8.大和御門2
ひと悶着の末、朝のルーティーンに出かけた
亨が近くにいると、真神は活動を酷く制限される為、亨がいない間しか姿を現さない。亨がいると声すら聞こえないのだ。だから御門は亨が大好きだった。
『昨日の女は中々だったな』
真神は犬がおやつをもらって満足したような顔で御門に話しかけた。
「あー。ありゃ相当だったわ。素人にするには惜しい霊力な上、腹ン中真っ黒過ぎてよくないものをわっさわさ引き連れてたな。あれでよく正気を保てるもんだ」
御門は女が忘れていったストッキングを見つけると、ゴミ箱に放り投げた。
『しかしおかげで足しにはなった。また見かけたらお願いしたいものだ』
すました顔で言っているが、尻尾はぶんぶんと機嫌よく揺れている。
ここひと月ほど
回避する方法は一つだけだった。悪霊を喰らう事。
真神の神力の回復には膨大な霊力が必要になる。その為、悪霊を食い霊力を集めろと真神が言った時は世界中の悪霊を食い尽くさないといけないんじゃないかと、気が遠くなった。
「付喪神は神ではないが、神と呼ばれるに相応しい霊力の強さだ。強さはバラバラだが概ね1,000体も食えば神力は大方回復するだろうと、
真神に取り憑かれた翌日に現れた
イケメンの訪問に、御門の母は大喜びで東雲に茶と手土産の羊羹を出すと、用事を思い出したと言って出て行ってしまった。
この家には東雲と御門の二人――いや、真神を入れて二人と一匹しかいない。
『なるほど。確かに付喪神であればちまちまと悪霊を喰らうより早いな』
「その通りでございます。
真神が見えるのか、東雲は真神に向かって一礼した。
「私には真神様のお姿を拝見することはできないが、その気配を感じ、お声を聞くことができるんだよ」
不思議そうに見つめる御門に、東雲は柔和な表情を崩さずに言った。通常ならばどれだけ霊力が強くても、霊は見えても神格化した存在は見る事は出来ない。そのくらい御門も経験上わかっていた。
『この者には
匂いを嗅いでいるのであろう、鼻を鳴らしながら機嫌がよさそうに真神が言うと、東雲は静かに頷いた。
「おっしゃる通りです。私の曽祖父は日本武尊を
『我が主がご神託を授けるほどの人間だ。よき霊力をもっておる――それにその能力……』
真神が鼻を鳴らすと、東雲はすかさず「とんでもないことでございます」と頭を下げた。
御門はおっさんと犬の会話を、気怠げな表情で聞いていた。どうも今朝から怠くて仕方がない。それに、このおっさんの話を聞いているとおかしな気分になってくる。――まるで自我を押さえつけられるような――。
その表情を見て、東雲は「すまない。これを忘れていた」と、鞄から人の頭ほどの大きさのある白い布で包まれた物を取り出して、御門の前に差し出した。嫌な気配がする。
「これは――?」
『ほう――』
御門と同時に、真神が嬉しそうな顔でその包みを見た。早く開けろと言いたげな顔で御門と東雲を交互に見ている。尻尾がぶんぶん音を立てて動いている。
「付喪神が取り憑いている面だよ。江戸後期のものでね。地方の能楽堂にあったのだけど、付喪神が宿ってからは数十年放置されていた物だ」
東雲はそう言うと白い布を指さした。
『よく見ておけ。これがこれからお前が対峙する者だ』
真神の言葉に御門に緊張が走った。
東雲は頷くと、表情を変えないまま布に手をかけた。
「この布には結界の陣が仕込んである。包まれている間は付喪神は抑えられているが、解くと暴れだす危険がある。――まぁ真神様がおられるのだから問題はないがね」
そう言うと、唖然とする御門には目もくれず、ゆっくりと白い布を解き始めた。東雲の細く長い指が静かに布を捲り、やがて中から古ぼけた
その靄は、歓喜や悲哀、憎悪など様々な感情が入り混じり、御門は気圧されそうになった。全身に鳥肌が立つのがわかる。――これは良くないものだ。
『中々の上物だ』
真神は舌なめずりで面を見ているが、御門に付喪神を見せたいのだろう。待てを言われた犬のように涎を垂らしてお座りしている。
靄は見る間に塊となり、それはやがて面と束帯を身に着けた翁の姿へと変貌した。
「なんだ――なんだよこれは」
姿は翁だが、そこから感じる気配は禍々しさそのもので、御門は座ったまま後ろ手をついて後ずさりした。女の子のように白い肌が見る間に青く変わっていく。
御門の耳に無数の男の声で能の
『ほお――人の形をとるほどとは……』
「百年以上かけて人の情念を演じ続けてきた面でございますので、蓄積された人の思いもまた格別でございます」
真神は御門に目をやると、付喪神の禍々しい気に呑まれながらも抗おうとしているのが分かった。その姿にフンと鼻を鳴らして立ち上がると付喪神と御門の間に立ちふさがり、『所詮は小物よ――』と低く唸った直後、付喪神に牙を立てて喰らいついた。喉元に喰らい付かれた付喪神からは無数の断末魔が聴こえてくる。御門は正気を保っていられない程の恐怖に呑まれていた。
「御門君。よく御覧なさい。真神様はこうやって付喪神をお召しになるのだよ」
いつの間にか隣に来ていた東雲の言葉に、御門は漸く我に返って真神を見た。
さっきまで涎を垂らして待てをしていた駄犬は、その毛の一本一本に神々しい輝きを纏い、付喪神を見る間に食いちぎっては腹に収めた。それは紛れもなく美しい狼の姿だった。
「付喪神はそれ1体で悪霊数百分の霊力を持つ。それでも尚、真神様の霊力には足りないんだよ」
腰を抜かしている御門の肩を抱くように支えた東雲は、そう言って御門の顎をつまんで自分に向けさせると、御門の唇に自分の唇を押し当てた。
突然のキスに御門はびっくりして体を硬直させると、東雲は唇を離して申し訳なさそうに笑った。
「随分と真神様に霊力を食われていたからね。僕のを分けたんだよ。――一番効率がいいのはセックスなんだけどね。流石に男同士は私も経験がないから」
「そ――そういう問題じゃ……」
御門は漸く口を開いた。俺のファーストキスが……おっさん……と情けない声で呟いている。
「国作りの神話を知っているかな?伊邪那岐と伊邪那美が交わって国が生まれたと言う話。セックスにはね、子を作ると言う以外にも、互いの霊力を混じり合わせると言う意味合いもあるんだよ――え、御門君?どうしたの。泣かないで――なんで――」
東雲が柔和な表情を崩して焦りを見せたのは、後にも先にもこの時だけだった。
御門は何が何でも付喪神を狩って、早々に真神に別れを告げよう。俺の貞操の為に――そう心に決めたのだった。
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