過去編―大和御門―

7.大和御門

 とおるは几帳面な性格だった。夜は23時に就寝し、朝は6時に目覚める。コーヒーの代わりにプロテインを飲むと、じわりと汗が滲むまで筋トレをして、家の周囲を1時間かけて走り込む。帰ったら熱いシャワーで汗を流し、朝食の支度をする。

 これがここに来てから3年と少しの間、亨の朝のルーティーンだった。

 御門みかどの住処であるこの高級そうな部屋は、タワーマンションと言われる高層マンションの最上階にあった。

 驚いた事に玄関が二つあり、一つは公共のエレベータに繋がり、もう一つはこの部屋専用のエレベーターに繋がっていた。

「ここは俺の持ち物じゃねぇよ。お国がここに住めってんで住んでるだけだ。家賃かからねぇし、お手伝いさんという名の監視役が週に3回掃除と洗濯迄してくれる。慣れりゃ気楽だぜ」

 と、御門が言うように、普通のマンションではないと知るまで時間はかからなかった。

 この日も、亨は目覚ましと同時に目を覚ますと、顔を洗いに洗面所に向かった。

 無駄に豪華なこの部屋だが、洗面所は一つしかない。そして、その洗面所を開けると、シャワーを浴びた直後だろうか。濡れた髪を滴らせた女性が立っていた。

「し――失礼」

 亨は慌てて洗面所のドアを閉めると、慌ててキッチンへ逃げた。

 冷蔵庫からペットボトルのミネラルウォーターを取り出すと、一息に飲み干して頭を抱えた。

 ――御門さん、またかよ。

「あのー、私にもお水もらえるかな」

 髪にタオルを巻いて、亨のお気に入りのバスローブに身を包んだ女性がパントリーを通ってキッチンにやってきて、亨に艶めかしい視線を送った。

「それ……俺の」

 ジョギングから帰ったらシャワー浴びて着るつもりだったのにと、亨は悲しそうな顔で女性を見つめたが、すぐに諦めたように溜息をついて冷蔵庫からペットボトルを取り出し、女性に手渡した。

「ありがとう」

 女性は亨から視線を離さず、ペットボトルを受け取ると美味しそうに口に含んだ。20代後半だろうか。化粧を落とした顔はそれなりに整っているが、美人とまではいかない。中肉中背と言ったところか。男好きしそうな雰囲気ではあるが、特に目を引く女性ではなさそうだ。

 あの人の女性の好みは全くわからん。

 亨は前回の女性は亨より年上でスレンダーな美人だったり、その前は20代前半と思しき顔が思い出せないくらい平坦だったのを思い出して、ぼんやりと水を飲む女性を眺めていた。

「ドライヤーが見当たらないの。この寒空に髪が濡れたままじゃ風邪ひいちゃう」

 几帳面な亨は、毎晩入浴後ドライヤーを棚に仕舞う。確かに初めての家で家探しはしづらいだろう。

 亨は、目の前の女性が、その"初めての家"で勝手に入浴を済ませた事実には気付かず、黙って洗面所に行くと、棚の戸を開けてドライヤーを取り出して女性に渡そうとした。

「――ねえ」

 振り返ると、女性は亨のすぐ傍に立っていて、囁きながら亨ににじり寄ってきた。

「あの人もかっこいいけど、あなたも可愛い顔してるよね――私、あなたの方が好みかも」

 女性はそう言いながらバスローブの前をはだけさせて、亨に抱き着いた。

「僕はそういうのは――」

「はいはい。とっとと髪乾かして帰んな」

 洗面所のドアを開けるや、突如現れた御門が女性を亨から引き剥がした。

「昨夜さんざんヤッたのにまだ足りないわけ?色情霊でもついてたっけ?」

 女性を後ろから抱き、首筋に唇をあてながら御門が言うと、女性はまんざらでもない顔で嬉しそうに御門を見た。

「こいつは俺のだからね。手を出さないでよ」

 御門は意地の悪い表情でそう言うと、煩わしそうな視線を送る亨の手からドライヤーを取り、女性に渡して亨の肩を抱きながら洗面所から出て行った。

「御門さん、ほんと勘弁してくださいよ」

 キッチンに戻ると亨は漸く口を開いた。

「ごめんって。まさかとーるちゃんと鉢合わせするとか思わなかったのよ」

「そうじゃなくて、一応共同生活なんですから無闇矢鱈と女の人を連れ込まないでくださいって何度も言ってるじゃないですか」

 悪びれずに亨が手渡したミネラルウォーターと小言を受け取ると、御門は肩をすくめながらキャップを開けて水を一気に飲んだ。

「あー昨日は飲みすぎたわ。水うめー」

「御門さん!」

 御門は青筋を立てて怒る亨の腰に手を回すと、「だって俺女食わないと死んじゃうんだもん。それとも、とーるちゃん、俺に食われてくれる?」と詰め寄った。唇が触れそうなほど顔が近い。

「なんでそうなるんですか」

「なんなの?あんた達そういう関係だったの?」

 ドライヤーを終えて出てきた女性が、バスローブ姿のまま素っ頓狂な声で喚いた。

「あら。見られた?」

 御門はニヤリと笑って亨の腰を抱く腕に力を入れた。引き寄せられた亨は御門の肩に頬を寄せる形になり、全身に鳥肌が立つのが分かった。

「ゲイのくせに女ナンパするとか信じらんない」

「ゲイじゃないよ。俺はとーるちゃんが好きなだけ。女は食うだけって言ったじゃん。――それでもいいってついてきたのはお前だろ。用は済んだんだし、髪乾いたんだから帰れよ」

 御門は腰に回していた手を亨の頭に移動させると、愛おし気に髪を撫でて頬ずりした。亨はここで口を挟むと、藪蛇になるのは経験上理解していたので、死んだ魚のような目をしたまま黙ってされるがままになっていた。

「信じらんない!」

 女性はぐっしょりと湿ったタオルを亨の顔面に投げつけると、御門の部屋に駆け入るや、舞台俳優もびっくりの早着替えで服を着ると表向きの玄関から何やら侮辱的な言葉を叫びながら出て行った。

「なんでいつも俺が怒られるんですか」

 亨は御門の手を振り払うと、「信じらんないのは俺だよ……」とぶつぶつ呟きながら床に落ちたタオルを拾い上げて、御門を睨みつけた。

「んー、ほらよく言うじゃん。女の敵は女ってさ」

「俺は男ですよ」

 亨は御門を睨みつけると、「部屋から俺のバスローブ取ってきてください」と冷たく言い放った。

「もー。とーるちゃんってば僕が俺になってるよ。怒んないの」

 御門は楽しそうに、言われるがままバスローブを救出しに、自分の部屋へ戻って行った。

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