第20話 二人で一つ
頭痛が始まった。それはまるで、沸騰してやかんから溢れ出しそうなお湯のように、記憶を閉じ込めていた蓋を押し退けようとしている。勘弁してほしい。まだ話の途中だと言うのに、頭痛が激しくなってまた倒れるようなことになれば、聞きたい事が聞けないではないか。
正座した膝の上に置いた拳をぐっと握りしめ、鼻から大きく深呼吸をする。
「大丈夫かい?」
御国は首を傾げて眉を寄せる。
「は、はい、大丈夫です」
「でも、辛そうだ。あれだったら、別の日にまた時間を作って話の続きをするよ?」
「いえ、聞かせてください。お願いします。早く自分の過去を思い出して、向き合いたいんです」
「分かった。君の意志を尊重して、話の続きをするよ。先に言っとくけど、次に体調が悪そうに見えたらそこで話はお終いね。いいかい?」
「分かりました。でも、私が止めるまでは必ず続けてください。お願いです。私は、どうしても過去を思い出したいんです。この頭痛が記憶に蓋をしているなら、無理してでもこじ開けたいんです」
黒原の強い懇願に、御国は仕方なさそうに首を縦に振る。そして口を開く。
「最後の文章から香織の人生は、幕を閉じたと考えている。疑っている訳じゃないが、最後に会ったはずの君が娘の死と何か関係があるんじゃないかと考えた。警察の捜査によると、崖の上から誤って川に落下して溺死。その後、白骨として発見された。そういう風に言われたんだ」
「それで、どうして自殺じゃないと思ったんですか?」
「香織は、いつも何か嫌なことがあった時、川の近くにある崖の上で一人になるというのが日記に書いてあった。私もずっと海外にいて、香織を一人にさせてしまっていたから、日記で知ったことなんだ」
ということは、御国香織は母親がおらず、父親の海外出張で家にずっと一人で過ごしていた事になる。そして、嫌な事があればその崖に行っては一人、現実逃避をしていた。ダメだ、全然思い出せない。
「その場所は娘にとっては秘密の場所で、よく君と二人で来ていたそうだ。ただ最後の日もそこにいたという事は、君と何かあったんだろうね。警察としてもそれを聞きたかったようなんだけど、君の記憶が・・・・・・」
「無くなっていたんですね。何があったのか忘れてしまっていて、手掛かりもなかった」
「そういうことだ。当時、君は家で泣きじゃくっていたようだ。ご両親はおらず、君だけがその家にいた。リビングの机の下で、殻にこもるようにしてね」
何かに怯えていたのか。よく分からないけど、たぶん大きな出来事があったんだ。両親がいなくなったのも、たぶんその時なんだ。だけど、やっぱり思い出せない。ただ頭痛がだんだんと強くなっていくだけで、何も変わらない。
太ももをスカートの上からつねっては、頭痛を我慢する。
「香織の日記には、こうも書いてあった。手首を切っては、命の尊さを実感していたってね。白骨死体が着ていた服のポケットに、錆び付いたカッターが入っていたんだ。もしかすると、亡くなる前にもそういう事をしていたのかもしれない。それが原因かすら分かっていないんだけどね」
「カッター、ですか?」
「ああ、君に見せる物ではないけど、警察に特別に許可をもらって撮影だけさせてもらったんだ。見せびらかすようなものじゃないけど、見てみるかい?」
「いいんですか?」
「もちろん。それで記憶が戻るんなら、いくらでも手を貸すよ」
それは〈あなたの為に〉ではなく、〈娘の為に〉であることは察するまでもなかった。
御国は、またバッグの中から薄いファイルを取り出し、中から一枚の写真を抜き取る。テーブルの上に置かれたそれには、錆付いた刃に手持ちの部分が崩れ落ちたカッターが収められていた。
「これが、香織さんが使っていたカッターなんですね。自分の手首を切るために常備していた凶器。もしかして、このカッターが香織さんを・・・・・・?」
目線だけ御国にずらして伺うように聞くと、わからないと頭をかかえる。このカッターを見た事がある。夢に出てきた女の子の首を、いとも容易く切りつけたカッターとそっくりだ。
もしこのカッターが本当に、その時に使われたものだとしたら私は、自分の犯した罪を自ら掘り返していくことになる。額に汗が滲み出ている気がする。焦りが脈を加速させ、呼吸が荒くなっている気がする。
落ち着かせようにも、上手く呼吸ができない。だけど、まだ全てを聞き終えていない。黒原は息をのみ、御国の話に耳を傾ける。
「それは・・・・・・どうかな。正直、警察にも同じ事を聞いてみたんだ。すると、こう言われた。白骨死体なんだから、それが死に直結しているのかさっぱり分からないってね。確かに、カッターには娘の血液が付着していたらしいけど、日記の通り自傷行為を行った後、崖から転落したというのなら、それはそれで自殺と断定されてしまう。困ったもんだよ」
誰かに殺されたんだと、御国はテレビで主張していた。だが、このままでは本当の真実にたどり着けないわけで、結論が自殺では御国の意に沿わない。頭に片手を当てて、笑みを見せたが目の奥は曇っていた。
「さて、とりあえずこんなものかな。もう少し情報があればいいんだけど、これ以上の情報を手に入れられなくてね。他にも同じクラスだった生徒達の家に訊ねてみたんだけど、全然話してくれなくてね。今回もダメ元だったんだ。ありがとう、美織ちゃん。話をしただけでだいぶスッキリしたよ」
「すいません、結局何も思い出せずに力になれませんでした」
「いいんだ。君のおばあちゃんから、記憶喪失に関することは聞いている。よほどショックな事があったのは確かだと思うし、もしその要因が香織に関係するというのなら、尚更辛い話を聞かせてしまったと思っているよ。謝るのはこちらの方だ。申し訳ない」
御国は、テーブルに手をついて白髪頭を深く下げる。黒原も無言で頭を下げる。
「ありがとうございました。また何か思い出したら、直接お伝えします」
「うん、そうしてくれると嬉しいな。僕もこれ以上の詮索はしないし、大人しく新しい情報が入るまで我慢しているよ」
御国は、頭を上げてまた笑顔を見せた。今度は目の奥に曇りはなく、どこか晴れ晴れとしていた。彼が言った通り、話をしてスッキリしたのだろう。これまで誰も聞いてくれなかった話を聞いてくれたというだけで、彼は救われた気持ちになったのかもしれない。
それじゃあ帰ります、と御国は立ち上がり、用意されていたお茶を思い出したかのように急いで飲み干すと、咳き込みながら、またね、と手のひらを見せた。
頭痛は御国が帰った後も続いて、服用していた薬を二錠、口に含み水で流し込んだ。肩の力も抜けて、やっと大きく深呼吸をした。
結局、思い出すことが出来なかった。でも、御国からは色々と知りたかったことを教えてもらうことが出来た。秦野美織は自分自身であり、夢に出てきた相手は御国香織、重要な証拠として挙げられたカッター。そして、自分の記憶喪失は、その間に起きた強いショックによるものかもしれない。
夢と話を繋げると、それは明白なのだが納得したくない自分がいる。納得としてしまったら、自分の、犯人である可能性が高い事実を受け入れることになる。
「どうしよう」
ため息をついて、天井を見上げる。天井に出来た模様が、葛藤する自分を嘲笑っているように見えて、くそっ、と吐露した。
それから、夏休み中はその事を忘れるようにして勉強に没頭した。花撫達は皆、用事で遊ぶ事が出来なかったのもあり、机に向かうしか無かった。勉強をして、集中力が切れればネット動画を見て、たまに図書館へ行ったりCDを見に行ったり、一人きりの夏休みだったが充実した毎日を過ごした。
ただその間、脳裏に焼き付いたように御国の話がよぎっては頭痛を引き起こしていた。
夏休みを終えて、久しぶりに学校へ向かう。この感じが懐かしく思えた。制服を着て、教科書の入った重い鞄を肩で担いで歩いていく。新鮮な空気の朝に、さえずる鳥の声がぴったりだ。
「おーい! みおりーん!」
懐かしい声に思わず振り返り、大きく手を振る。勢い良く駆け寄ってきた花撫に、安堵の笑みをこぼす。
「おはよう、みおりん。夏休みは・・・・・・充実していたみたいだね」
黒原の顔を見て、花撫は何かを察してくれたらしい。しかし、夏休みは楽しくなかったし、充実はしていない。夏休みといえば、友達と夏祭りに行ったり、バーベキューをしたり、花火をしたり、今年はそういうイベントはひとつもなかった。だからこうして、久々に会えるのが嬉しかった。
「まあ、そういうことにしておくよ」
「え、違うの? 私はね、海外旅行に行ってゴージャスなディナー楽しんできたよ。このくらいの大きなピザを家族で食べたんだ」
花撫は、腕を大きく広げてピザのサイズを表現する。タライほどのサイズ感に驚きを隠しきれず、大きいね、と瞼を大きく見開いて驚いた。ついでに、旅行先も何となく察しがついた。
「みおりんはどこか行った? 海外旅行とか国内旅行とか、もしかしてずっと家なんてことは無いよね?」
「そのもしかして・・・・・・だよ」
「え、うそ、ごめん。てっきり温泉宿に、泊まりに行ったりしてるのかと思ったよ」
「私のイメージって、そういう感じなの?」
「うん、おばあちゃんになったら、縁側でお茶と和菓子をつまんでそうなイメージ」
「まあ、否定はできないかも」
他愛のない話をする。この時間がとても恋しかった黒原は、久しぶりに家という名の牢獄から脱獄できた気分になった。
今日は始業式をやって、正午には下校する。日向や月詠、笹岼にも会えた黒原はとてもウキウキしていた。それに。
「黒原さん、夏休みは何してたの? 僕は暇でしょうがなくて、ひたすら家の中でギター弾いてたんだ。オリジナルソングとか作ろうと思ったんだけど、全然しっちゃかめっちゃかで、結局ゲームして終わっちゃった」
黛澄の、この優しい笑顔も久しぶりだった。携帯に彼の画像が入っているわけでもなく、一ヶ月見た彼の笑顔に、黒原は強く胸を打たれた。顔が火照っていく気がして、気づかれないように深呼吸をして落ち着かせる。
「わ、私もなんだ! 乙葉達は遊ぶ時間が無くて、ひたすら勉強して図書館行ったりして、何もやること無かったんだ。夏祭りもやってたのに、友達と行けないと思うと体が動かなくて。来年こそ夏祭りに行きたいなー」
そう呟くと、彼は身を乗り出して。
「だったら、来年は一緒に行こうよ。僕はどうせ行く相手いないだろうし、黒原さんとなら一緒に行ってみたいな」
彼の一言に、黒原は茹でダコのように真っ赤になっていた。
「そ、そうだね! いけ、行けたら、いいね!」
「行けたら、というか約束しようよ。それだったら、可能性とかじゃなくて確実なものになるでしょ? ついでに連絡先も交換しようよ」
なんて幸運なのだろうか、好きな相手に夏祭りに誘われて連絡先も交換できるなんて、夢のような時間だ。いや、もしかするとこれは夢なのでは、と黒原は自分の頬をぎゅっとつまんでみる。痛覚が反応した。これは夢じゃない。
「どうしたの? 急に自分の頬をつねるなんて。具合でも悪いの? まだ暑さも残っているし、体調が悪いなら保健室まで連れていくけど」
「ううん、大丈夫、大丈夫。気にしないで」
「そう? ならいいけど」
「みんな、おはよー!」
担任の朽城が元気よく教室にやってきて、二人は前に向き直る。朽城は、夏休みの間の出来事を始業式が始まるまで語り、終わった後のホームルームでも語り続けていた。特に耳に入れるような内容ではなく、みんな午前中だというのに疲れた顔をして飽き飽きしていた。
「ってなわけで、宿題を集めます」
この一言で、みんなの意識が戻ってきて、一斉にバッグから夏休みの宿題が出される。国語と社会、化学に英語それに、バッグを漁っていて気がついた。数学の宿題を持ってきていない。
せっかくやってきたというのに、家に忘れてしまった。宿題を集めている最中、朽城に正直に打ち明けると、じゃあちょっと残って、と居残りを食らってしまった。
乙葉と久しぶりに下校できると思ったのに、と悲しい気持ちでいっぱいになる。ちゃんと出る前に確認しておけばよかったと後悔した。
放課後、朽城に残された黒原は、教室の端っこで外を眺めながら、授業で使う資料のホッチキス止めをさせられていた。三十分だけという制約で。
外では部活動が盛んに行われている。どの部活も、次の試合に向けて頑張っている姿が見える。ふとグラウンドの端っこで、白綺の姿を目視する。何やら男子生徒と口論になっているようだ。白綺が必死に何かを訴えているようにも見える。
「どうしたんだろう、白綺さん」
五分ほど続いた後、白綺と男子生徒は分かれてどこかに行ってしまった。多分、男女の仲違いだろう。自分と御国香織のように、何かが原因で嫌な結果に終わってしまったのだろう。さて、集中してもう少し頑張ろう。
放課後の一人だけの教室に、ホッチキスの綴じる音が鳴り響く。
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