大きな手

 リズベットがここ天蝎てんかつ宮で一緒に過ごすようになってから、一週間後。

 僕は今日も彼女と一緒に、楽しく朝食を摂っていると。


「ルドルフ殿下。お館様……ファールクランツ閣下が皇宮へお越しになられ、殿下への面会を求めておられます」

「え? 閣下が?」


 え、ええー……僕に会いたいって、どういうことだろう。

 しかも、娘のリズベットを差し置いて。


「マーヤ、もちろん私も同席いたします。よろしですね?」

「は、はあ……一応、お館様に確認してまいります」


 マーヤは困った表情を浮かべ、この場から離れた。


「ご心配いりません、ルドルフ殿下。もし父があの時・・・のようなことをされるのであれば、この私が全力で阻止いたします」


 アクアマリンの瞳を冷たく輝かせ、リズベットが頷く。

 い、いやいや、僕の目の前で親子喧嘩をされても困るんだけど。


「……お館様は、リズベット様の同席をお認めになられました」

「そうですか。では、まいりましょう」

「は、はい……」


 ス、と右手を差し出したリズベットの手を取り、僕は重い足取りでファールクランツ侯爵の待つ応接室へと向かった。


 ――コン、コン。


「失礼いたします。ルドルフ殿下、並びにリズベット様をお連れいたしました」


 マーヤに促され、僕とリズベットは手を繋ぎながら応接室の中へと入る……んだけど、どうして侯爵は、僕にそんな視線を送ってくるんですかね?

 何というか、睨んでいるというより、その……戦闘狂バトルマニアのにおいがプンプンします。


 あはは……まさか、ねえ……。


「お父様。ルドルフ殿下はお忙しい身ですので、ご用件によってはこの私が承ります」


 ファールクランツ侯爵が何かを言う前に、リズベットがずい、と身を乗り出して牽制する。

 実の娘である彼女がこんな対応を見せたってことは、ひょっとしたら悪い予感が的中したのかもしれない。どうしよう。


「リズベット。同席は認めたが、お前の発言を許可してはいない」

「いいえ、私はルドルフ殿下の婚約者。殿下にとって不利益となるようなことであれば、それを未然に防ぐことこそが私の役目です。たとえお父様でも、引き下がるわけにはまいりません」


 リズベットは絶対零度の視線を実の父親に向け、互いに睨み合う。

 僕のせいで親子が仲違いするのは、やめてもらいたいんだけど。


「え、ええと……それでファールクランツ閣下は、僕にどのようなご用件でしょうか……?」


 このままでは話が進まない上に、リズベットとファールクランツ侯爵が仲違いしてしまうと感じた僕は、おずおずと彼に尋ねた。

 やっぱり二人には、両親の愛情なんて一切期待できない僕なんかと違って、いつまでも仲良くしてもらいたいから。


「これは失礼しました。用件というのはほかでもなく、これから殿下が帝立学園に入学されるまでの一年間、このドグラス=ファールクランツに剣の手ほどきをさせていただきたいのです」

「ええええええええ!?」


 ファールクランツ侯爵の申し出に、僕は思わず声を上げた。

 い、いや、侯爵といえば“黒曜の鬼神”と呼ばれる帝国最強の武人。そんな人物が、わざわざ僕なんかに剣を教えるだって!?


「そ、そんな! 先日の手合わせでご存知だと思いますが、恥ずかしながら僕は強くありません! おそらくは、閣下を失望させる結果になってしまうと思いますが……」

「私が失望するかどうかは、殿下が強くなられるのに関係ありません。それに、まずは始めてみなければ、リズベットを守る強さは手に入りませんぞ」

「っ!」


 ……チクショウ、侯爵もあおるのが上手いなあ。

 そんなことを言われたら、僕はやるしかないじゃないか。


「……分かりました。どうぞよろしくお願いします」

「ルドルフ殿下……よろしいのですか?」


 リズベットは、心配そうに僕の顔をのぞき込む。

 この前のことがあるから、余計に僕を気遣ってくれているのだろう。


 でも……だからこそ僕は、ここで変に引き下がったり、遠慮してはいけないんだ。

 そうじゃなきゃ、僕のリズベットを守りたいという思いが、嘘になってしまうから。


「もちろんです。僕は強くなりたい。大切なあなたを守れるように」

「あ……」


 僕はニコリ、と微笑み、リズベットの手を握りしめた。

 すると彼女もまた、僕の手を握り返してくれた。


 強く、ただ強く。


「ありがとうございます。では、早速まいりましょう」

「はい!」


 僕はファールクランツ侯爵と共に、天蝎てんかつ宮の中庭へと移動する。

 この宮殿には、残念ながら訓練場がないからね……すぐにでも、訓練場の整備をすることにしよう。


「では、まずは素振りから」

「はい!」


 そして、ファールクランツ侯爵の指導の下、僕は剣の訓練を行った。

 素振り、剣の型、侯爵との手合わせ。


 身体を酷使することで、全身が悲鳴を上げる。

 でも、この一つ一つが強さに繋がっていると思えば、苦じゃなかった。


 それに。


「ルドルフ殿下、頑張ってください!」


 リズベットが、ずっと僕を見守り、応援してくれている。

 それだけで、僕はいくらでも頑張れるんだ。


「あぐっ!?」

「……今日はここまでといたしましょう」


 右肩に強烈な一撃を食らい、ファールクランツ侯爵は訓練終了の合図を告げた。

 僕は地面に倒れ込むが、無理やり身体を起こすと。


「ハア……ハア……あ、ありがとうございました!」


 侯爵に、深々とお辞儀をした。


 すると。


「ルドルフ殿下、よく頑張りましたな」


 僕の頭を撫でる、ファールクランツ侯爵。

 その手は大きくて、ごつごつしていて、ちょっと乱暴で、でも……温かくて。


「う……ううう……っ」


 思わず僕は、涙をこぼして嗚咽おえつを漏らしてしまった。


「っ!? ルドルフ殿下、どこか痛むのですか!?」


 そんな僕の様子を見て、リズベットが慌てて駆け寄ってきた。


「お父様! やはりやり過ぎです! 今日は初日なのですよ!」

「う、うむ……」


 リズベットにキッと睨みつけられ、侯爵が思わずうなる。


「グス……リズベット殿……違うんです……僕は、嬉しいんです」

「嬉しい……ですか……?」


 そうだ。僕は嬉しいんだ。


 生まれて初めて僕を労ってくれた、その大きな手が。

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