第29話 純白

「はぁ~、なんで自白しちゃうかなぁ。シラを切ってればまだ遊べたのに。」


 久留宮くんは黒船くんをキッと睨み付けると、再び草浦くんに向き直って優しい口調で尋ねる。


「仕方なかったって……どういうことだ……?」


「だって、墓石お姉ちゃんが僕を殺そうとしたから……。」


 墓石さんが草浦くんを殺そうとした? どういうことだ。墓石さんはそんなことをするような人には見えなかったぞ。


「一体どういうことですか? 話が見えてきませんが。どうして墓石さんがあなたを殺そうとしていると分かったのですか?」


「だって、だって……。」


 彼は瞳を潤ませながら、指を向ける。その先にいたのは壁に寄り掛かる黒船くんだった。


「黒船お兄ちゃんが、そう言ってたから……。」


 それを聞いた久留宮くんは音を立てて椅子を吹っ飛ばすように立ち上がると、黒船くんの胸ぐらを掴む。


「おいテメェ、こいつはどういうことだ? あの女がこいつを殺そうとしていただァ? そんな訳ねぇだろうが!」


「うん、嘘だよ。」


「…………は?」


 黒船くんは久留宮くんの手を退かすと、鬱陶しそうに押し退けた。


「彼の言っていることに間違いはないよ。僕が草浦くんに、墓石さんが君の命を狙ってるよ~って嘘を吐いたんだ。」


 理解が出来なかった。当たり前だ。何を言っているんだ、こいつは。嘘を吐いた? その嘘のせいで墓石さんは死んだ? その嘘のせいで、草浦くんが殺人を犯すはめになった?


「草浦くんはまだ分別のつかない子供だからね。扇動するのに大した労力はいらなかったよ。ただ動機と道具を渡してやれば、後は勝手に上手くやってくれたさ。」


「どう……いう……?」


「まだ理解できない? 草浦くんに嘘を吹き込んだのも僕だし、保健室の睡眠薬を盗んで草浦くんに渡したのも僕なんだよ。」


 彼は淡々と言う。まるでそれが世界の常識だとでも言わんばかりに。僕はそれが全く理解できなかった。悪びれもしない。罪悪感なんて微塵も感じていない。それどころかその態度はまるで、親に自分の手柄を自慢する幼児のようだった。吐き気がした。


「なんでそんなことをしたのか聞きたそうな顔してるね。良いよ、教えてあげるよ。僕が草浦くんに墓石さんを殺させた理由。それはね……。」


 悪だと思った。闇だと思った。これほどまでに嫌悪を感じたのはGM以来だ。


「彼女が人狼だと思ったから。それだけだよ。」


 僕は黒船くんの言葉が理解できないのかと思っていた。しかしそれは違ったのだ。理解できなかったのは彼の言葉ではない。彼の心、価値観、考え方、思考、人格。その全てだ。僕の心情を一言で表せば、何を言っているんだこいつは? だ。


「なんで……そんなことが分かった?」


「? 分かってないよ? ただ墓石さんが人狼っぽいな~って思った。だから殺させた。それだけ。証拠も根拠も無いよ。」


 はにかむ彼の言葉が一寸でも理解できるか? 無理だ。だってあいつが人狼なんだぞ。人狼は相方が分かる。つまり黒船くんの視点からは墓石さんが人狼でないことなんて分かりきってる。黒船くんがやったことは前回北野さんがやったこのゲームの必勝法と同じだ。人狼が市民を殺し、ゲームを有利に進めるという戦略だ。それを嘘と偽り、虚言戯言詭弁の類いで塗り固めてるだけだ。寒気がする。なんでこんな嘘が躊躇いなく吐けるんだ。


「彼女が人狼だったかは分からないけど、どちらにせよ人狼ゲームって9人でやるのがベーシックルールでしょ? 10人だとなんだかモヤモヤするんだよね。」


「だから……殺したとでも言うのか!?」


「そうだけど?」


 何より、この男の恐ろしいところは自分の命を勘定に入れていないことだ。だってこいつは狩人COをしたんだぞ。人狼なのに、狩人を騙ったんだ。墓石さんが狩人じゃあなかったら嘘がバレて死んでいた。墓石さんが狩人だと知っていたのか? いや、人狼ゲームで自分の役職を特定の個人にだけ明かすなんてこと、やるはずがない。黒船くんはあの時、賭けに出たんだ。占い師、霊能者、狩人の3つの役職から狩人を選んで騙るという賭けに。その賭けは分が悪いなんてもんじゃあない。失敗すれば自分が死ぬことになる賭けでもある。なのに、なのに、こいつは実行したんだ!


「馬鹿げてる……。」


 それらを全て頭に入れた上で見ると、今の黒船くんの態度はおかしいなんてものじゃあない。善悪の区別すらついていない子供より、自らの白を信じているんだ。狂気だ。これは言うなれば、純白の狂気だ。


「どうしたの? 皆さっきから黙っちゃって。ようやく墓石さんを殺した犯人が見つかったって言うのに。」


「犯人は……テメェだろうが……。分かってんのか!?」


「話聞いてた? なんで僕が犯人になるの? 全ての犯行を為し得たのは草浦くんで、当の本人から自白も出てるんだよ? 犯人は草浦くんだよ。」


「テメェが殺させたんだろ!」


「草浦くんが自分の意思で殺したんだよ。」


 辺りは静まりかえった。絶句、という感じだった。ただただ信じられないものを見た、というばかりだった。だけどいつまでもそうしている訳にもいかないのも、また事実だった。


「私は吊るべきだと思うぞ!」


 声を上げたのは藤田さんだった。


「ふ、藤田さん。相手は子供ですよ!?」


「勘違いをするんじゃあない! 私が吊るべきだと言っているのは黒船のことだ! 彼の犯行は見過ごせるものではない!」


 黒船くんの横暴に憤りを感じているのは僕だけでは無かった。当たり前だ。普通の感覚をしてればこんなの、どっちの味方をするかなんて決まってる。


「俺も黒船を吊るべきだと思うぜ! ガキにこんなことさせた時点で生かしておけねぇ!」


「わ、私もです。どうしてこんなことが出来るのか……。理解に苦しみます。」


「酷い言いようだね。でも、そうは思わない人達もいるみたいだけど?」


 黒船くんは素数野さんの方を見た。彼は眉間にシワを寄せて、伏せ目がちに言うのだ。


「私は、心苦しいですが草浦様を吊るべきかと。」


「ハァ!? なんでそうなるんだよ!」


「黒船様は狩人です。人狼の脅威から我々を守ることの出来る唯一の役職。それを分かっていながら吊るのは人狼の味方をするようなものです。」


 黒船くんが狩人ではなく人狼であるということが分かっているのは僕と城白さんだけだ。しかも、その根拠は城白さんの特殊能力だ。僕は城白さんのことを知っているから信じられるけど、他の皆は信じてくれないだろう。つまり今、黒船くんが狩人であることを否定する材料は無いに等しい。


「ぼ、僕も草浦くんを吊ることに賛成だよ。いくら黒船くんがヤバいやつでも、市民陣営をわざわざ吊るのは自殺行為だよ。」


「心外だな。僕は皆のために動いただけなんだけど。ま、とりあえず僕も草浦くんに投票するからこれで4対3だね。」


 そう言って彼は僕と城白さんの方を向く。


「それで、君達はどうするの?」


 当たり前だ。答えは決まってる。黒船くんを吊る。城白さんだってそれに同意してくれるはずだ。だってそうだろう。僕らは黒船くんが人狼だって分かってる。黒船くんは睡眠薬を保健室から盗み出し、草浦くんを唆して殺人をさせた悪人だ。それに城白さんは霊能者でもある。しかも確定した霊能者だ。今日黒船くんを吊って、霊能者の能力を使えば黒船くんが本当に人狼だって分かる。城白さんの特殊能力は皆に信用されないかもしれないけど、霊能者の能力は別。真の霊能者が黒だったと言えば皆は信じるはずだ。そうすれば城白さんは皆の信用を勝ち取れて、今後の議論もスムーズに行く。草浦くんだって助かるんだ。残りの人狼も、城白さんの能力を使えば簡単に見つかるはずだし、もしかしたら明日には人狼ゲームが終わる可能性だってある。そうなったらハッピーエンドだ。最低限の死人だけで済む。そうだ、それで良いじゃあないか。何も難しく考える必要は無かったんだ。黒船くんは殺人鬼で、墓石さんは黒船くんに殺された被害者。草浦くんは事件に巻き込まれただけ。なんだ、簡単じゃあないか。黒船くんのただならぬ雰囲気に臆してしまったけど、一旦整理してしまえばなんてことはない。虚仮威しだ。そうだ、僕には城白さんという心強い味方がついているんだからビビる必要なんて無かった。ただ城白さんを補佐し、城白さんの言う通りに動く。それだけだ。それだけで良いんだ。そうしていればどんなやつが出てきても勝てるし、GMだって倒せる。操り人形になったって構わない。僕は道具だ。使い潰されても本望。ただそれだけだ。だから今回も、黒船くんを殺すべきなんだ。城白さんが殺すべきだと言えば、僕はなんの躊躇いもなく黒船くんを――。


「道宮くん、草浦くんを殺すべきよ。」


「分かった、草浦くんに投票するよ。」


 ………………あれ?


「み、道宮……お前……。」


 なんで草浦くんなんだ? だって、黒船くんは人狼で、そっちを吊った方が……。ま、良いか。城白さんが言ってるんだし間違いはないだろう。


「どうやら4対5で僕らの勝ちみたいだね。GM、投票の時間だよ。」


「はいはいはーい。やっとですか~。じゃ、お手元のタブレット端末から処刑したい人の名前の下にある投票ボタンをタップしてね。あ、無投票は許されないよ!」


 僕は迷わず草浦くんに投票をした。何も迷う必要は無い。だって城白さんがそう言ったんだから。


「お、早いねぇ。もう投票が終わったよ。じゃ、ちゃっちゃか結果発表といこうか。」


 GMの声はどこか嬉しそうで、それに若干の苛立ちを覚える。だけどそれ以上に、言い表せない不安感が僕の胸の中に蔓延していた。その不安感を押さえつけながら、僕はGMの声に耳を貸す。


「今日処刑されるのは~、デケデケデケジャーン! 草浦くんで~す!」


 途端に、壁から草浦くんに目掛けて何かが射出される。それは人の腕ほどの太さの針であった。それが草浦くんの小さな体に貫通している。


「……え?」


 悲鳴が上がった。誰の悲鳴かは分からなかった。唐雲さんだったような気もするし、草浦くん本人の声だったような気もする。そして血の臭いが辺りを支配し始めた頃、2本目の針が射出され、草浦くんの肉体を切り裂いた。


「や、やめろ!」


 久留宮くんが叫びながら草浦くんに近づく。体に刺さった針を掴み、必死に抜こうともがいていた。


「痛い! 痛いよ!」


「こらこら、久留宮くん危ないよ〜。間違えて君に刺しちゃったらどうするの?」


「うるせぇ! こんな、こんなこと許されて良いはずがねぇんだ! クズが! 外道が!」


「ボクチンの神エイムを見せてあげよう。キャンキャン吠える子犬を躱して〜、今だ!」


 3本目の針が発射された。それは久留宮くんの腕の隙間をスルリと通って、草浦くんの肩に突き刺さる。絶叫が会議室にこだました。


「助けて……誰か……。」


 胸、脇腹、肩から出血し、顔から汗と涙と鼻水を滴らせ、地面に這いつくばることしか出来ない子供に、4本目の針が狙いを定める。


「草浦、草浦!」


「残念。これは処刑だからね。誰も君を助けてはくれないよ。ま、そりゃあそうか。だって君は殺人犯だもんね!」


 僕はその処刑を黙って眺めていた。城白さんも同様だった。彼女は草浦くんの死に様を目に焼き付けんばかりに凝視していた。

 

「じゃあ、これでおしまい。あの世で墓石さんと仲良くね〜。」


 GMの言葉でようやく我に返った藤田さんと唐雲さんが草浦くんの下に駆け出す。しかし彼女達が彼を庇うより前に、GMは4本目の針を射出していた。


 その針は、久留宮くんの頬を僅かに切って、うずくまる草浦くんの頭部に深く突き刺さった。人の体から聞こえてはいけないような鈍い音が聞こえて、草浦くんの体が数回痙攣した。そして草浦くんは、動かなくなった。


「いや〜、ボクチンFPS得意なんだよね。特にガキ相手にVCで煽りながら死体撃ちするのはサイコーだよ。」


 そして5本目の針が天井から撃ち降ろされた。5本目の針は今までの針の数倍の太さで、草浦くんの頭部をスイカみたいに叩き割った。果汁のように脳漿が溢れたが、それは辺りに散らされた血液と混じって見えなくなる。普通に生きていたら当然見ることなど無い、人間の頭の中を余すことなく見せつけられた。


「爽快、爽快。じゃ、これにて今日の議論及び処刑は終了! いやぁ、いよいよ人狼ゲームが始まった感じがしてきたよね。」


 慣れない。慣れる訳が無い。さっきまで喋っていた人が液体を流すだけの肉塊になるのは。吐き気がする。頭も痛い。心臓は体を虐めるように早く動く。


「しかししかししかーし、まだ気を抜くんじゃあねぇぜ! 夜は人狼の襲撃がある! せいぜい怯えて寝やがれってんだ! じゃあ、ボクチンはこの辺で! 今日は良い夢見られそう。」


 冗談じゃあない。こっちの気も知らないで。昼食べた物をぶちまけないように必死なんだぞ。喉でなんとか防いでるんだぞ。文句のひとつも言えずにこのままなんて……。


「う……ぁ……。」


 誰かが吐いた。それに釣られて、また別の誰かも吐く。なんとか耐えたとしても、体の震えが止まらない。頭は痛いし熱もあるし、耳鳴りだって聞こえる。城白さんは、大丈夫だろうか。いや、今はそれすら気にすることが出来ない。とにかく自分のことでいっぱいいっぱいだ。辛い。苦しい。耐えられない。


 その時だった。うずくまる僕の手を、誰かが握った。感触で女性だと分かった。城白さんだ。そう思うとなんだか気分が落ち着いてきた。目の前の惨状から逃れるためには、なんとかこの部屋から出ないといけない。この部屋から出るには、まずは歩けるようにならないといけない。そのためにまずは深呼吸だ。冷静になれ。ただし鼻呼吸はダメだ。臭いを吸ったら逆効果だ。


 しばらくすると落ち着いて、歩けるくらいまで回復した。僕はたどたどしく歩くことしか出来なかったけど、手を引かれながらなんとか会議室の扉付近までやって来れた。


「あれ? もう行っちゃうの?」


 そんな僕を呼び止めたのは黒船くんの声だった。無視しようとも思ったけど、僕を引く手が止まったから、僕も立ち止まるしかなかった。


「せっかく皆の分も用意したのに。あ、もしかしてお腹空いてなかった?」


 振り返ると、そこには信じられない光景があった。黒船くんが丼ぶりにチャーハンを盛って食べていたのだ。それも、草浦くんの死体に座って。


「美味しいよ。冷凍食品だけど。」


 スプーンですくってそれを口に運び、頬張る。そして足を楽しそうに揺らすのだ。服が血で汚れるのも気にせずに。


「狂人め。」


 僕の口から吐瀉物が漏れないように吐ける罵倒はそれが精一杯だった。


「僕は狩人だけど?」


 これ以上ここにいたら本当に吐いてしまうと悟った僕は、城白さんの手を引いた。彼女は僕の意図を汲み取ると再び歩き出す。


 こうして僕達は会議室から出ていった。ただ、僕がエントランスロビーに足を踏み入れた瞬間、背後から聞こえた黒船くんの声が最後に僕の心を突き刺した。


「ま、君には言われたくないけどね。」

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