2  ゲーム『マイ・チャイルド・レーベンスボルン』~その歴史は消えず、この想い出も消えない。愛も傷も、また~


 ――君の愛が私に根を張り、君の傷が私の傷になった。

    消えない傷に、息子よ。――



「神様」

 ゲームをしていてこんな声を漏らしたことなどこれが初めてだ。

 そこから先は出ずに喉の奥で消えてしまった、その言葉の続きはこうだ。

『神様、このようなことが許されてよいのですか?』

『神様、この子がいったい何をしたというのですか?』



 ようやく第二次世界大戦が終わったのだ、ここノルウェーはナチスドイツの支配から逃れたのだ。そんな政情不安定な――しかし希望に満ちているはずの――世界で、あなたは――そして私は、つまりこのゲームのプレイヤーは――一人の子供を引き取り、育てていく。

 つまるところは育成ゲームだ、愛情を抱いて子供を育てる。……『レーベンスボルン』から来た子供を。





 ナチスドイツがユダヤ人、また障害者に対して『劣等人種』とのレッテルを貼り、苛烈な迫害を加えた――あるいは『絶滅させようとした』と言ってもいい――ことは広く知られているが。

 その真逆をも試みたことは、それに比べれば知られていない。

すなわち『優等人種(と見なされたアーリア人)』を『増殖させようとした』こと。


 ドイツ国内においても生命の泉協会レーベンスボルン施設は複数存在した。それはナチス関係者と性的交渉を持ったアーリア人の未婚女性が出産するための施設(ナチスドイツはアーリア人による人口増加政策を取っており、多くの子供を作ることやレーベンスボルンからの子供を迎えることを奨励していた)とされているが。

 同様の施設はドイツ国外の占領地域にも存在した。


 ここノルウェーでもそうだ、特にノルウェー人は理想的なアーリア人的外見を備えているとされ、ナチスSS隊員とノルウェー人女性との間の子作りが――あるいは酷い言い方をすれば『量産』が――奨励されていた。



 そのための施設、レーベンスボルン。

 そこで生まれた子供を養子としたのだ、あなたは――そして私は、つまりこのゲームのプレイヤーは。戦争が終わり、ナチスドイツの支配が去ったノルウェーで、いかなる事情でか。

 レーベンスボルンで生まれた子を。血のつながりのない息子、あるいは娘を。





 ――どうしたんだい、浮かない顔をして? 学校で何かあったのかい? 

 ――え? 「『売国奴』って何?」「学校でそう言われたんだ、『売国奴』『ナチスの子供』って」

 ――……ずいぶん難しい言葉を知っているね。それは……本当に難しい言葉だ。本当に……難しい。

――いつか知るべき言葉なのかもしれないが、今、知るような言葉じゃないんだ。





 戦時中において、あるいは敵兵に身を任せるしかない女性がいただろう。

 あるいはまた、ともかくも生活を保証される彼女らを見て、売国奴と憤る者もいただろう。

 私はどちらも責めるつもりはない。責めることはできない、私が同じ立場ならきっと同じ行動を取り、あるいは同じ気持ちに駆られただろう。善い悪いではなく、その時その状況なら、そうなっただろう。



 だが。それでも。

 生まれてきた子だけは、責めてはならない。


 いったいこの子が何をしたというのだ。何をしたというのだ。

 生まれてきたことが罪だとでもいうのか! 存在することが罪だとでもいうのか! 



 ――生まれて初めて電車に乗り、「速い速い!」とはしゃぐ君を指差して「ごらん、ナチスの子供だよ」「そのお付きも一緒だ」と声をかわす人々。

 ――楽しみにしていたはずの小学校で、君をいじめる級友、そればかりか教師も。

 ――いっそのことゲーム序盤のように、一日中君といられれば良いのだが――ああ、それは迫害されて職場を追われたからだった、今は幸い別の職を得て食いつなぐことができている――。





 実際のノルウェー国内の、レーベンスボルン出身の方々は。その多くが不当に、精神疾患との診断をなされて病院に収容されるなど、あるいは国ぐるみとも取れる迫害を受けたという。

 その意味でもこのゲームは現実だ、そしてあるいは、現代に生きる我々にとっても現実であるのかもしれない。


 レーベンスボルンの子でなかったとしても、いじめというものは起こり得る問題だ。

 そして私やあなたが子を得て、その問題に直面したとき。最善を尽くせるだろうか。


 『マイ・チャイルド・レーベンスボルン』、このゲームはまるで現実だ。アイテムのコンプリートだの全て解決するトゥルーエンドだの、都合のいいものはまるでないのだ。

 ――息子よ、君にクリスマスプレゼントをあげたいけれど、こんな手作りのもので済まない。もっと立派なおもちゃを買えれば良かったのだけれど。

 ――もっと仕事を増やして収入を得れば良かったのだろうか? でも傷ついて帰ってくる君を放っておいて? いやしかし、手作りの品を作るにもずいぶん夜なべして、君を放っておいてしまった……もっと一緒に寝て絵本を読んであげれば良かったのだろうか。

 ――いつも粗末なパンや粥ばかりの食事で済まない、それを美味しいと喜んでくれる、それが本当に済まない。たまには仕事を増やしてもっといいものを……ああでも、そうして遅く帰ったときに君は傷ついて帰ってくる、本当に助けが必要なときに君を一人にしてしまった――。





 この作品は教えてくれる、愛する者のために。たとえどうあがいても、最高を得られなかったとしても。最善を希求する、そのことだけはやめてはならないのだと。



 息子よ、私は決して良い親ではなかったかもしれない。

 けれどこれだけは覚えておいてほしい、私が力を尽くして、それでも何の役にも立たなかったとしても。


 私は、君の、味方だ。君の傷は私の傷だ、息子よ。





 『マイ・チャイルド・レーベンスボルン』、このゲームの新作『マイ・チャイルド・ニュー・ビギニング』が2023年中にリリースされるという。希望を持った新たな旅立ちが。


 そこで描かれるのが息子よ、君の続きなのか、あるいは別の君なのか。それとも全く別の子供なのか。

 それは分からないが、どうであれ君のことを忘れはしない。

 君の愛は私に根を張り、花を咲かせた。痛みを伴う花を。



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