婚約者(予定)と初お目見え
「ふう……」
皇帝との謁見を終え、部屋に戻った僕は深く息を吐く。
目的は全て達成できたのだから喜ばしいはずなんだけど、どうにもやりきれなくて、胸が苦しい。
何もやる気が起きず、ベッドの上でごろごろしていると。
――コン、コン。
「ルドルフ殿下、お茶をお持ちしました」
「ああ……ありがとう。そこに置いておいてくれ」
僕はノックして入ってきたマーヤに
マーヤが来た目的は、皇帝との謁見の内容を探りにきたってところだろう。
「……殿下、ひょっとして皇帝陛下と、何かあったのですか……?」
ほらね。心配するようなふりをして、しれっと尋ねてきたよ。
「何もないよ。皇帝陛下は寛大にもお許しくださり、それでおしまいだ」
ぶっきらぼうに答え、僕は目を
これ以上、マーヤと会話したくない。
なのに。
「……マーヤ、これは何の真似だ?」
「そ、その……お疲れのご様子でしたし、私の
僕の背中を優しく撫でたマーヤに詰問すると、彼女はすぐに手を引っ込めて深々と頭を下げた。
本当に、余計なことをしてくれる。
「そういったことはしなくていい。それより、用が済んだならこの部屋から出て行ってくれ」
「っ!? し、失礼しました!」
僕の不機嫌な様子を悟ったマーヤは、慌てて部屋から飛び出していった。
「まったく……」
ただの間者のくせに、僕に優しくするふりなんてするなよ。
そんなことをしたところで、僕は絶対に
出て行った後の部屋の扉をジロリ、と見やった後、僕はポケットの中からお守りの金貨を取り出し、ピン、と弾く。
「そうだよ……僕に優しくする奴なんて、
優しくしてもらった、たった一つの思い出の金貨を手のひらで受け止め、僕はギュ、と握りしめた。
ほんの僅かに開いていた、部屋の扉に気づきもしないで。
◇
「ルドルフ殿下! 今日ばかりは私に従っていただきます!」
「ちょ!?」
マーヤに強引に座らされ、僕は服を脱がされる。
ぼ、僕は暴君で、いずれ『残酷帝』と呼ばれるルドルフ=フェルスト=バルディックなんだぞ!? なのに、こんなぞんざいに扱ったらどうなるか!
……なんてことは、
というか、ここ一か月のマーヤの僕に対する接し方、少し馴れ馴れしすぎないかな!?
今みたいにやたらと強引なところが目立ってきたし、最近食事の中に僕の嫌いなニンジンが入っていることが多いし、食べないと注意してくるし。
おかげで他の使用人達も、せっかくタッペル夫人の事件で僕を恐れるようになったというのに、今じゃ僕を見てクスクスと笑う始末だよ……。
「いいですか、ルドルフ殿下。本日は婚約者となられる御方との大事な面会の日なんですよ? 少しでも殿下を気に入っていただけるよう、身だしなみはしっかりいたしませんと」
「う、うぐう……」
確かにマーヤの言うとおりだけど、釈然としない。
結局、僕はマーヤに好きにされるがまま、婚約者候補を迎え入れるための準備を整えた……んだけど。
「こ、これはやり過ぎじゃない……?」
「いいえ、そんなことはございません。女性は花の香りを好むもの。なら、こうして
そのスズランの花を浮かべたお風呂から出ようとする僕を、笑顔で無理やり押さえ込むマーヤ。
というかマーヤ、ものすごく力が強い。
「専属侍女として殿下にお仕えしてお
「そ、そう……?」
「そうです!」
鼻息荒く、強く頷くマーヤに、僕は何も言えなくなった。
実際、前世でも僕は初恋の
あの時の悲しい思い出が脳裏に浮かび、僕は鼻先まで湯船に沈んだ。
そして。
「おお……!」
「ルドルフ殿下、完璧です!」
鏡に映るマーヤのプロデュースにより見違えた姿を見て、僕は思わず声を漏らした。
いや、ここまで変わるものなんだなあ。
「ウフフ! 殿下は前髪を上げれば間違いなく美丈夫ですから、それはもう
「そ、そう?」
マーヤに手放しで褒められ、まんざらでもない僕は照れながら頭を
とにかく、僕としてもこの婚約を成功させて、後ろ盾を得ないといけないんだ。そのためには、絶対に嫌われないようにしないと。
「そういえば、僕の婚約者候補は、どんな
実をいうと、僕はまだ相手の婚約者候補について、何も聞かされていない。
ただ、皇帝の使いから今日の日取りで、婚約者候補と面会することが決まったとの書簡を受け取っただけだ。
「マーヤは婚約者候補がどんな人なのか、聞かされていたりする?」
「いいえ、私は存じておりません」
「そう……」
間者のマーヤなら、ひょっとしたらその情報も入手しているかと思ったけど、そもそも知っていたところで教えてくれるはずがないか。
もし教えたら、それこそ間者失格だし。
「ルドルフ殿下、そろそろお時間です」
「分かった、行こう」
僕はマーヤを連れ、
すれ違う使用人達が、
……こんな視線には慣れているから、気にしないけど。
玄関の前に立って待ち構えていると、一台の馬車がやって来て、目の前に停まる。
扉が開き、現れたのは……この世のものとは思えないほど、あまりにも美しい少女だった。
オニキスのような艶やかな黒髪に、輝くアクアマリンの瞳。
彫刻のように整った目鼻立ちに、柔らかそうな桜色の唇。
その美しい姿はとてもこの世のものとは思えず、瞳の色も相まって氷のような冷たさを感じた。
「……殿下、ルドルフ殿下」
「あ……ど、どうぞ手を……」
後ろからマーヤに耳打ちされて我に返った僕は、慌てて手を差し出して彼女を馬車から降ろすと。
「お初にお目にかかります。ファールクランツ侯爵家の長女、“リズベット”と申します」
「っ!?」
優雅にカーテシーをする彼女の名前に、僕は思わず息を呑んだ。
だって。
――彼女こそ、十年後に僕を暗殺する予定の“氷の令嬢”、その
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