第7話 最初の議論

 こういうのを終焉の鐘の音と言うのだろう。GMは僕に容赦なく、タイムアップを告げた。脱出ゲームの時間はここまでだ、と。ここからは人狼ゲームの時間だ、と。


 食堂に集まった僕らを向かえたのはいつもの不快な声だった。


「という訳で、いよいよ最初の議論ですね。皆様は食堂真ん中にある大テーブルを囲むように座ってください。」


 僕らはGMの指示に従って座った。僕はすがるような気持ちで、佐々木さんの右隣に座った。僕の右隣には城白さんがいる。彼女は一切怯えた様子を見せず、堂々と座っていた。僕は思わず北野くんの言葉を思い出してしまう。彼女は自分が、仲間が死ぬかもしれないこの状況が怖くないのだろうか。これが価値観の相違というやつなのだろうか。


「えー、説明をしますね。まず、この議論は基本的に結論を出すまで終わりません。ですので、君達が誰も殺したくないというのであれば、大人しく餓死を選んでください。あ、もちろん議論中の居眠りや飲食、退室は即射殺だからね。」


 つまり僕らの体力が持つまでは議論を引き伸ばしにすることができるという訳だ。


「で、議論はまぁ皆で話し合って人狼を探してねってだけなんだけど、ご存知の通りこの館には時計が無いです。なので時間指定のCOとかは各々で工夫して頑張ってください。」


 突然、食堂の出入り口から昨日見たロボットが入ってきた。そいつは緩やかな動きで、食堂の前の方に置いてある小さなテーブルに白い箱を置き、その箱の近くに何枚かの紙とえんぴつを置いた。


「それは投票箱と投票用紙です。処刑したい人間の名前を書いて、その中に入れてください。あ、もちろん入れなくても良いですよ。その人は棄権ということになります。投票結果はそのロボットがボクチンの元に帰ってきてから発表することになるので、ちょっと待ち時間ができちゃうからね。あらかじめ知っておいてね。」


 長めの前置きをした上で、GMは意気揚々と高らかに宣言した。


「では、議論開始!」


 ついに議論が始まってしまった。誰かが死ぬ。人狼ゲームとはそういうものだ。人狼の襲撃は狩人の手によって防がれることもある。だけど市民の処刑は防ぎようがない。特殊な役職の無いこのルールでは、市民の処刑で絶対に1人は死ぬことになる。以前の僕ならこれは生け贄のようなものだと思っていただろう。皆で協力して脱出するための時間稼ぎ、その生け贄。しかし今はそう思わない。羽田くんは言っていた。今の状況は、誰かが死ねば瓦解すると。


「で、何から話すよ?」


 沈黙を破ったのは車海老くんだった。彼の表情にも不安は映っていて、それは波が水面を揺らすように広がっていった。


「とりあえず、役職を出すところから始めよう。人狼ゲームの定石だからな。」


 序盤の役職出し。いわゆるCOタイムってやつだ。人狼ゲーム開始時、役職を持っている人は自身が持っている役職を宣言することで、自身が疑われたりするのを防いだり、狩人が守りやすくしたりできる。ほとんどのルールでこれは行われており、僕もこれが行われていない人狼ゲームを見たことが無い。


「では、役職を持っている人はCOしてくれ。」


 北野くんの言葉に2人挙手した人がいた。


「橋と中内か。それぞれ役職は?」


「私は霊能者。」


「私が占い師です。」


 橋さんが霊能者、つまり死んだ人が人狼かどうか分かる役職だ。そして中内さんが毎晩1人を選んでその人が人狼かどうか知れる占い師だ。そして他に手を挙げた人間はいない。


「妙だな。潜伏狂人か?」


 狂人は市民陣営を引っ掻き回すのが役目であり、霊能者や占い師などの役職を騙って出てくることが多い。というかほとんどそうする。しかし今は霊能者も占い師も1人ずつ。つまり偽物がいないので、確定真ということになる。こういう狂人が出てこない、見えない状況のことを潜伏狂人と呼ぶんだ。


「しかし、役持ちが確定したのは嬉しい。さぁ、ここから議論を進めていくぞ。何か意見を出せ。」


 北野くんも金本くんも、自分の得意分野になると途端に調子に乗り始める。彼らはきっと同じタイプなのだろう。どっちもすごい人であることには変わりないんだけどね。


「意見を出せっつってもよぉ、何を言やぁ良いんだ?」


「怪しい人なんて……分かる訳ないですよ。」


 それはそうだ。普通の人狼ゲームならともかく、これは自分や他の人の命が賭かった人狼ゲームだ。人狼が誰かなんて推理するのすら躊躇ってしまう。


「こういうのは初日に占いができるはずだが、占い結果を出さないということは初日占いはできなかったんだな?」


「うん……できなかったよ。」


「おそらくですが、昨日は人狼ゲームが始まっていない状態だったのではないでしょうか?」


「つまりこの議論開始を以て人狼ゲームの開始とするってこと? じゃあ今日の処刑はルール上無くない?」


「えー、えー、本日の処刑はルール上存在します。何故ならボクチンがルールだから!」


 なんという理不尽だ。人狼ゲームは開始時に占い師が1人の白黒を知った状態で始まる。狂人が占い師を騙れば、狂人は嘘を吐かなくてはならなくなる。だからそれらの情報を元に推理したりできるんだけど、今回はそれができないルールだと言っているのだ。市民陣営に不利なルールだ。これを理不尽と言わずしてなんと言う。


「占い師による要素も無しじゃあ本格的に議論なんかできないじゃあねぇか。」


 皆が黙った。当然だ。こんなのじゃあ議論なんてできないからだ。


「人狼ゲームの観点から情報が落ちないなら、別の視点から物事を見てみたらどうかしら?」


 そう提案したのは城白さんだった。


「別の視点から?」


「初日に役職カードが配られたでしょう? あれは自分の個室に自分しかいない場合にしか役職が表示されない仕組みになっているみたいなの。つまり、昨日と違って今日は朝から全員自分の役職が分かっていたということよ。」


「ってことは、今日怪しい行動をしてたやつがいたら人狼ってことか?」


 今日怪しい行動をしていた人が人狼。それを聞いたら、北野くんはあのことを言うだろう。そうなった時、僕は北野くんを止めた方が良いのか? いや、止めなくてはならない。僕は自分の行動に、後悔を残したくない。


「でも今日怪しい行動をしてた人なんていなかったネー。皆で脱出するために死力を尽くしてたネー。」


「いや、僕には心当たりのあるやつがいるぞ。なぁ、さっきからやけに静かなやつがいるだろう?」


 そう言って北野くんが睨み付けたのは金本くんだった。


「羽田と道宮にはもう話したが、金本、お前爆弾を作る時にわざと扉が破れないギリギリの威力に調整したんじゃあないか?」


「……そう思う理由を聞こうか。」


「まず爆弾について知識があるのは金本と佐々木だけだ。そして爆弾に使う火薬の量を決めたのは金本だった。」


「火薬は扉が確実に破れ、かつ館が崩れない程度の量に調整したと説明したはずだが?」


「それが嘘じゃあないかと言っているんだ。扉を破れない程度の威力に調整していたとしても僕らの誰にもそれを知る方法は無い。」


 本当にそうだろうか? 仮に金本くんが嘘を吐いていたとしても、本当に誰も知ることはできないのだろうか? いや、それは違う。


「佐々木さんなら知ることができたんじゃあないかな? こういう計算って何人かで同じ計算をして答えが一緒か確かめることが多いはずだよね? 金本くんもその計算の結果を佐々木さんに共有していたら、金本くんが爆弾の威力を調整した線は無くなるよね?」


「確かにワタクシは金本様と計算結果を共有しております。爆弾の威力は確かに扉を破れるはずでした。」


 佐々木さんがそう証言すると、北野くんは一瞬沈黙した。しかし何かを思い付いたように天井を向いて声を掛けた。


「おい、GM。今日の時点で人狼は相方を把握しているのか?」


「しているよ。昨日の夜に人狼の2人を呼び出しているからね。」


「なるほどな。つまり、証言者が2人になったからといって安心して良いことにはならないようだ。」


「こ、今度は佐々木さんまで疑うって言うの!?」


「僕は誰も信用していない。全員を平等に疑うぞ。」


 北野くんは金本くんと佐々木さんが人狼で、結託して爆弾の威力を扉が破れない程度に調整していたと、そう言っているんだ。


「道宮は佐々木と楽しげに食事していたが、それは人狼が味方を増やすための作戦だったのかもしれないぞ?」


 そんなことあり得ない。佐々木さんは自分が死ぬことは怖くないって言っていたんだ。もし佐々木さんが人狼だったら、そんなことは言わないはずだよ。もし人狼である自分が死んだら相方に負担を強いてしまうからだ。


「な、なぁ。そもそもその2人が人狼だったとして、脱出に協力しないメリットってなんなんだ? 爆弾で扉を破って出ちまえば人狼とか関係無いのによぉ。」


「さっきGMが昨日の夜に人狼2人を呼び出していると言っただろう。その時に人狼にある情報を伝えたんじゃあないかと僕は思っているんだ。」


「その情報って何ネー?」


「それは、この館から無理矢理脱出しようとすると皆殺し、という情報だ。これなら話の筋が通るだろう?」


「おい、貴様。それはただの想像だろう? 情報を与えられたという根拠が無ければ、机上の空論だ。」


 雰囲気は重苦しかった。


 北野くんと金本くんは睨み合い、佐々木さんや橋さんは無表情で、羽田くんと車海老くんは困惑した様子で、ブラスさんと中内さんは辛そうだ。


「このままでは話は平行線よ。覚えていることを元に論理的に思考して何か意見を出して。」


 覚えていることを元に論理的に思考。それをするにはまず、今日の出来事を思い出そう。


 今日は朝起きて役職カードを洗濯してしまった。その時に役職カードを壊してしまったかと思ったけど、役職カードは防水性能に優れていたため壊れていなかった。そのまま食堂に行って、朝食前に皆と話し合いをして……その時僕は城白さんに人狼ゲームの説明をしたんだ。それで倉庫から脱出に使えそうな物を見つけて扉を破ろうって話になって、僕は倉庫に向かった。そこで丸太を見つけて、ブラスさんと車海老くんと僕で扉を破壊しようとしたんだ。だけど、それは失敗に終わって、その後に城白さんと中内さんと橋さんが来て、扉を溶接機で溶かそうとしたんだ。それも失敗して、その次に金本くん、佐々木さん、羽田くん、北野くんが来て爆弾で扉を破ろうとしたんだよね。それも失敗で、そのまま昼食になって、昼からは特に進展が無くて、今に至るって感じだよね。


 そこまで考えて、僕は違和感に気づいた。そうだ、これじゃあ北野くんの主張は通らないんじゃあないか? だって、金本くんと佐々木さんは、知らなかったんだから。


「北野くんは、金本くんと佐々木さんが爆弾の威力を扉が破れないギリギリに調整しているって言ったよね?」


「あぁ。そう言った。」


「それはおかしいよ。だって金本くんと佐々木さんが爆弾の威力を扉が破れないギリギリに調整することなんて、できないんだから。」


「できない、だと?」


「うん。僕とブラスさんと車海老くんは、丸太を扉に3回ぶつけているんだ。確かにあの扉は頑丈だったけど、あの大きさの丸太を3回もぶつけられたら、耐久性も下がるはずだよ。」


「金本と佐々木が爆弾の威力を扉が破れないギリギリに調整していたら、丸太をぶつけられ耐久性の下がった扉は壊れてしまう。そうなっていないということは、爆弾の威力を扉が破れないギリギリに調整していた可能性は無くなるという訳か。」


「でもあの丸太がぶつけられたことなんて、館中の誰でも分かることだったよね?」


 口を挟んだのは橋さんだった。


「私も聞いたもん。3回、重い物がぶつかるような音をさ。館中に響くような音だったから、どこにいても聞こえるだろうし、それを聞いた後で計算をし直して爆弾を作った可能性もあるじゃん。」


 確かに丸太で扉を叩いた音はとても大きかったし、聞いていたとしても不思議じゃあない。だけどその音を聞いたのが爆弾を作り終わった後だとしたら、その理屈は通らなくなる。そしてそれは当の本人が知っているはずだ。


「ねぇ、北野くん。一緒に作業していたなら分かるんじゃあないかな? 爆弾が完成したのは、丸太で叩いた音がした前だったの? 後だったの?」


「……爆弾本体が完成したのはあの音が鳴る前だった。爆発させるスイッチを作ったのはあの音が鳴った後だったが、さすがの僕でもスイッチで爆弾の威力を調整できると思うほどバカじゃあない。」


「つまり金本くんと佐々木さんは丸太が扉にぶつけられる前に爆弾を作っていた。その時点で2人は丸太が扉にぶつけられることを知る方法は無かった。人狼は2人しかいないんだし、人狼と狂人はお互いに正体を知らないからね。それに丸太は僕が偶然見つけた物だったから、爆弾を作る時点で丸太による扉の損傷を計算に入れるなんてことはできないんだよ。」


 自信満々な僕の態度とは裏腹に、皆は困惑した様子だった。


「金本と佐々木さんの無実が証明されたってことはよぉ、結局議論が最初に戻っちまったってことにならねぇか?」


「無実ってだけで、確実に人狼ではないと言い切れないからネー。議論開始時から情報量は増えてないネー。」


「だけど……他に怪しい行動をしてた人なんていませんよ。」


 認めたくないけど、実際そうだ。結局何も解決していないのと同じなんだ。そもそも人狼ゲームで良くやる、一旦適当な人を吊って様子を見るって行動ができないから、こんなにも議論が難航しているんだ。


「このままじゃあ、議論は進まない。もういっそ皆で思い思いに投票してみたら? どうせ投票先は公開されないんでしょ?」


「まぁ、投票先は公開しませんよ。票数は公開しますけどね。」


 橋さんの恐ろしい提案に、僕は震えた。


「あの……橋さん、仮にも仲間なんですからそういうのは……。」


「私だってしたくないよ、こんなこと。でも仕方ないじゃん。結局これ、誰かを犠牲にしないと進まないんだよ。」


 僕も薄々勘づいていた。GMが僕らに殺させようとしていることくらいは容易に想像できる。想像できるからこそ、それに抗ってやりたいと思ったんだ。だけどいまだにこの状況の解決策を思い付いていない。


「あ!」


 唐突だった。羽田くんが顔を上げ、何かを思い付いたように声を出したのだ。


「皆、聞いて欲しいんだ。この状況を、いや、このゲームを打破する方法を思い付いたよ。」


 このゲームを打破する方法?


「GMの言葉を聞いてて思ったんだ。確かGMはこの議論は結論を出すまで終わりませんって。この結論っていうのは誰が人狼だと思うかってことだと思うんだけど、結論を出すまで終わらないってことは結論さえ出してしまえば終わるってことだと思わない?」


「人狼どころか怪しい人すら見つけられないのに、どうやって結論を出すと言うのだ?」


「誰でも良いんだよ。僕でも、誰でも。誰かが人狼だと思うって結論を出しさえすれば良いんだ。結論を出しさえすれば、投票する必要も無いんだよ!」


 投票する必要が無い?


「GMは棄権を認めていた。つまり全員棄権すれば、誰も処刑しなくて良いんだよ。」


「なるほど。確かにそうじゃあねぇか。」


「回りくどい表現などせず、始めからそう言えば良いのだ。」


「でも、全員棄権って、投票用紙とかどうするネー?」


「投票箱にも投票用紙にも誰も近づいちゃあいけないよ。そしてこの状態で結論が出たものとして議論の終了を宣言するんだ。GM、できるよね?」


 いつもはウザいくらい早く返答をするGMが、今回は3拍ほど黙した。そしてGMは言った。


「良いよ。」


 その言葉は、黒く濁ったような雰囲気を纏った不気味な声で紡がれ、僕はここに来てから1番の戦慄をした。まるで蛙が蛇に睨まれたかのような、それほどまでに生を脅かす死の気配を漂わせていた。


「では2日目の議論を終了します。」


 GMの言葉と共にロボットは投票箱と投票用紙を回収し、食堂を出ていってしまった。それを見ながら、僕は間違った選択をしてしまったんじゃあないかと思い始めていた。


 そして、GMは人狼ゲームの象徴とも呼べる文言を読み上げていく。


「本日処刑される人が決まりました。」


 今日処刑される人はいない。全員棄権しているんだ。誰も投票していないんだ。だから殺される人はいない。


「本日処刑される人は……。」


 そう、処刑される人はいないはずなんだ。だと言うのに、僕の胸の中の不安は急速に膨らみ始め、それが風船のようにパンパンになる。破裂寸前というところで、GMは宣言した。


「佐々木佐々さんです!」

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