第19話 訪問者
気分の晴れないまま、学校は夏休みへと突入した。犯人探しと称して、狙いを白綺に定めて行動した黒原達は、結局、何も証拠を得られずに無駄な時間を過ごしてしまった。
もちろん、その中でも期末テストの勉強は怠らず、完璧な状態でそれに臨んだ。当たり前のように赤点は回避し、平凡な結果を手に入れて無事に夏休みを得ることが出来た。
笹岼も同様、余裕をみせて期末テストは学年二位という好成績を収めた。一方で日向はというと、勉強には手を出しておらず赤点を取り、夏休みの補習を手に入れた。月詠の面倒を見ていたからと笑って話していたが、理由はともあれ赤点は酷いと、月詠に怒られていた。
結局、何も解決していないまま、今この時をベッドの上で天井を見上げながら暇を持て余している。そうだ、と携帯の画面を開き、SNSの花撫のトーク画面に〈今日暇?〉と入力し、送信ボタンに親指をかける。
だが、ボタンを押す前に思い出す。そういえば、彼女も赤点補習だった。ろくに勉強をしていないと嘆きながら、愛するアイドルグループの推しの名前を泣きながら叫んでいた。現実逃避にも無理がある。
結果、全教科平均点を下回り、教師に呼び出しを食らっていた。
だが、親友として恥ずかしいとは思わなかった。花撫らしい行動と結果だと納得していた。
「はー、どうしようかな。笹岼さんは旅行に行くって言ってたし、他に遊べる人なんていないしな」
ぐうたら生活をこのまま続けるのも悪くないのだが、いい加減そろそろ外に出たい黒原は、冷房が効いた部屋の中で脳みそが茹で上がりそうな気分でいた。
そうだ、と閃いたのは、クラスのトーク画面だった。ここから連絡先を得れば、誰かに連絡が取れる。しかし、目に付いたのはほとんど話した事の無い白綺と、隣の席の黛澄の名前だった。
「ダメだー、いないや。私って本当に友達少ないなー」
と言いつつも、視線の先には黛澄の名前があった。ダメ元でもいい、せっかくの夏休みを彼と過ごしてみたい。理想は音楽フェスに行くこと。二人が推しているアーティストのTシャツを着て、蚊に刺されながらも夏の気温よりもさらに熱くなって応援をして、汗をかいて笑いあって。
水分補給にはスポーツドリンク、ご飯は会場の出店で焼きそばとかホットドッグを食べて、また応援して疲れ果てて、帰りのバスでお互いに身体を預けて眠りについて。
いやいや、そんな事できるわけが無い。
黒原は頭を激しく横に振って、妄想を振り切った。
ピンポーン
突然鳴り響く玄関の呼び鈴の音が、空気を一新する。祖母が居るからと一度は無視したが、二度目の呼び鈴が鳴った時、祖母が近所のスーパーまで買い物に行っている事をふと思い出す。
「面倒だなー、勧誘とかだったら尚更なんだよなー。どうしてこういう時に限って、買い物に出ちゃってるのよー」
三度、四度、呼び鈴の回数が増えていく毎に、自分が家に居る事を知られているような気がして、若干、脈が早くなる。
出なければ、向こうは帰ってはくれないだろう。黒原は恐る恐る足音を立てないようにして、玄関へと向かう。かかとから入り、つま先から離す。これをゆっくり繰り返して慎重に近づいていく。
玄関の窓ガラスに、大きな人影が映っている。自分よりも身長が高くガタイも良さそうで、恐らく男性だ。どうやら手荷物も持っているらしく、カバンのようなシルエットも見える。
向こうは、呼び鈴を鳴らす事をやめそうにないし、怖いけど出るしかなさそうだ。近くにあった箒を手に持ち、はーい、と声を上げる。玄関の鍵を回し、戸を開く。
「あ、いらっしゃいましたか。何度も呼び鈴を鳴らしてしまい、申し訳ございません。就寝中でしたか」
早速、謝られてしまった。恐らくパジャマを着ていて髪も寝転がってたせいでボサボサだから、向こうは寝ているのを邪魔してしまったのかと思い、謝ってきたのだろう。
いえ大丈夫です、と一言伝えると、白髪の生え始めた後ろ髪に手を当てて、「少しでいいのでお話を」とまた申し訳なさそうに笑顔を作る。さすがに祖母もいないし、知らない人を家に上げるのは気が引けて断る他なかった。
「ごめんなさい、これから用事があって」
「本当に少しでいいんです。四年前にいなくなって、やっと見つかった娘の話を聞きたいんです。君は、ここに写ってるクラスメイトの"秦野美織"さんだよね」
目を疑った。一冊のアルバムに収められた数枚のクラスメイトの写真の中に、秦野美織と書かれた自分と同じ顔を持つ人物の写真が貼られていた。頭痛がする。
秦野美織は、夢に出てきた知らない人であり、知らない記憶である。真っ赤なペンキを床にぶちまけ、相手の女の子を、女の子を。
頭が割れそうなほどの痛みが、全体的に襲ってくるのがハッキリわかった。立っているのもやっとなくらいに激しく、呼吸も荒くなってきた。
「お、おい、ちょっと、大丈夫かい!」
「大丈夫、です・・・・・・」
意識が朦朧とする中、男の手が伸びてくる。危険を感じて思いっきり腕を振って払うと、男は後退りをしてよろけた。やったと思ったのも束の間、残された意識はそのまま消えてしまい、その場に倒れてしまった。
次に起きた時には、目の前に祖母の顔があった。大丈夫かい、といつもの優しい声をかけてくれる。ここは居間か、木製の低いテーブルに長年使っている古いテレビが置いてある。大丈夫だよ、と黒原が笑顔で答えると祖母も安心していた。
身体を起こすのを手伝ってもらい、テーブルの反対側を見ると、先程の男がちょこんと不安そうな顔して座っていた。
「きゃあああっ!」
男の姿を見て、黒原は思わず驚いて悲鳴をあげてしまう。何かされるのではないかという恐怖が、彼女の全身を震わせる。しかし、祖母を見ると平然と座っている。むしろ、まあまあ、となだめられた。
「美織、この方は
「美織ちゃん、さっきはごめんね。僕も突然、君が倒れた時はどうしようかと思ったけど、とにかく無事でよかったよ。改めまして、御国勝です。今日は美織ちゃんに折り入って、聞きたいことがあって来たんだ」
優しげなおじさん、見た目はそこまで良くないし、目が悪いというのにメガネが薄汚れている。好印象ではないけれど、家に上がっている以上は逃れられない気がする。
黒原は、分かりました、と構えるように頷いた。
「ある程度は、美織ちゃんが寝ている間に話を聞かせてもらったよ。美織ちゃん、中学時代の記憶が無いんだろ?」
メガネを人差し指で掛け直し、御国は言う。祖母がどこまで話したかは知らないが、その通りだ。中学時代の記憶は真っ白、唯一覚えているとすれば、中学校の名前だけだ。登校していたルートも何も覚えてはいない。
先に話を聞いていると言われた以上、嘘はつけまい。黒原は首を縦に振る。
「じゃあまず、僕の娘、香織と美織ちゃんの関係から少しずつ話をさせてもらってもいいかな。また頭痛がしたら言って欲しい、そこで僕は話を止めて、また出直すとするよ」
黒原は、過去を知ることの出来るチャンスだと思った。今まで隠されていた秘密を知る事が出来る、頭痛で寝込んだ時に見たあの映像の真実を知る事が出来る。胸が高まる彼女は、姿勢を正して何も言わずに話を聞くことにした。
もし何かあっても大丈夫なはず、祖母が用意してくれた温かいお茶と甘さが程よい大福が二つ、目の前に用意されている。話に飽きても飽きなくても、お供がいればどうにかなるはずだ。
早速お茶を軽く啜って、お願いします、と真剣な眼差しをする黒原を見て、それじゃあ、と御国が話し始めた。
「美織ちゃんと香織はすごく仲の良い友達だった。遊ぶ時はいつも一緒、ウチに泊まりに来た時もいつだってふざけあって注意していた記憶がある。あ、ごめん、娘の日記に書かれていた内容も混じえて話しているからあやふやかもしれないね」
「いえ、大丈夫です」
「なら話を続けよう。二人は中学に入ってから仲良くなった。小学校からの友達を差し置いて、親友のような存在、悪さをする時も一緒で娘が髪の毛を金髪にした時も美織ちゃん、君が手伝ってくれたって書いてあった」
親友のような存在、今で言えば乙葉の立ち位置に香織という子がいたってことか。それに、髪の染色を私が手伝うなんて、怒られるってわかっててやったのかな。
「それから、二人は仲違いをした。お互いにつるむ相手が変わって、別々の方向へと歩き出し、以前の君はもう居ないと、この時点で他人行儀になっていた。ここから先は君の名前がずっと出てこない」
「その、仲違いした理由って書いてあるんですか?」
「ああ、書いてあったとも。ほんの小さな意見の不一致から生まれた仲違いだ。高校への進学に際して、お互いに別の高校を選んだ。一緒の高校に行きたいと懇願したが、将来のためにと断られたらしい。そこからだそうだ」
そんな事で仲違いをするだなんて。でも、それだけ一緒に居たくて、お願いまでして、だけど断られて、彼女にはとても申し訳ない。
「そして、日記は一気に最後の方まで飛んで、最後に書かれていた名前が秦野美織、君の名前だ」
「いや、私の名前は黒原美織で───────」
そう、秦野美織は私ではなく別の誰か。名前なんて偶然の一致だ。しかし、ふと先程見せられたアルバムを思い出すと、それを否定する事が出来ず、言いかけていた否定文を飲み込んだ。
「美織、あなたの苗字は元々、秦野なの」
祖母が可哀想な子を見る目で、洗い物をした手を拭きながら口にした。
「秦野美織、あなたの本名よ。黒原というのはおばあちゃんの苗字で、あなたを引き取った時に苗字を変えたの。過去を思い出さないようにね」
衝撃が走った。全身が震え出して、寒気を感じる。今まで他人だと思っていた秦野美織が自分自身であるという事実を、すぐに受けいれることが出来なかった。誰かの記憶の再現映像かドッキリ番組の撮影なんじゃないかと、これらは用意された台本で、決められたタイミングで祖母が話しているのではないかと疑った。
しかし、祖母の真剣な表情は、嘘をつけるほどの余裕を感じさせなかった。
「本当の事なんだ・・・・・・ね。私は、黒原美織であって秦野美織でもある」
「ええ、そういう事よ」
「えっと、続き、いいかい?」
御国が手を挙げて、自分の番だと合図をする。お願いします、と黒原が頷くと同時に、祖母は逃げるように台所へ隠れてしまった。
御国は容赦なしに続きを話し始める。
「最後に残っていた文、生前の、いわば遺書のようなものだ。そこにはこう書いてあった」
バッグから紙を一枚取り出して、御国が音読をしてくれた。その内容は、夢で見た情景と相反するものだった。
明日、美織と空き教室で会う。
何を言われるかはハッキリしていて、たぶんそれについて文句を言われるはず。面倒だけど、美織だったら別にいい。私の性格上、文句を言われたら逆上して言い返すかもしれない。
けれど、それでもいいから、私は美織と話すためにそこへ行く。
喧嘩をしてから、ずっとお互いに無視し合っていた。廊下を通り過ぎる時も、名前を呼ばれた時も。私のわがままのせいで、ずっとこのままなのかなって思ったら、胸が痛くて苦しくて、寂しくてしょうがなかった。
大人しく引き下がっておけば良かったのに、私は無理やり意地を通してしまった。学校が変わっても会えるというのに、本当に馬鹿な事をしてしまった。
たぶん、久しぶりに会った時でも、お互いに他人行儀で変わらないんじゃないかなって思う。タイミングがあれば、自分から謝ろうかなとも思ってる。
またあの頃の二人に戻りたい。笑いあって、ふざけあって、どこでも一緒に出かけたい。取り戻したい。
だから私は美織に会いに行く。
「これが、日記の最後のページだよ。美織ちゃん」
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