第18話 理想と現実
体育祭はあっという間に終わって、学校中が夏休みに向けて意気揚々としていた。体育祭では紅組、白組、蒼組と分かれて各学年が種目に全力で取り組んでいた。
リレーに綱引きでは、部活で鍛えた筋肉を存分に使った男子が大活躍、竹取物語と称して行われた竹の取り合いでは、女子が日頃の鬱憤も兼ねて戦っていた。
そこまで勢いもない黒原は、何も活躍ができず、恥ずかしい事にリレーでは転んでしまい、膝に擦り傷を負って、更にはチームが大きくリードをされてしまった。
結果的には、他のメンバーが差を縮めて一位を奪取することが出来たが、黒原は俯いたまま顔を上げることは無かった。
保健室で怪我の手当をしてもらってからは、痛みが酷いと嘘をついて、保健室の窓から観客となって眺めていた。入院している月詠には申し訳ないと思ったが、それよりも恥ずかしさが勝っていた。
「大丈夫? みおりん」
花撫が、心配して保健室まで来てくれた。
「うん、大丈夫だよ。だけど、競技に出るのは難しいかも」
親友にまで嘘をつくのは、恥ずかしさの裏腹だ。また来るね、と戻っていく花撫の背中に黒原は、ごめん、小声で謝った。
それから、黒原は怪我よりも冷房が付いていて涼しくて気持ちの良い保健室から出たくないという欲求が湧き上がってきた。
借りたふかふかのベッドに横たわり、大きなため息を天井にぶつける。
「失礼します。先生、申し訳ありませんが怪我をしてしまって」
「はい、じゃあそこに座って」
先生の手早い治療を受けているのは、白綺だった。誰かと思い首をそちらに向けた時に、視線がぶつかり、どうもとわざわざ起き上がって軽く会釈をした。
「あら、まだ保健室にいたの? そのくらいの怪我だったら、動けるんじゃないの?」
図星を突かれて尻込みをする彼女に、冗談よ、と治療を終えた白綺が隣に腰をかけた。数秒の間が空いてから彼女は、私も休憩していこうかしら、と髪を解いた。
「黒原さん、さっきのは仕方ないことよ。偶然、あそこで転んでしまい、偶然、他のクラスとの距離が出来てしまったんだもの。別に必然としてわざとやったわけじゃないのでしょ? それに、あまり運動ができない黒原さんには、無理な話だわ」
冷静にそして愚直に黒原を慰めようと、白綺は悪気もなくフォローを入れるが、胸に矢を集中砲火された気分になる。そこまで言わなくても、と言うと、事実を述べたまで、と薄ら微笑んでいた。
外を眺める彼女の横顔は、とても素敵だった。何事にも達観していて今の悩みは二の次で、
自分は今に悩み、過去に悩み、悩みばかりで次々と目の前に壁を築いて乗り越えられないと言い聞かせてその壁を壊そうとはしない。尻込みをしてしまう。
「白綺さんは素敵ですね」
息を吐くように自然に出た言葉に、急に何、と苦虫を噛み潰したような顔を向ける。どうやら不審がられてしまった。
「いや、いつも冷静で周りをよく見ていて、容姿も綺麗だし、私みたいな陰キャにも話しかけてくれる優しさもあって」
慌てて訂正すると、そう、と白綺は冷たくあしらうようにして、また外を眺める。
「そう見られてしまうのは、私の態度のせいかもしれないわね。でも、実際はそうでもないわ。綺麗かどうかは他人が決めることだから別として、私は冷静でも優しくも何ともないわ」
ほとんど否定されてしまった。だがそれは、謙遜というよりも自分の事を理解した上で話しているようだ。
「必死に周りの目を気にして、自分をつくりあげて、でも自分の意見は尊重して、居場所を無くさないように堪えて、堪えて、生きているのよ。だから優しさなんて微塵もない。少しでも風当たりの無いように、さっきも言った通り、良い人をつくりあげているだけよ」
「私も、周りの目を気にして目立たないように、高校生活を安全に過ごすために必死に頑張ってる。そんな中、落合さんにいじめられてボロボロになって散々だった。クラスで浮いていた私に声をかけてくれたのは、笹岼さんと白綺さんだけだったよ」
目頭が熱くなっていく感じがした。こんな所で涙を流すのか、これまでの事を思い出すと耐え切れるものではない。ただ人前で涙を流すのは恥ずかしいし、相手が白綺という高嶺の花と思うと益々嫌だ。
黒原は上を向いて、大きく深呼吸した。
「嬉しかったです。白綺さんが声をかけてくれたのが、一番私の中で嬉しかった。それが空気を読んだからとか、良い人に見せたかったからとか、そういう理由で行動したって嘘をつかれても、私には本気で心配してくれて声をかけてくれたんだなってすぐにわかった」
あの時、白綺が真っ直ぐな深茶の瞳で大丈夫かと心配してくれた事を、黒原は今でも覚えている。特に接点もないのに、という意外性もあるのだが。
決して熱弁したわけじゃないし、事実を述べたまで。しかし、それが面白可笑しく感じたようで白綺は、変ね、と微笑する。
「あなたにそこまで思われるとは、正直驚きだわ。でも、そうね、そう思われるのも悪くないのかもしれない。私はね、居場所が無かったのよ」
次は曇った笑みをつくる。高嶺の花である彼女から、居場所が無かったと口にした時、思わず、えっ、と声が漏れてしまった。
高嶺の花なんて居場所はどこにでもあって、周りを気にせず、格好良い男性から告白ばかりされるものだと思っていた。
「小さい頃から成し遂げようとも、私の事を見てくれない父親に、人の機嫌を伺って話しかけてくる母親、そんな家にずっと縛られているの。いわゆる牢獄ってところかしら。生きている心地がしないわ」
「でも、実はお父さんは厳しい人で、お母さんは気遣いで優しいってこと・・・・・・なわけないのよね」
白綺家の両親のフォローを入れるが、彼女の強ばった表情をみて、すぐにそれを撤回した。
「私の父親は再婚相手なの。母親が離婚してすぐにやってきた相手、赤の他人。最初は優しかったけど、だんだんと無口になって今では私に興味を示さない。"アレ"もつくっていたのよ。本来とは違う姿を」
黒原は何も言わずに、外を眺めながらたんたんと続ける彼女の話を聞く。
「母親はそんな父親に今でも惚れていて、離れたくないがために、家の中の調和を保ちたいんだと思う。だから、私にも機嫌を伺うようになってしまったんだと思うわ。黒原さんは家にいて楽しい?」
急に話を振られて言葉に困る。
「わ、わたしは楽しいよ。その、うちはおばあちゃんと二人暮しで両親はいないんだけど、おばあちゃんは優しいからついつい甘えちゃうんだよね。この前なんて頼んでもないのに、大福を買ってきてくれたりしてさ。だけど、白綺さんのお母さんみたいに、気を遣って接してくれてる感じがするの」
祖母に聞いた、自分の両親の話を。思い出せない過去の記憶、それを知るために面と向かって質問をしたことがある。しかし、祖母は唾を飲み込んで間を空けてから口にする。
───────いや、知らないよ。
その時の祖母の目は、私の視線から外れていた。絶対なにか知っている、心当たりがあるに決まっている。分かっているのに聞き出せないもどかしさに、苦痛すら感じている。
それから、過去について触れることはやめた。どうせ話してくれないんだろうと諦めてしまった。ただ隠し事をされている以上、それが胸に残り、祖母の行動に違和感を感じるようになった。
───────気を遣われている。
頭の中によぎるそれは、祖母との距離感を感じさせている。同じ家に住んでいるからこそ、より苦痛に感じている。
「それは多分、隠し事をされているからだと私は思う。前に気になっている事を聞いたら、話をすぐに切り替えられた。一回だけじゃなくて何回も。何をひた隠しにしているのかは分からないけど、私はそんな気がする」
「よく分からないわ。可能性ってだけで他人の行動に疑いを持つなんて、思い込みが過ぎる気がするけど。でも、そう思わせてしまうほど、黒原さんのおばあさんの行動はあからさまなのね」
「でも私は、そのせいで家には居場所がないのかなって感じる時がある」
「そこまで深く考える必要は無いわ。たぶんそれは、あなたを思って言えない秘密なのでしょうね。優しいおばあさんだからこそ言えない、何か大きな秘密があるんじゃないかしら」
そう、なのかもしれない。白綺に諭されて納得がいく。面倒見が良く優しい祖母だからこそ、秘密は秘密のままで、タンスに鍵をかけて閉まったままにしている。それを開いたら最後、何が起こるかは神のみぞ知る。
だから祖母は、何も言ってくれないんだ。そう考えると、少し気持ちが楽になった気がする。
「そっか、そうかもね。なんか腑に落ちたよ」
「そう、それならいいわ」
白綺は、鼻に手を当て微笑する。黒原もまた自分の考えの甘さに、笑みがこぼれた。
「私もそういう人が親だったら、なんて何回も考えたわ。でも、現実はいくら経っても変わらない。だから、別の居場所を探した」
「別の居場所・・・・・・?」
「うん、そして、見つけた。簡単には見つからないと思ってたけど、案外、居場所って簡単に見つかるものなのね」
嬉しそうにする白綺に、黒原はどこかと聞くと、迷いなく自分の所属する部活の名を上げた。バレーボール部、彼女が見つけた新しい居場所。練習は厳しいけど、何よりもチームが団結して強敵という名の壁を越えていくのがとても楽しいと、彼女は話した。
「コート内に私の居場所を作ってくれたのが、先輩の南條凪湖さんなの」
エースにこだわりを持つくせに、次期エースとして、スパイカーのノウハウを一から教えてくれたという。一年からバレーボールを初めて、今ではその実力を発揮し、チームに大きな貢献をしている。これは全て、南條のおかげだと心からの感謝を告げた。
エースとして肩を並べるまでに至った白綺は、今では南條とエースの座を奪い合うまでに成長した。
そんな彼女とは仲良くさせてもらっていて、放課後はいつも遊びに出かけていると、幸せそうに話した。
「いいなー、私なんか最近気を遣って上手く話せていないんだよね」
黒原は、ちょっとだけ羨ましいと思った。気兼ねなく話せる相手として花撫がいる。だが今では、その話し相手である親友の花撫の様子を伺いながら、話す事が最近では多い。
妙に〈黛澄〉という単語に引っかかるのが面倒だと、つい口を滑らせてしまった。
「花撫さんって相当、黛澄くんの事が好きなのね」
「そうだと思う、けど態度は変えないで欲しいかな」
ここで、黒原は流れに任せてふと訊ねる。
「白綺さんも好きなんだよね。黛澄さんの事」
また一瞬の迷いもなく彼女は答える。
「ええ、好きよ」
どうしてかと聞くと、白綺は、そうね、と天を仰ぎ、理由は無いかも、と答えた。
理由も無しに好きになるって、一体どういうことなのだろう。一目惚れって事でいいのかな、と疑問に思いながら何も返さず外を眺めた。
「あなたも好きなんでしょ? 黛澄くんの事」
「えっ!?」
思わず、後ろに倒れそうになりギリギリの所で手で支える。ベッドの上に座っていたから良かったものの、塀の上だったら落下するほどに、唐突で図星をついた質問に驚かされた。
「その慌てようは答えを言っているようなものね。無理もないわ」
「べ、別にそういうわけじゃ・・・・・・」
「ごめんなさい・・・・・・何故か黒原さんと話していると、余計な事まで口にしてしまうわ」
保健室にアナウンスが流れる。次の競技は徒競走、選ばれた選手のみが走る大事な競技である。白綺はもう行かなきゃと立ち上がり、またねと一言添えて保健室をあとにした。
徒競走に選手としての役目を果たすために、白綺は向かったのだ。保健室から見える彼女の背中は力強く、自信に溢れていて美しい。
彼女がやるわけが無い。居場所を手に入れた彼女が、人に救われた彼女が、他人を傷つけるようには思えない。もし傷つけたとしたら、体育祭の時のあれはなんだったのか。優しく微笑み、接してくれたあの時の姿は偽物だったのか。
いや、違う。彼女は月詠に何もしていないはずだ。だとしたら、誰が月詠をこんな目に陥れたのか。笹岼の推理が正しいのであれば、残るは親友の花撫だけだ。分からない、何を信じていいのか。
黒原は頭を悩ませる。
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