僕の婚約者に手紙を送るのはやめてください

 ファールクランツ侯爵から剣の指導を受けるようになってから、およそ半年。


 ようやく僕も剣の扱いに慣れてきて、今では素振りをしても筋肉痛にならなくなった。

 それに、身体もどこか締まったようになって、腹筋だって六つに綺麗に分かれている。


 とはいえ。


「よし、ここまで」

「あ、ありがとうございました……」


 侯爵の訓練は日に日に厳しくなり、相変わらず僕は終了の合図と同時に地面に突っ伏してしまうことには変わりないんだけどね。


「ルドルフ殿下、お疲れ様でした」

「あ、あはは……ありがとうリズベット殿」


 差し出してくれた、レモンを漬けた蜂蜜を水で割った飲み物を、僕は一気に飲み干す。

 ふう……身体に沁みわたるよ……。


「そ、それにしても、今さらですが毎日僕の訓練に付き合ってくださって、その……お仕事などは大丈夫なのですか……?」

「クク……気になされることはありません。これは、私が好きでしていることですからな」


 ファールクランツ侯爵は、くつくつと笑った。

 侯爵も笑うのが下手くそというか、不器用というか……絶対に勘違いされるよね。知らない人が見たら、悪だくみしているようにしか見えないと思う。


「そうです。お父様は好きでなさっているのですから、むしろお母様や部下の方々に叱られればいいのです」

「む……」


 そんな侯爵に、リズベットは辛辣しんらつな言葉をぶつけた。

 彼女もまた、普段は冷たい印象を与える……というか、冷たい印象しか与えないから、皇宮で働く使用人達からも、盛大に勘違いされていたりする。


 彼女はただ不器用なだけで、本当はすごく優しいんだけどね。


 まあ、僕も『ヴィルヘルム戦記』でのリズベットのイメージがあったから、最初はものすごく怖かったけど。

 このことは、絶対に彼女には言わないでおこう。


「では、私はこれで失礼しますが……」

「は、はい。日課の素振り一千回は、必ずこなしますので」

「よろしい」


 ファールクランツ侯爵は満足げに頷き、訓練場を後にした。


「ハア……殿下を指導してくださるのはいいのですが、こうも毎日来られるのは、できればご遠慮いただきたいのですが……」


 訓練場の出入口を見つめながら、リズベットは溜息を吐く。

 リズベット的には、侯爵に干渉されているような気がして嫌らしい。


「仕方ありません。お館様はリズベット様に甘いですからね」

「……あと半年もすれば、私も成人になりますというのに」


 リズベットは苦笑するマーヤを見やった後、額を押さえてかぶりを振った。

 でも……それだけ侯爵に愛されている彼女が、羨ましいと思ってしまう。


「まあ、お館様も弟子・・の成長が嬉しくて仕方ないというのもありますが」

「あ……そ、そっか……そうなんだ……」


 マーヤの言葉が嬉しくて、僕は思わず口元を緩めた。


 ◇


「それにしても、あちら・・・から一向に連絡がありませんね……」


 リズベットと一緒に庭園でお茶をしている中、彼女が視線を落としながらポツリ、と呟いた。

 彼女の言う『あちら』というのは、もちろんフレドリクのことだ。


 もう半年も経っているというのにフレドリク陣営の音沙汰はなく、僕達はずっと待ちぼうけを食らっている。


 とはいえ、こちらからフレドリクに接触することは避けたい。

 そんなことをすれば逆に警戒されるだろうし、交渉しても絶対に足元を見られる。


 ここは、先に動いたほうが負けなのだ。


「いずれにせよ、マーヤが向こうの陣営の動きを注視してくれていますので、何かあれば対処できます。とにかく、僕達にできることは待つことしかありません」

「それはそうですが……」

「リズベット様、どうかなさいましたか?」


 どこか得意げなマーヤが、ジト目で睨むリズベットに尋ねた。

 おそらくは、僕がマーヤを信頼しているようなことを言ったから、リズベットが少しねてしまったのかもしれない。


 この半年間で分かったことだけど、リズベットという女性は意外にも嫉妬深く、独占欲が強いみたいだ。

 しかも、マーヤはそれを面白がっているみたいで、こうやってあえてリズベットの神経を逆なでするようにあおることもしばしば。


 お願いだから、そういうことは控えめにしてほしいんだけど。(嫉妬するリズベットも可愛いので、やめろとは言わない)


「……フレドリク殿下の陣営が動いてくだされば、この手紙・・・・を受け取ることもなくなると思うのですが……」


 リズベットは眉根を寄せ、一通の手紙をひらひらさせる。

 その封には、皇族の証である双頭の鷲の印章があった。


「未だに三日に一回は、リズベット様に届けてきますからね。こんなにマメであれば、ご自身の婚約者にお送りすればいいですのに」

「重ね重ね、身内が申し訳ありません……」


 マーヤの皮肉に、僕はリズベットに向かって平身低頭した。

 実はロビンの奴、リズベットに本気で懸想してしまったみたいで、こうやって手紙を送りつけてくるのだ。


 手紙の内容をリズベットに見せてもらったことがあるけど、あの傲慢で器の小さなロビンとは思えないような美辞麗句が並べ立てられていて、僕も乾いた笑みを浮かべるしかできなかったよ。


 しかも、第三皇子の手紙だから無視することもできず、リズベットはいつも渋々ながら返事を書いている。

 とはいえ、書いてあるのは『ルドルフ殿下の婚約者の身ですので、お手紙は丁重にお断りします』の一文しかないけど。


 それでも諦めずにこうして欠かさず送ってくるんだから、ある意味感心してしまう。いや、気持ち悪いけどね。


「……マーヤ、あなたが返事を書いてくれないかしら」

「嫌です。お断りです。むしろ満面の笑みで待ち構えているロビン殿下に手紙を届ける私は、すごく頑張っていると思います」

「ああー……」


 いや、本当に申し訳ない。


 押し付け合いする二人を見つめながら、僕は心の中で何度も謝罪した。僕のせいじゃないけど。

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