第6話 それは価値観の相違

 食堂に行く前に、僕は1度倉庫に戻った。ティーバッグを取りに来たのだ。佐々木さんにあげるために、1つだけダンボールごと床に置いて分かりやすくしていた。そのためすぐに見つけることができた。僕はダンボールいっぱいに入っているパックを1つ持って倉庫を出た。1つのパックに数杯分のティーバッグが入っている。あんまりたくさん持って行ってもかさばるし、1つだけで良いだろうと判断した。


 倉庫を出て、先に厨房に向かった。厨房では北野さんが冷蔵庫を漁っていたので、邪魔しないようにコップを取り、ついでに僕も食べられそうな物を探した。食器棚の下の木の扉の中にカップうどんがあったので、僕はそれを手にした。パッケージに記載されている通りに沸かした水を入れて3分待った。その間に箸も取っておき、ついでに北野さんが食堂に戻ったので冷蔵庫も漁っておいた。冷蔵庫には特に何も無かったが、アレックス・ブラスと書かれた紙が貼り付けられた魔法瓶が置いてあった。僕も冷たい水が飲みたくなったら真似しよう。


 そうこうしている間にカップうどんが出来上がる。僕は厨房を後にし、食堂でコップに水を注いだ後、辺りを見渡した。


 女子3人集が集まって食事をしている以外、皆1人で食べているようだった。


「佐々木さん、隣良いかな?」


「ええ、良いですよ。」


 僕は佐々木さんの隣に腰を降ろした。


「倉庫でティーバッグを見つけたから持ってきたんだ。」


「ティーバッグですか。ワタクシ紅茶も嗜む身でして、実にありがたいです。」


 僕は佐々木さんと一緒に適当な話をしながら昼食を過ごした。話の内容はお互いの実生活のことだったり世間話だったりで、現状について触れたりはしなかった。


 しばらくすると僕の方が先に食べ終わった。口に合わない紅茶を流し込みながら佐々木さんの話を聞くことに徹する。すると、ふと佐々木さんがこんな言葉をこぼした。


「道宮様は、GMの目的とは何だと思いますか?」


「GMの目的?」


 考えたことも無かった。というより、考えなくてもこういうのは享楽のためと相場が決まっていると思っていた。この光景を金持ちに中継してお金を稼いでるとか、そんな感じの。


「ワタクシは思うのです。何故GMは命を賭けたゲームに人狼ゲームを選んだのか、と。」


 例えば一般的な創作物で見る命を賭けたゲームと言えば、VRMMORPGだったり、だるまさんが転んだだったり、電気の流れた鉄骨を渡らされたりだとかそういうのが思い浮かぶ。


「リアル人狼ゲームは数日に渡って行われます。他のゲームよりもテンポが悪い。仮に隠しカメラなんかがあったとして、生中継されていたとしたら、明らかに他のゲームの方が映えるでしょう。」


 確かにそうだ。人狼ゲームで1日に死ぬのは、市民による処刑で1人、人狼による襲撃で1人で合計2人だ。他のゲームならもっとポンポン人が死ぬだろうし、そっちの方がこれを見ているであろう富裕層も満足するだろう。


「GMは人狼ゲームにこだわりがあるとか?」


「ワタクシもそう思います。人狼ゲームである理由が他に見当たらないのでございます。」


 だとしたら、GMはよっぽど人狼ゲームが好きなやつなんだ。だけど人狼ゲームが好きな人間が、自分は参加せずに傍観するだけなんて逆に辛いんじゃあないか?


「まぁ、どっちにしても今はここから脱出することを考えようよ。」


「そうでございますね。今日より1人ずつ処刑が始まってしまいますので、全員で脱出するためには夕方までに扉を破らなくてはいけません。」


 それはGMの用意したタイムリミットみたいな物だった。夕方までに脱出が間に合わなければ、ゲームが始まってしまう。ゲーム開始後でも脱出することはできるだろうけど、皆で生きて出るためにはゲームが始まる前に扉を破る必要がある。そのことを思い出した僕に、すぐにでも行動しなくてはならないという焦りが生まれた。


「僕、倉庫に行ってくるよ。」


 金本さんと協力して、さっきのやつより強い爆弾を作れば、今度こそ扉を破れるかもしれない。そう思って席を立とうとした僕を、佐々木さんは制した。


「お待ちください。休憩は大切でございます。それに、探すのであれば皆様と探された方が良いかと思われます。GMがこちらに手を出してこないという保証はありませんので。」


「でも、急がないと夕方に……。」


「急ぐことと焦ることは違いますよ。気持ちは分かりますが、落ち着いてください。まだ先ほどの疲れも取れていらっしゃらないのでしょう?」


 有無を言わせず佐々木さんは僕を座らせ、諭すように言った。


「大丈夫でございます。いざと言う時には、ワタクシ達大人があなた方を守ります。」


 佐々木さんはそう言ってくれたけど、最年長の北野くんだって23歳だ。僕と6つしか違わないし、大人と言ってもまだまだ若い。子供だからって守ってもらうだけなんて、僕には耐えられない。


「仮に夕方までに脱出が叶わず、ワタクシ達の誰かが犠牲にならなくてはいけない時、ワタクシはこの身を捧げる覚悟ができています。ですので、もしもそうなったとしても、道宮様は変わらず脱出の方法を模索してください。」


「そんなこと、できないよ。」


「では、ワタクシが死ねば道宮様は脱出ではなくゲームのクリアを目指されますか?」


「それも、できないよ。」


「では道宮様にも自らの命を断つ覚悟があるのですか?」


「それは……。」


 言い淀んでしまう。それが現実だった。僕は非力だ。体力も無いし、知識も無い。皆が脱出のために、自身の長所を活かして努力していても、僕には何もできない。僕には誰かを守る力も、誰かを切り捨てる勇気も、自分を殺す覚悟も、何も持っていない。なんの能力も才能も持ち合わせていない。だから今もこうやって、俯いていることしかできないんだ。


「ワタクシは、道宮様に生きて欲しい。あなた様は優しいお方ですからね。何より、ひた向きに目標に向かって歩み続ける姿には好感が持てます。」


 僕の頭に手が乗せられた。その手は暖かくて、優しい感触がした。


「道宮様がどう考えるかはお任せしますが、人が生きることは悪いことではありませんよ。例えそれが、誰かを犠牲にした上での生だったとしても。高校の入試だって、だいたいそんな感じじゃあありませんでしたか?」


 僕は何も言えない。不意に手が僕の頭から離れる。僕は思わず顔を上げた。佐々木さんは笑顔を見せていた。それはモナリザの表情にも似ている、神秘的な微笑みだった。


「話をしている間に、皆様倉庫に向かわれた様子ですね。ワタクシ達も参りましょうか。」


 いつの間に食堂から他の皆の姿が消えていた。時計が無いから時間が分からないが、今は午後2時とかだろうか。休憩は充分取った気がする。


「うん。そうしよう。」


 僕は佐々木さんと厨房で食器を洗った後、倉庫に向かった。その途中、2階に続く階段から、車海老くんが降りてきた。


「お。お2人さん、今から倉庫?」


「そうだよ。車海老くんは?」


「俺は今から飯かなぁ。ちょっとベッドに入ってたらいつの間にか眠っちまっててよぉ。」


 彼はそう言いながら大きなあくびをした。心なしか髪型もさっきより乱れているような気がする。寝癖が悪いのだろうか。


「どしたよトッシー、俺の髪型気になる?」


「あ、いや、そういう訳じゃあないけど。」


「良いだろこれ。ポニーテールブレイズって言うんだぜ。真似して良いぞ。」


「セット大変そうだし遠慮しとくよ。」


「お、そうか? まぁ確かにセットは大変だな。今日の朝とか大変だったぜ。なんかドライヤーとか無かったしよぉ。」


 昨日ちゃんとお風呂入ってたんだね。1日くらい入らなくても気にしなさそうなタイプなのに。


「じゃあ、僕達は行くよ。1人になる時はGMに気を付けてね。」


 そう言って車海老くんと別れた僕らはすぐに倉庫に辿り着いた。そこでは入り口付近で羽田くんと北野くんがうんうん唸っていた。


「探索を再開したは良いが……水素とか粉塵とかどこにあるって言うんだ?」


「水素なんてわざわざ保管しないし、そもそもあの爆弾で無理なら粉塵爆発でも扉は破れないよ。」


「そもそも僕には爆弾に使えそうな物とか分からん。僕は人狼ゲーム日本一位なのであって、理系には精通していないんだ。」


「僕なんてまだ16歳だよ。どこの中学校が理科の時間に爆弾の作り方を教えてくれるってのさ。」


 そう言いながら2人で覗き込んでいるのは本だった。図書室から持ってきたのだろうか? タイトルを見るかぎりだと、化学についての本のようだ。


「お二方、金本様はどちらにいらっしゃいますか?」


「あ、佐々木さん。ちょうど良かったよ。金本さん以外にマトモにこういうのが分かるの佐々木さんだけだったからさ。」


「僕らは金本に言われて本で材料に目星を付けてから探すことにした。金本なら倉庫の奥の方に行ったぞ。」


 北野くんは倉庫の右奥を指してそう言った。


「分かりました。ワタクシは金本様と探索を続けますので、道宮様はこちらでお二方と行動していてください。」


「分かったよ。気を付けてね。」


 佐々木さんが倉庫の棚に姿を消していくのを見届けた後、僕は羽田くんと北野くんが持っている本を一緒に読むことにした。


「道宮くんは高校2年生だよね? 結構分かったりしない?」


「うーん、別に化学は得意じゃあないからね。微妙だよ。」


 トリニトロトルエンが~とか、そういう知識は持っていても実用できるほど持っている訳じゃあない。何と何をどう反応されたら~とかも、一般的な程度しか知らないから、僕も2人と同じように本を使っていくしかない。


「火薬がもう少し多ければな。火薬ほど分かりやすい材料もそう無いだろうし、そのことが本当に惜しまれる。」


「仕方ないよ。実際扉の厚さを仮定して必要な量だけ使ったらあれしか残らなかったんだし。」


「扉の厚さを計算したのは確か羽田だったよな。お前、計算間違えたんじゃあないよな?」


「あの計算式は佐々木さんが出したものだよ。僕はそれに従って計算しただけで、僕を責めるのはお門違いさ。」


「その計算にミスがあったんじゃあないかって言っているんだ。」


 あれ、なんだか会話の雲行きが怪しい。


「……僕はこれでも羽田財閥の御曹司だよ。計算ミスなんてする訳がない。」


「はん、どうだか。というかそもそもあの火薬を全部使った爆弾を作っておけば良かったんだ。出来もしないのに小難しいことをやろうとするから失敗したんじゃあないのか?」


「火薬を全て使ったら館が崩れる危険性があるって事前に金本さんが説明してたよね!?」


「それを言ったのは金本だったよな? 佐々木は言っていなかった。何が言いたいか分かるか? 僕はあいつを信用していないってことだよ。」


「ちょっと待ってよ。僕らは同じ境遇の仲間じゃあないか。皆で協力して脱出するためにも、信じることは大切だよ。」


「脱出するためなら、信じることは大切だな。」


 僕は一瞬、北野くんが何を言わんとしているのかが分からなかった。


「だが、脱出しないとすれば、信じることは逆に自殺行為だ。」


「な、何を言って……?」


「GMの提案したリアル人狼ゲームに乗り、他のやつらを犠牲にして自分だけは生き残る……。そんな発想をする人間がいても、おかしくはないだろう。」


「そんなのはあり得ないよ。誰かを犠牲にして生きるなんて……。」


「でも、僕も正直そう考える人がいたとしてもおかしくないかなって思うよ。確かに今は皆団結しているように見えるかもしれない。だけど、1人死んだらすぐに瓦解するよ。」


 鳥肌が立った。背筋に冷たい何かがタラリと垂れた。


「昨日の時点では皆、自分の役職が分かっていなかった。しかし今日の朝からは別だ。人狼に選ばれた人間は、その自覚を持って行動するだろう。」


「でも、皆で脱出すれば、人狼だって助かるし、ここで協力するのが最善のはずだよね。」


「GMと個室で会話できることは知っているよな? もし、人狼にしか渡していない情報があったとしたら?」


 あの個室は防音性能に優れていた。でもそれはプライバシーを守るためとかじゃあなくて、人狼にだけ情報を与えるため?


「だとしたら、人狼にだけ与えられた情報ってなんなんだろうね? この館から無理矢理脱出しようとしたら皆殺し、とか?」


「それもあり得るな。そしてもし金本が人狼だとしたら、爆弾の威力を扉がギリギリ壊れない程度に調整していたとしてもおかしくない。」


 僕は愕然としていた。だってそんなの、全部こじつけじゃあないか。そして僕はGMの仕掛けた罠に、今頃気付いたんだ。何故GMは人狼ゲームにこだわるのか。その理由がこれなんだ。人狼ゲームは議論がほとんどこじつけで進むようなゲームだ。根拠に乏しくても、時には声の大きい意見が勝ったりする。ほとんどの場合において絶対的な証拠が出ない。だから憶測で議論を進めなくてはならない。人狼ゲームって、大抵そうだ。そしてそれは命を賭けた瞬間、あやふやで不明瞭な世界に自分の命を預けるということになる。


 GMは楽しむんだ。僕らが真実に辿り着くことなく、不十分な根拠で人を殺し、その選択が間違いだったことを知った顔を見て楽しむんだ。人が間違いを犯して心に傷を負う姿を見て楽しむんだ。例え生きてここを出たとしても、人を殺したという自責の念は消えない。そうやってGMは僕らを亡霊のように逃がさないつもりなんだ。


「道宮。お前は協力することが最善だと言ったが、お前にとっての最善と他人にとっての最善は違う。何故ならお前と他人の価値観は違うからだ。僕とも、羽田ともな。それを念頭に置いておいた方が良いぞ。」


 僕は協力して脱出することを最優先に考えている。だけどそうじゃあない人もいるのか? 誰かを殺してしまうことに罪悪感を覚えずにいられる人がいるって言うのか? 僕らの中に?


 冗談じゃあない、といつもの僕なら一蹴していた。でも今の僕にはそれができなかった。僕と他人の価値観は違う。僕と他人の最善は違う。今まで、日常生活でそれを感じることはあった。食べ物の好みとか、行動の優先順位とか、そういうのは確かにあったんだ。だけど、人の生死に関わることだけは皆同じだと思っていた。だけどそれは違った。実際、佐々木さんは死ぬことが怖くないと言っていた。死ぬのが怖くない人なんて、いないと思ってたのに。もしかして、他の人を殺してしまうことに、全くの躊躇いが無い人もいるのか? あり得ないと思ってしまうのは、僕の頭が悪いからなのか?


 結論は出なかった。その場の雰囲気は、後にブラスさんが合流するまでずっと重いままだった。僕らはいくつか目ぼしい物を見つけ、扉の破壊を試みては失敗し、気付けばかなりの時間が経っていた。僕の心に雲が掛かったまま、時間はあっという間に過ぎたのだ。皆で脱出できる、タイムリミット。それは突然、天井から音と共に降ってきたのだ。


「午後6時になりました。これより、夕方の議論を開始しますので、PLの皆様は食堂に集まってください。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る