プレゼンせずにはいられない!

木下望太郎

1 漫画『阿・吽』(おかざき真里 作)  ~二人の天才のクソデカ感情がクソデカ過ぎる件~ 空海と最澄、史実を踏まえて


 空海と最澄である。

 この二人の男のことが頭から離れないのである。

 何しろ読んでしまったからだ。この二人を主人公とした傑作漫画『阿・吽』(あ・うん)をである。


 日本仏教界にとって「悟空とベジータ」みたいな二人だ。どっちかといえば空海が悟空だ。だからといって最澄が「お前がナンバーワンだ」とか言うのかといえばまた別問題ではある。


 さて、『阿・吽』について一から十まで推して推して推しまくりたいのだが、残念ながら『阿・吽』本編ぐらいの長さ(単行本全十四巻)になってしまいそうなのでやめておこう。

 代わりといってはなんだが、キーワードを絞って書かせていただきたい。

 キーワードは「クソデカ感情」「繋がりとすれ違い」である。

 必ずしもそれが『阿・吽』本編のテーマというわけではないのだが……個人的に印象的なシーンを示す言葉としてこのキーワードを設定させていただいた。


 ここから本題を語らせていただくが、いきなり終盤のネタバレである。

 空海と最澄は決別する。しかもお気持ち長文を送っての物別れだ(史実でもそうなのでネタバレも何もないのだが)。

 『理趣釈経(りしゅしゃくきょう)』という経典の貸し出しを求める最澄の手紙に対し、空海が断わりの手紙を書くのだが。

 このお気持ち長文の――否、まさに「気持ち」の――表現が凄まじい。


「最澄和尚と交往を多年にわたり重ねてきました」「松柏の緑が枯れないように 最澄和尚と私の友情も失われることがありません」――丁寧な友情の言葉を書いた手紙が、空海の部屋から風に舞い、外に落ちる。

 その手紙がまた一枚。また一枚、また一枚。また一枚また一枚また一枚。また一枚また一枚、また、また、数え切れぬ程にまた――。

 やがては空海の書き連ねてゆく字、それが重なり、重なり、やがては読めぬ程に黒く黒く、墨となり飛沫となり画面をも埋め尽くすように――。

 まるで血飛沫のようなそれは、歯を食いしばって書く空海すらも止め得ないかのように溢れ出続けた――。


 この凄み。作者・おかざき真里先生の表現力というか漫画力に引きこまれるばかりである。





 さておき、ここで一つ、直接描かれていない史実の領分の話をしよう。

 そもそも最澄が貸し出しを希望した『理趣釈経(りしゅしゃくきょう)』とは何なのかと言う話である。

 ざっくり言うと密教(空海が専門とする、仏教の一派。最澄は後追いの形でこれを学んでいる)の奥義書ともいえる『理趣経(りしゅきょう)』、その注釈・解説書である。

 ではその『理趣経』とは何か? 手元に解説書があるので、その内容を元に一部を記そう。

『説一切法清浄句門(世の全ては清浄である)』

『妙適清浄句是菩薩位(性行為による快楽も、清浄なる菩薩の境地)』

『欲箭清浄句是菩薩位(早く欲しい、と矢のようにはやる気持ちも、清浄なる菩薩の境地)』

『触清浄句是菩薩位(肌に触れたいと思う気持ちも、清浄なる菩薩の境地)』

『愛縛清浄句是菩薩位(抱き締めて我がものにしたいと思う気持ちも、清浄なる菩薩の境地)』……(以下略)

 いかにもセンセーショナルな内容である。何だこの邪教は! と思っちゃうところである。


 だが、理趣経は繰り返し述べる。

『一切法自性清浄句(全ての本質は清浄である)』――


 理趣経とは何か? あえて私見で答えるならそれは『釈迦のクエスチョンに対するアンサー』である。


 原始仏教において釈迦は「生は苦である」と語った。

 大乗仏教において龍樹は「一切は空(くう)である」と語った。

 密教はそこへ「一切は清浄である」と語った。

 釈迦のクエスチョン「生は苦なんだけど、どう生きたらいいわけ?」に対する密教のアンサーが「これでよいのです――一切は清浄です」。


 これは私見だが、あるいはそれら三者は、違う言葉で同じことを語っているのかも知れない。

 しかし、釈迦の教えをさらに先へ推し進めようとする求道者たちの熱い歴史があったからこそ、こうしたアンサーが生まれ得たのではないだろうか。





 さて、空海と最澄に話題を戻そう。

 そもそもなぜ空海が最澄の申し出を断わったのか。

 史実から見れば(その手紙への返信で語られている内容から)、「密教の奥義は文章により頭で理解するものではない。心から心へ伝えるものである」とある。

 つまり、経典を借りて読むお前のやり方は違うんじゃねえの? というものである。


 このとき、史実の空海はマジギレしている。どのぐらいガチでキレていたかというと。

 『阿・吽』に書かれているような丁寧なあいさつから返事を書き始め、丁重に最澄を持ち上げていたかと思うと、途中で突然タメ語になって批判し出すのである。

「師から受けた理趣の教えを以下に示そう。だから汝(なんじ)、よく聞け」


 ――「我・汝の間柄(オレ、オマエと呼び合う気安い仲)」という言葉があるように、汝(なんじ)という語は同格か目下に使う言葉である。決して宗派のトップが別宗派のトップに、しかも年長者相手に使う言葉ではない。それを使っちゃったのである。

「おうテメェ、オレの師匠からの教えを教えてやっからよォ、耳ィかっぽじって聞きやがれコラァ!(超意訳)」というブチキレ方である。ヤバい。


 補足すれば、釈迦が唱えた仏教は確かに、師から弟子へ――言葉にできない悟りを、悟った者から弟子へ――直接伝授する、ということを原則としている。

 一方、日本の仏教は、中国から入ってきた書物から学ぶ、という部分が多かった。

 なので、空海と最澄それぞれに言い分はあるとは言える――また現実的に考えて、宗派のトップが別の宗派の下で修行するのはちょっと……という点もあっただろう(実際にはそれまで、最澄が空海の下について指導を受けたこともある。なかなかできることではない。この辺、最澄の人物の大きさである)。





 そして、『阿・吽』の二人である。

 むさぼり喰らうかのように経典を読みふける最澄――水底のような経典の深奥、そこに手を伸ばしては経の文字列を糸のようにはらわたのように引きずり出しては喰らい、引きずり出しては喰らう――。

 そして彼は見つけた、空海の真言密教とは別の自らの道。天台宗の道を――。

 ――やがて空海はさらなる決別の手紙を書く。

 書きながら、涙を流し歯を食いしばりながら想う。

 ――「お前に必要なものは」「経典ではなく」「お前が見るべきものは」「究極の中で見るものは」

 ――「我(あ)を……見ろ」


 オレを見ろよ! 経典なんかじゃなくてオレを! 

 重い。実にクソデカい感情である。腐女子の方々なら別方面の感情をかき立てられるところであろう。

 何しろこれを書いている私の脳まで腐ってきたところである。すごく……尊いです(恍惚)。





 だが、史実にもこれとつながる言葉がある、私はそう考えている。

 それは空海から最澄への断りの手紙の中にある――『阿・吽』でもさらりと触れられている――。

「秘蔵(=密教)の興廃は、ただ汝と我(にかかっているのです)」。

 つまり「密教はなァ! 他でもないオマエと! オレだけ! たった二人にかかってんだよ!」


 重い。そして熱い。

 空海と最澄……いいよね……いい……そんな声が聞こえてきそうだが、私もそう思う。


 さて、それはそれとしてである。

 空海のこの重い熱意は、真言密教こそを最上の仏教と考える故であろう(史実において空海の著作『十住心論』などに、そのことははっきりと述べられている)。

 当時、密教こそは仏教の最新スタイルであり、最先端の仏教哲学であった。

 つまり……密教とはいわば、「釈迦のクエスチョンに対するファイナルアンサー」といえよう(密教の立場からすれば)。


 ――だから、それを。

 ――オレと、オマエで。

 ――極めて、広めようぜ。

 ――オレとオマエならできるさ。オレとオマエでなけりゃできやしない。


 ……それがあるいは史実の、そして『阿・吽』の空海の想いであったのかも知れず。それは破れた。





 『阿・吽』において、仏教は奇蹟を起こす魔法としては描かれていない。

ただ、阿頼耶識(あらやしき)――仏教におけるいわば無意識領域――で、人の心をつなぐものとして(若干SF的な意識の共有として)描かれている。

 かつてその阿頼耶識において、何度もつながりあった空海と最澄であったが。それでもその心は別の方を向き、すれ違い、道は分かれた。


 仏教において語られる、人生の苦しみの一つとして「愛別離苦(あいべつりく)」――愛する者ともいつかは必ず離れる――というものがある。

 分かっていた、分かっていたはずなのである、『阿・吽』の二人だって。いつかは離れるんだって。

 それでも、空海は泣き。

 最澄は前を見た。





 ……『阿・吽』については本当に語りたいことばかりでとても語り尽くせないのだが、この辺りで。

 ここに書いた感情の熱さ・重さばかりでなく、実際に経典に触れているかのような荘厳さ、壮麗さがある大作である。

 作者の仏教に対する造詣の深さも確かなものであり、特に空海が虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を行ない、悟りへと至る描写の的確さ(というとおかしいが)には驚嘆せざるを得ない。




(参考文献『阿・吽』『眠れないほど面白い空海の生涯』『新装版 図説 理趣経』『空海コレクション 1』『空海 生涯とその周辺』)



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 上記の『阿・吽』レビューとはビックリするぐらいかけ離れてますが! これはこれで! 楽しい(はず)!

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