第22話 失言

 暗闇の中、一人もがいている自分がいる。鳥籠に閉じ込められて、羽ばたけないように足を鎖で繋がれて、この抑えられない空腹を満たしようにも餌にすら届かない。

 ずっと遠くに見えた窓の向こうには、青空が見える。きっとあそこを出れば自由なんだ。だが、それは許されない。

 鎖をどうにか外そうとしていると、突然、頭痛と共に過去のあやまちが頭の中に流れ込んでくる。螺旋状に渦巻いた記憶が、彼女の精神に襲いかかる。


「・・・・・・けて、たすけ、て・・・・・・助けて!」


 次に目を開いた時には、花撫の顔が心配そうにこちらを覗いているのが見えた。安心した。さっきのは夢であって現実ではなく、まだ私には光があるのだと。


「大丈夫? また倒れたんだよ、みおりん。今までは頭痛からフラフラして倒れてだったけど、今回は急に倒れちゃって、頭だけでも支えられたからよかったけど」


「そうだったんだ。ごめん、また迷惑かけちゃったね」


「ううん、平気だよ。準備の方は姫鞠姉妹に任せてあるし」


「うん、ありがとう」


 ふと目線を落とすと、花撫の手に大量のティッシュが握られていた。


「あれ、それどうしたの?」


 指をさして聞いてみると、花撫は思い出したかのように笑ってみせる。


「あー、これはみおりんが寝ながら泣いていたから、拭いてあげてたの。凄く悲しそうにしてて、寝言で助けてってずっと繰り返してたから、こうして、ちゃんと片手はみおりんの手を握ってたの。大丈夫だよーって」


 本当だ。温かくて優しくて、安心する。黒原は、旧校舎の音楽室で黛澄と一緒に感じた心地良い空気を思い出した。あの時のように、不安で壊れそうな心が落ち着いていく。


「乙葉、私の秘密、最後まで聞いてくれる?」


 真剣な眼差しで、花撫を見つめる。その強く決断をした表情に圧倒され、無言で首を縦に振る。

 彼女の了承を得た上で、黒原は思い出した過去について全てを語る。話の初めは、やはりニュースで話題となった白骨死体の事。あれ、私がやったの、と口にすると彼女は冗談きついと言うけれど、真剣な顔で伝えると、嘘でしょ、と口を抑えて驚いていた。

 その後も彼女の有無も言わさず、話を続けた。頭痛で倒れた時に見た夢の話、秦野美織というもうひとつの名前、白骨化した娘の父親に過去の話を聞いて全てを思い出した事、それらを順に彼女に伝えた。

 最初は合いの手を入れて会話に参加していたが、途中からは人形に話しかけているようだった。三十分程だろうか。上手く話せない分、内容を多少省略してしまったかもしれないけど、親友の彼女に全てを伝え切ったつもりだ。


「これが、これが私の過去。思い出せずにいた中学の話」


「そう、だったんだね・・・・・・。好きな人の事を想って、そんな事までしちゃうなんて」


「怖いよね。平然と隣で歩いていた親友が、実は犯罪者だったなんて絶対嫌だよね。いつ自分も標的にされるか、分かったもんじゃない」


 黒原は、暗闇に沈んだ目をして笑顔を作る。


「とにかく、これが私の全てだよ。想像が出来なくて信じ難い話かもしれないけど、私があの事件の犯人なの。怖ければ離れればいいし、通報すればいい。その覚悟はとっくのとうに出来ているから」


 溜まった唾を飲み込んだ音がする。これらが真実なのだと、彼女が理解してくれた証明だ。空いた口が塞がらず、彼女の笑顔も引きつっていて、スカートの裾を強く握りしめて震えている。だがしかし、いつだって逃げ出せるこの状況で、花撫は席を立とうとはしなかった。


「みおりん・・・・・・話してくれてありがとう。衝撃的すぎて半信半疑なんだけど、そこまで言うなら本当なんだろうね」


 そして、スカートから震える手を離して、花撫は黒原の手を握った。


「大丈夫、私は平気だよ。ちょっぴり怖いけど、みおりんは優しくて友達思いなのは、私が一番よく知ってるから。今のみおりんが、本当のみおりんだと思うから・・・・・・大丈夫だよ」


「・・・・・・ありがとう。乙葉」


 頬に雫が流れるのを感じた。自分の意思を反して、涙が溢れているのがよく分かった。正直に話してよかったと、心から思えた。向こうも釣られてなのか、涙を流していた。それが恐怖からなのかは分からないけど、今はそういうのは考えたくない。ただ単純に、親友が寄り添ってくれている。この事実だけで、自分の中の不安は無くなっていた。


「こちらこそ、話してくれてありがとね。怖い話だったけど、すごく嬉しかったよ」


「それとね​、もうひとつ言わないといけないことがあって​」


「なになに?」


 前のめりに興味津々な彼女を前にして、黒原はあの事を伝えようとしていた。これは別に宣戦布告というわけじゃなく、ただ言わなきゃいけないと思って口にするだけ。私の本当の気持ちを。


「私、黒原美織は、黛澄翔さんの事が好きです」


「えっ・・・・・・」


 花撫は驚いた顔をしている。予想外なのは、親友が人殺しをしていた事実を告げた時よりも複雑な表情をしている事だ。でも、これも伝えておかなければ、親友に隠し事なんてしたくない。以前に黛澄の話をした時に、花撫の理性がおかしくなったのは重々承知の上で話している。だからこの反応も、予想通りだった。


「いつ、からなの・・・・・・? 黛澄くんの事を好きになったの」


「私が落合さんに酷い事をされた時に、気を使って私を元気づける為に色々してくれて。その時に好きなんだなって気付いたんだ」


 ここまでで、驚きはしていたが花撫の様子はおかしくならない。もしかすると、好きな人が変わったのか、それとも気にしなくなったのか、警戒は解かないまま話を続ける。


「日に日に黛澄さんの事を考え始めちゃって、隣にいるから意識しちゃって勉強にも支障をきたしちゃってさ」


「へえ、そうなんだ。私も黛澄くんの事を好きっていうのは、知っている上で話しているんだよね」


「うん、そうだよ。これは宣戦布告とかそういうんじゃなくて、応援して欲しいとかでもなくて、乙葉に打ち明けたくて話したの。ダメ、だったかな」


「ううん、別にいいよ。いいんだけど、白綺さんや月詠ちゃんもいるのに、何か勝算があるって事なの?」


 段々と強めの口調になってきた彼女に動じず、黒原は首を振って、ないよ、と笑顔で答えた。


「勝算がないのに好きなの? 好きなら、彼氏にしたいものでしょ、デートをして手を繋いだりキスしたり、そういうのしたいと思うでしょ? もちろん、そこまで望んでいるんだよね」


「ううん、望んでいないよ。それは上手くいったらの話で、彼は私とは合わないよ。白綺さんとか、乙葉とかの方が合うんじゃないかな。私はそういうのに全く縁がないしね。妄想もした事あったけど、無理かなって考えちゃうんだ」


 花撫は、目線を落とし握っていた手を離して、スカートの裾をまた強く握りしめる。


「それで・・・・・・そんなんで好きとか軽々しく言わないでよ」


「えっ?」


「私の好きはそうじゃない。黛澄くんと付き合って、手を繋いでデートに行きたいし、お互いの趣味を共有して毎日笑顔で過ごして、キスもしたいしエッチな事もしたい。私の好きは、みおりんとは違うの!」


 彼女の本音が見えた。自分よりも相手を思う気持ちが強くて、その気持ちを自分が話をする度に、貶されていると思っていた。だから毎回、変な態度を取っていたのかもしれない。

 そうか私が悪かったのかと、黒原は口には出さずに反省する。これ以上、何か言えば更に沸騰してこぼれてしまうと察した。


「私はね、一年の時から黛澄くんの事が好きだったの。みおりんには言ったことなかったけど、想って、想い続けて二年の時に同じクラスになって、すごくラッキーだと思った。席替えをした時、私の隣になれって願ったの。だけど、彼の隣には親友が座っていた。どれだけ悔しかったか」


「乙葉・・・・・・」


「結局、その親友も彼の魅力に惹かれて、恋愛対象として見ちゃうし、クラスには可愛い子が集まっている。もう無理だって半分諦めてるよ」


「でも、乙葉だってチャンスはいっぱいあるよ。月詠ちゃんや白綺さんよりも強い味方がいるんだもん」


 そう言って、彼女の手を握ってあげる。彼女はゆっくりと顔を上げて、笑顔をつくる黒原の顔を絶望を感じさせる顔で見つめた。


「味方・・・・・・?」


「そう、私っていう強い味方がいるじゃん」


 胸に手を当てて進言する黒原に対して、花撫は予想外な反応する。


「いや、いい。みおりんの力は必要ないから、もう関わらないでね」


 そう言って、彼女は荷物をまとめるとそそくさと出ていこうとする。待って、と止めようとしたのだが、彼女は何も言わずに出ていってしまった。伸ばした手は去り際の彼女の背中を掴むことも出来ず、握り拳をつくって掛け布団の上に落とした。


「どうして・・・・・・乙葉の為を思って言っただけなのに」


 性格がつかみにくい彼女だから、もしかすると余計なお世話だったのかと思った。だけど、関わって欲しくもないなんて、そんなのあんまりだ。

 御国香織ともそうだった。こういうちょっとした一言で仲違いをして、挙句の果てにその命を奪ってしまった。記憶喪失が関係しているのか、詳しい内容は思い出せない。確かあれは、好きな歌手の話だったような。結局、彼女を失った原因は恋敵という単純で複雑な関係で、彼女がしている事が許せなかったから手をかけてしまった。

 手が震えて、そこに血まみれのカッターが見える。


「きゃあっ!」


 くっついた虫を払うように手を振るが、ベッタリとこびり付いた血は、消えることがなかった。嫌な事を思い出してしまったと、黒原は深く後悔をした。思い出さなければ、彼女に伝えることなく今まで通りに過ごせたかもしれないというのに、好きな人の事を話す事もなかったかもしれないというのに。

 強く目を閉じてもう一度、恐る恐る瞼を開いてみると手には何もこびり付いていなかった。カッターも血もない、ほっそりとした手に戻っていた。大きなため息をついて前髪を握りしめる。


 気付くと十七時を過ぎていて、校舎から出ていく生徒の姿が目に映る。文化祭の準備はあらかた片付いたようで、日向達の楽しそうに話す姿もそこにあった。


「私もそろそろ帰らなきゃ」


 ベッドから起き上がり、教室に荷物を取りに行く。すれ違う生徒はみんな、友達と仲良く話をしていて、孤独を感じ目を向けられず、横切っていった。本当だったらこの瞬間も乙葉が隣にいる、そう思うと胸の辺りがちくりと針で刺されたような痛みを感じる。

 教室には生徒の姿はなく、黒原のバッグだけが机の横にかけられていた。カツカツと靴の音が反響して耳に入ってきて、再び孤独を感じる。

 閉め忘れた窓から入ってくる風で、カーテンが舞踏会をしている。黒板には落書きでアニメのキャラクターの顔が描かれていた。こっちを見て笑っている。それはまるで、ざまあみろと嘲笑うかのように。


 黒原はそれを消して教室を後にした。嫌気がさして歩く速度も上がっていて、家の扉を開ける時も大きな騒音を立てて、ただいま、と強めに言って、自分の部屋に入ると布団の上で涙を流した。

 親友を失う事は予想の範囲内だったが、これほど辛いものだとは知らず、枕に顔を押し付けて声を殺して泣き続けた。

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