1-2  『阿・吽』(後編) 公式(?)イメージソングも語りたい!

 もう一回だけ『阿・吽』の話です。

 前半は熱く語ったので後半はざっくばらんに。


 『阿・吽』作者、おかざき真里先生へのインタビュー記事をネットで見たのですが。

 先生はこの物語の空海と最澄について、イメージソングを持っていらっしゃるということです。

 自分の作品にイメージソングを設定するって私もよくやるので、なんか親近感があって嬉しい! 


 で、気になる曲なんですが。

 空海は『Don‘t stop Me Now』(Queen)

『情熱の薔薇』(THE BLUE HEARTS)

 最澄は『Englishman in New York』(Sting)

だそうです! 


 描いていてキャラがブレそうになるときなんかも、イメージソングを聞くと「(この人は)こういうことは言わないな」「こういう言い回しをするだろうな」といった指針になる、ということです。なるほど! 役立つ! 



 空海のイメソンは今までちゃんと聴いたことがなかったんですが。タイトルからすでに……ある! 主人公感が(笑)!

 「オレを止めるなよ だって楽しんでるんだよ」と高らかに歌い上げる『Don‘t stop Me Now』。

 史実の方の感想になりますが、空海の一番凄い(というかもう、おそろしい)ところは、常に「コイツ……絶対楽しんでやがる!」というところだと思ってます。空海は名文章家としても知られていますが、その文章にはどこか遊び心があるのです。


 エリート官僚コースを勧める周囲に対して、仏道へ入ることを宣言する書『聾瞽指帰(ろうこしいき、後に三教指帰と改題)』では、儒教、道教を解説した後に仏教をそれ以上の教えと位置づけ、その道に進むことを明らかにするのですが。

 これを戯曲のような形で書いているのです(これが日本最古の戯曲)。

 何で!? 一生の進路を決めるような文書を、何でユーモアを交えて書いちゃったのこの人!? 


 私も読み下し文と現代語訳を読みましたが。文字でなく言葉――音声――としてのリズムを感じさせるダイナミックさがある名文章。それでいて様々な故事からの引用が随所にあり、教養のある書き手が教養のある読み手に向けて書いたと分かる格調もある。

 ……これを本格的に仏道に入る前の若者が書いているのである。その胆力も筆力も含め、怖ろしいとしか言えない。

 それをまるで軽々とやってみせる――オレを止めるなよ だって楽しんでるんだよ――。


 『情熱の薔薇』も、――今まで習った全部がでたらめだったら面白い――そんな歌詞の内容が、それまでの学問を捨てて仏道に入った空海に合う。また、おかざき真里先生のインタビューでは、――心のずっと奥の方――という内容が作中でいう阿頼耶識(あらやしき)――仏教における無意識領域――を思わせるのだとか。



 最澄の『Englishman in New York』は以前に聴いたことがあります。

(場違いな)イギリス流の生き方をアメリカでたった一人貫く、孤独な英国紳士の歌。その曲調には寂しさが漂うが、一方で歌詞から、主人公が生き方を変える様子はない。

 ――誰が何と言おうと自分らしくあれ――

 ――謙虚や礼儀正しさは悪評を招くかもしれないが 君は無二の人として人生を終えることができる――

 ――私は異邦人、エイリアンさ、ニューヨークの英国紳士なのさ――


 晩年の、懸命に活動しながらも不遇だった最澄を思わせる寂しい曲調。そして彼は、自らの信じた道を行くことを決してやめはしなかった。


 若き日の最澄が修行の決意を記した『願文(がんもん)』にこのような一節があります。

「愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿(じんとく)の有情、底下の最澄、(中略)謹んで迷狂の心に随いて、三、二の願を発(おこ)す」

 ――愚か者の中の愚か者である私ですが、愚かな心のままに、ここにいくつかの誓いを立てます――


 空海が仏道に向かう自分を高らかに肯定したのに対し、最澄は徹底した自己否定から、その先を見つめた。

 エンターテイナーとしての面もある空海に対し、マジメを越えた真面目な最澄。

 二人の対比はその文章からすれば史実でもあり、また作品中でも鮮やかに描かれている。

 そして最澄の願文もまた名文章なのである。




 さて。私も勝手にイメージソングを決めたので発表します。

 どっちが空海でどっちが最澄、というのではないのですが。


 『飛燕』(米津玄師)――二人が遣唐使に行き帰国するまでの前半

 『三原色』(YOASOBI)――以降の後半


 『飛燕』翼さえあれば、と、旅立ちを望みながらも嘆く主人公。やがて彼は風に呼ばれるまま旅立つ、未来へ向かって。風に煽られ、空の果てまで――。

 この歌の内容が! 唐へ向かおうと海を渡る宣言をするシーンに――別の場所にいながらもシンクロする二人の意思に――合うッ! 合いすぎるッ! 


 当時の造船・航海技術は未熟で、遣唐使の生還率は約五割。まともな奴なら希望しない、私だったら絶対行かない。

 訳ありか強制で行かされる命がけの貧乏くじ――それが当時の遣唐使。

 それを二人は。


「この国にある経典の殆どは、目を通してしまった」「この国には、我が学ぶものはもうない!」

「求める天台の教えは、海の向こうにあるのです」「法相より三論より華厳よりも、さらに究極の心の在りかがそこにある!」

「追うべきものがこの世に存在しているのだ」「それを追わずして、なんの人生か」


 先述した空海の『聾瞽指帰』の序文にも、

「目に触れて我を勧(すす)む。誰(た)れか能(よ)く風を係(つな)がん」

 ――目に映る全てのものがオレを仏道へと駆り立てるのです。誰にもそれを止めることはできません、風をつなぎ止めることができないように――

というのがあります。

 ああ、まさにそれだなあ……と。



 『三原色』別々の道に別れた二人がまた出会う。たとえ何度離れても、つながっている。その先へ――。そんな歌詞を、全てを祝い言祝ことほぐかのような、華やかな曲調で歌い上げる一曲。

 遣唐使から帰国後、最澄は突然空海のいる寺を訪れ、再会する(史実でもいきなり来ている。史実上はそれまでに直接面識があるかは不明)。その辺りのイメージソングはまさにこれ! 


 作品内では儀式をやろうと突然言い出す空海に、弟子づかいの荒い方だと苦笑する最澄(空海の下につく形で密教を学んでいる)……という、なんか少年漫画の破天荒な主役が穏やかな相棒を振り回す、みたいなシーンがあるのです。

 が、画面上は「目つきのヤバいハゲが優しそうなハゲを振り回す謎のシーン」となっております。そもそもキャラの半数近くがハゲ(※剃髪です)だからね、仕方ないね。


 この物語の終盤は二人の別離が描かれるんですが。それでも、それを越えて二人はつながっているー―そんな風に暗示するシーンがあって、やはり後半のイメージソングはこれだなあと。


 『三原色』はイメージ元の小説があって作られた曲だそうですが、その辺はまあ……。

 というか『三原色』は「恋人」「親友」「ライバル」と、あらゆる宿命の「二人が別れてまた出会う」というシチュエーションに合う万能イメソンなんや! 

 私の中では『武装錬金』で主人公とライバルが再会してのラストバトルのBGMや、ちょっと違うけど『彼女の音色は生きている』で主人公がライバルに打ちのめされた後、自らの演奏を取り戻すシーンのイメソンもこれ。なのです。



 後編まで書くとは思いませんでしたが、『阿・吽』の感想・レビューはこれで。

 次は何かやるか未定ですが、いくつか気になるものもあります。

 仏教関係はここでみっちり語ったのでしばらくおあずけで? でもタイトルだけで超気になる、『戒名探偵 卒塔婆そとばくん』とか(まだ少ししか読んでませんが)。レビューするかは未定です。


 イメージソングといえば、自作にイメージソングをつけて紹介するのもやってます。なかなか更新できてませんが、そっちは元々小説の続きを書きあぐねてるときの気晴らしに始めた随筆なので……更新してないということは小説が進んでいるという良い兆候なのですよ!(そうか?)

https://kakuyomu.jp/works/16817330650794534228

 

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