに答える余裕もないほど、僕は狼狽うろたえていた。


 僕は、大変なことに気づいてしまった。

 そう……こんなにも大好きなリズベットに、その想いを伝えていないことに。


「で、殿下……?」


 心配そうに僕の顔をのぞき込むリズベット。

 そんな彼女に、僕は心配ないという思いを込めて微笑みを返しつつ、どうしようかと頭をフル回転させていた。


 ◇


「ふむ……どの程度強くなれば、リズベットに勝利できるか、ですか……」

「ハア……ハア……は、はい。せめて十回に一回は勝てるようになりたいのですが、どうでしょうか……って!?」


 ファールクランツ侯爵の容赦ない一撃を何とかかわしつつ、僕は尋ねた。

 いくら昨日褒めてもらったからって、幼い頃から侯爵の手ほどきを受けてきた彼女にそう簡単に勝てるとは思わないけど、それでも僕は、知りたいんだ。


 この想いとともに、『僕がずっと、君を守る』って、リズベットに伝えるために。


 あははー……もちろん、完勝できるようになるまでには何年もかかる……いや、ひょっとしたら一生勝てないかもしれないけど、それでも、十回に一回なら可能性としてはなくはないかもだし。


「そうですな。十回に一回ともなれば、あと三年は必要かと」

「三年、ですか……」


 その言葉に、僕はがっくりとうなだれる。

 さすがに三年もの間リズベットを待ちぼうけにするなんて、絶対無理。


 やっぱり、ちっぽけな見栄やプライドなんて捨てて、すぐにでも告白したほうが……。


「ですが」

「っ!?」

「今よりもさらに厳しい訓練を重ねれば、三か月でリズベットに百回に一回は勝てるようになるかと」

「あ……」


 百回に一回、かあ……。

 でも、逆に言えば百回戦えばどこかで一回はリズベットに勝てるんだ。


 なら。


「ファールクランツ閣下、どんなに厳しくても構いません。彼女に勝てるように、僕を鍛えてください」

「お任せくだされ。必ずや、殿下を強くしてみせます。ですが……クク、我が娘もここまで想われて、果報者ですな」

「うぐ……っ」


 くつくつと笑う侯爵に、僕は返す言葉がない。

 事実、リズベットに告白するために強くなりたいだなんて、理由も理由だし。


 だけど……リズベット、待っててね。

 必ず三か月で強くなって、君に勝って、そして……この想いを、君に告げるから。


 ファールクランツの胴払いをもろに食らって地面で悶絶する中、僕は強く誓った。

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