第13話 衣替え

 ジメジメとした空気も打って変わって、気温上昇を続ける毎日、今年は早めの衣替えを要して長袖から半袖へと制服が替える。

 落合の死から時が経ち、原因追求を余儀なくされたが、結果、自殺と断定された。


 朽城が落合について生徒から聞けた話といえば、面白くてノリがいい、周りを見て行動ができる、オシャレに気を使っている。

 といった良い印象もあれば、他人を見下している、自分が一番だと思っている、イジメが好きだ、という悪い印象もあった。

 自殺、そう聞いた時は、誰もがそれは嘘だと信じなかった。しかし、警察から挙げられた証拠には、それを助長する物がいくつかあった。


 一つは、屋上の塀の下に、落合の上靴が綺麗に揃えて置かれていたこと。

 一つは、それの上に封筒が置かれていたこと。

 一つは、その中には、パソコンで入力された一通の手紙が入っていたこと。


 これらの状況から、警察は事件性無しと判断し、学校側が集めた生徒からの情報も含めて居場所の無くなった少女の転落死と、捜査は終了した。

 これを知ったのは朝のニュースで、淡々と事件の内容を話すキャスターを、働かない頭で眺めている時だった。

 黒原は、彼女が死んだ事を惜しむことは無かった。クラスメイトの大半は、そのニュースが放送された日に申し訳なさそうに俯く者もいれば、可哀想だと憐れむ者もいた。


「ねえ、みおりん、みおりんも可哀想だと思わない? 落合さんのこと。残ってた手紙の内容を読んだらさ、私、泣けてきちゃって」


「ああ、朝のニュースに出てた手紙の事だよね。確かに、私もちゃんと仲良くしてれば良かったなって思ったよ」


「だよね、私もそう思った。落合さんが、あんなに良い人なんて知らなかったよ。大好きな人の為とはいえ、すごい勇気だよね。特にあの一言〈大好きな人の幸せの為なら、私は何でもします。だから死にます〉、私には出来ないかな」


「でも、落合さんの好きな人って黛澄さんでしょ? どうして死のうって思ったんだろ。何か意味でもあったのかな」


 黒原の疑問に、乙葉は腕を組んで首を傾げる。


「んー、どうしてだろ。自分の存在が黛澄くんにとって、迷惑になると思ったからとか?」


「何それ、何を根拠にそう思ったのよ」


「知らないよ、落合さんじゃないんだもん」


 理由は何にせよ、落合さんが消えた事で私はいじめられずに済む。水をかけられたり、ゴミを詰め込まれたりする必要も無い。また平穏が訪れる、そんな予感がしていた。


 ただそんな黒原は、落合の死の真相について疑問を感じていた。好きな人がいるというのに、どうして自殺してしまったのか。

 それに、クラスで浮いた存在になったとしても笹岼が味方になって、どうにかしてくれていたのかもしれない。

 それなのに、彼女は死んだ。何かまた違う理由があるのではないか。黒原は違和感を感じつつも、教室に先生が来ると、真面目に黒板へ体を向けた。


 最近の変化といえば、落合の自殺で教室がずんと重たい空気になったのもそうだが、笹岼が生徒会の活動に復帰して、黒原達と帰ることが余計に減っている。

 真面目な彼女だからこそ、与えられた役割を全うする為に活動している。いや、もしくは悲しみを埋める為か。以前よりも生徒会の仕事に没頭していた。


 ​先輩、この資料なのですが​───────。

 先生、今度行われる体育祭についてですが​───────。


 加えて、笹岼は塾にも通い始めた。難関大学に受験し、何度も合格者を排出させた有名な塾なのだと口にしていた。今では、塾に学校から直接向かうには大変らしく、自転車登校をしている。

 ついでに、月詠も塾に通い始めたらしく、日向がたまに家が寂しいと吐露する事が増えた。そういう時は、乙葉と三人でスイーツを食べに行ったり、ゲームセンターで遊んだりと寄り道して帰ることも増えた。


 毎日が楽しい、そう実感出来たのは最近になってからだ。平凡な日常を送るために努力してきた黒原だったが、変化がある事も良い事なのだと前向きに捉えるようになった。

 しかし、これから面倒なイベントが待っていると思うと憂鬱で、授業の一時間をたっぷり使って、それの事前準備を行う度に不機嫌顔が見られる。


「今日も元気ないね、黒原さん」


 体育座りで突っ伏す黒原に、黛澄が心配そうに声をかける。


「別に元気ないわけじゃないよ。むしろ、有り余ってると言ってもいいくらいにあるよ」


 これから体育祭の練習で、クラス対抗リレーを行うところだった。団体競技で一番苦手かもしれない。みんな張り切って、屈伸とかアキレス腱を伸ばしたりしてるけど、そこまで本気になれない。


「私、運動なんて全然出来ないから、優勝狙って一致団結してみんな頑張ってるのに、私は足引っ張り要員になるから嫌なんだよね」


 彼女の愚痴を聞いて、黛澄は思わず笑いをこぼす。


「何で笑うの?」


 黒原は少し怒り口調で黛澄を睨む。


「いやいや、何を今更と思ってね。僕だってそこまで運動が得意じゃないから、黒原さんが言う〈足引っ張り要員〉の一人なんだよね」


「え、嘘つかないでよ。授業でやったバスケとかちゃんと出来てたじゃん」


「実は、僕が出来るのはバスケだけ。あとはてんでボロボロなんだよ。体力も無いし足も速くないから、リレーなんて絶望だよ」


 頭を掻きながら照れ臭そうにする彼からは、恥も何も感じなかった。


「距離は短いけど、足絡めて転倒したり、隣のレーンの人を邪魔しちゃったり、バトンを渡された時落としてしまうんじゃないかって、考えれば考えるほど嫌になるね」


 彼の意見は、黒原が考えていた不安と全く同じだった。


「私も同じだよ。運動音痴が災いを呼んで、クラスの嫌われ者になるなんて絶対に嫌だよ」


「んー、嫌われ者にはならないと思うよ」


 どうやら少し違ったようだ。黒原は、流れるように聞いてみる。


「どうして?」


「そういう時の嫌われ者って、グダグダと走って適当に過ごすやつの事だと思うんだよね。どんなにダメでも、一生懸命にやれば誰でも応援してくれるし、終わった後は必ず、お疲れ様って迎えてくれるよ」


 前向きな黛澄の考えに、後ろ向きな黒原は少し圧倒された。


 そういう風に考えられる人は、私の周りにはいなかった。後ろ向きに考えて、自分を制御して出来ないことから逃げる人ばかりだった。

 現に私がそうだ。目の前で何度も罵声を浴びせてきた落合さんの事を忘れられず、それを無かったように過ごしている。

 本当は学校に行きたくない。教室に入る度に机を蹴られたり、ノートを破かれたりした時の情景が目に映るし、トイレに入る度に上から水が降ってこないかなんて心配をしないといけない。

 この座っているだけで流れてくる汗のように吹き出して、地面に吸い込まれて消えればいいのに。

 黒原の心には、忘れられない深く刻まれた記憶キズが残っていたのだ。


「あれ? また暗い顔になっちゃったね。なんか、ごめん」


 黛澄は自分のせいだと思い、謝りつつも苦笑いをする。


「謝らなくていいのに、私が勝手に落ち込んでるだけで黛澄さんは何もしてないよ」


「そっか、それなら良かった。あ、そうだ」


 すると、黛澄は何かを思い付いたようで、笑顔を作って黒原の前にちょこんと座る。


「ねえ、黒原さんは音楽、好きだよね」


 黒原は彼に不安を抱き、少し身を引く。


「う、うん、好きだけど・・・・・・」


「じゃあさ、昼休みにまた旧校舎の音楽室に来てよ。聞いて欲しい曲があるんだ」


「わ、分かった・・・・・・」


 渋々了承した黒原だったが、ふとどういう曲なのか気になって聞こうとすると、タイミング悪くリレーの順番が回ってきてしまった。


 朽城に呼ばれてレーンに並ぶ。黒原の前に走っていたのは、勉強も運動も出来る白綺だった。彼女が走る姿はとても綺麗で、かつ速い。茶褐色のポニーテールをなびかせて、男子の注目を集めている。

 本番もこの順番かと思うと、心臓が痛い。白綺がせっかくリードしてくれた分を自分が鈍足なせいで、意味の無いものにしてしまうかもしれないという罪悪感が黒原を襲う。


「頑張れっ!」


 不安に苛まれる黒原の耳に、その一言が届いた。目をやると、黛澄が腹から声を出し応援してくれている。

 やっぱり優しい人、こういう時に勇気をくれる人、黛澄に対する想いが一層強くなった時、白綺からの掛け声と共に走り出し、黒原は白綺からバトンを受け取った​───────。


 体育祭の練習で行ったふたクラス合同リレーの結果は、残念ながらも敗北。練習とはいえ熱くなった以上、敗北に関して男子も女子もとても悔しそうにしていた。

 黒原ももちろん、とても悔しかった。久しぶりに全力を出して、足が遅いなりに頑張って走った。ただ、バトンを渡す直前に転倒してしまったことを除いては。

 今はそれの罪悪感で押し潰されそうになりながら、音楽室で黛澄の隣に体育座りをしている。


「あの、まだ落ち込んでるの?」


「だって、恥ずかしいし、私が戦犯みたいなものじゃん」


「戦犯って、そんな事ないよ。豪快に転んだ時は、あちゃーって思ったけどね」


 とクスクスと笑う黛澄に、黒原は頬を膨らませる。

 あ、そうだ、と黛澄はポケットから端末を取り出す。ウォークマンだ。黒原も同じ物を持っていて、見る限り色違いだろう。彼のは黒、彼女のは白、何故かそこに彼女は運命を感じた。

 好きだからか、何事にも運命を感じてしまう事が増えてきている。

 持っている物だったり、考え方だったり、好物だったり、彼と似たような所を見つける度に黒原は嬉しかった。


 黛澄がカチカチと選曲し、イヤホンを片方だけつける。そして、もう一方を黒原に、つけて、と渡した。

 受け取るまでに三秒程止まってしまったが、顔を赤くなるのを抑えながら受け取ったイヤホンを耳に入れた。


「じゃあいくよ」


「うん」


 再生ボタンを押すと、しっとりとしたデタラメで、一体感のある歌詞の無い曲が流れてきた。各々の楽器が個性を出し、誰が一位かを競っているようで、でもどこか相手を思いやってるような音色。

 黒原は、自然に目を閉じて音楽に没頭していた。


「これはジャズって言うんだ。聞くのは初めて?」


「うん、初めて」


「簡単に言えば、複雑な音を奏でて様々なリズムで観客を魅了する、音楽好きにはたまらないジャンルなんだ」


 嬉しそうに話す黛澄の横顔はキラキラと輝いていて、眩しくて、愛おしくて。


「確かに、私も、魅了されてる」


 ​───────あなたに。


 胸の高鳴りを感じる。

 手に汗を感じる。

 顔が火照るのが分かる。

 黒原は、恥ずかしくなって膝に顔を埋める。黛澄がそれに、大丈夫かと聞くが、大丈夫とは返さなかった。脈が早くて心臓に痛くて、全く大丈夫ではない。

 この時、彼女は次に言おうとしている一言に緊張を感じて、自分に余裕が無かった。しかし、勇気を出して口に出す。


「ねえ、黛澄さん」


「どうしたの?」


「肩・・・・・・借りて・・・・・・いい?」


「う、うん、高さはこれくらいでいい?」


 黒原より身長の高い黛澄は、肩の高さをちょうど良くする為にすりすりと前後に座る位置を変える。実は、黛澄も顔を赤くしていた。彼にとってそれは初めての経験で、少し戸惑っていた。


「ありがとう・・・・・・それじゃあ、失礼します」


「うん」


 そっと彼の肩を借りて目を閉じてみる。心地良いジャズの音色と、ふわりと香る黛澄の匂いに心が安らいでいく。緊張とは何だったのか、それすらも忘れてしまうほどに落ち着いた。

 反対に、異性が急接近して落ち着かない黛澄の耳には、ジャズの音色が届いていない。


「高さ、大丈夫そう・・・・・・?」


「うん、ありがとう。"黛澄さん"」


 こんなに近くにいるというのに、苗字呼びで"さん"とつけられてしまうと、距離が遠く感じる。お互いに同じ事を感じていた。

 しかし、上手い距離の縮め方などさっぱり分からない二人には、この時間が大事なのかもしれない。二人は目を閉じて、ジャズの音色と窓から流れる気持ちの良い風に身を任せるのだった。

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