月と太陽 後編

 最近、黒原さんが話しかけてくれる。今までは話すらしなかったけど、ゲームセンターで出会ってから仲良くしてくれる。そんなに嫌じゃない。子供扱いしてくる所は、まるで日向のようでお節介な部分もあるけど、それもまた嫌じゃない。


 ノートに書き写した授業内容を大事な所だけ赤色のマーカーで線を引き、先生の話を聞き漏らさないように、月詠は真面目に授業を受けている。

 大好きな歴史の授業は、彼女にとって至福の時間とも言っていい。今は安土桃山時代について教えて貰っているが、彼女が好きなのは源義経、平安時代の武将だ。

 壇ノ浦の戦いなどで天才的な軍略で勝利を得て、幕府成立に大きな貢献をした歴史に名を刻む英雄である。

 幼い頃に読んだ歴史の漫画で、義経の事を知った月詠はダンボールで鎧を作り、真似をするほど大好きだった。


 反対に、斜め前に座る日向は、つまらなそうに鼻の下でペンを支えて、片手で別のペンを回している。


「日向、また怒られるよ」


「だってつまらないんだもん」


 隣の子に注意され、愚痴を垂れる日向に歴史の先生は、そこ集中して、と釘を刺した。すいません、と謝った日向はふてくされる。

 これはあとで、ノートを貸してあげないとダメかな。

 授業を退屈そうに受ける日向は、いつもノートの中身は落書きだらけで、見兼ねた月詠がノートを貸している。口で説明したところで日向は馬の耳に念仏の為、教えても意味が無いと分かっている。

 だからせめて、書けば覚えてくれるだろうという希望を持ってノートを貸すしかなかった。


 ​───────日向と一緒にいたい。


 月詠のたった一つの願いが、日向を理解し、どうすればいいのかと考え行動している。

 幼い頃、内気な月詠はいつも周りの子から虐められていた。物を取られたり隠されたり、机に落書きされたりと酷い仕打ちを受けていた。

 その時、助けてくれたのが日向だった。


「お前ら、私の月詠に何するんだ! ボッコボコにしてやんぞ!」


 拳を握り、自分より力の強い男の子相手に立ち向かっていく、そんな日向の勇敢な背中に、月詠は憧れを覚えた。


「くそっ! 覚えとけよ!」


 悪者のような捨て台詞を吐いて、男の子達は逃げていく。日向はこちらに振り向いて、手を差し伸べ、大丈夫、私がいるよ、と笑顔を向けてくれた。その時、彼女の震える手をいまだに覚えている。

 今度は私が日向を助ける番、私が手を差し伸べるんだ。

 そう心に決めていた。それほどに、月詠は日向の事が大好きで、家族としても同性としても。

 だからこそ、この前ゲームセンターで聞こえてきた話が不思議でしょうがなかった。


 ​───────月詠は、黛澄の事が好きなんだ。


 確かに顔は良くて、性格も良い彼は、他クラスの女子でさえ狙っているほどに大人気だ。多くのファンが彼にはついている、が、私は興味が無い。

 日向なりに考えて行動しているのだと思っているが、別に彼氏が欲しいと頼んだ覚えもない。彼氏というよりも、日向と一緒にいたい気持ちの方がより強い。


 お陰様で黒原が黛澄を絡めて話をする事が増えてきたのだが、正直、月詠は女子同士で仲良く話していたいと笑顔の裏では思っている。


 話す内容なんて特に無く、一度会話が終われば数十秒の間が空いてから次の話題が始まる。それもまた苦肉の策で出した話題でもあって、会話はすぐに途切れてしまう。気を遣いすぎて疲れてしまう。

 とにかく今のままでは、また関係がギスギスしそうで、せっかく仲良くなった黒原さんの事を面倒な人だと突き放してしまうかもしれない。


 先に手を打ちたいのはやまやまなのだが、月詠は黒原に、もう大丈夫だから、と一言伝える勇気も持ち合わせていない。こんな時は、笹岼に頼めば何とかしてくれるのではないか。

 だが、頼みの綱である笹岼は、最近通い始めた塾に一生懸命で、行き帰りはいつも自転車になってしまった。

 学校で話すにも、いつも日向や黒原、花撫がそばにいて伝えられない。出来れば二人っきりで、周りに見られない場所で。


 月詠は頭を悩ませるが、一旦、深呼吸をして頭をリセットさせる。悩んでいても仕方がない、今やるべき事をやろう。彼女が冷静を欠いた事はほとんどない。"ほとんど"ない訳で、日向の事になると気は落ち着かなくなる。

 今はともかく、日向の為に授業内容を蛍光ペンなどを駆使して綺麗にまとめる。右耳の鞠のピアスにペンを軽く当て、書き進めていく。


 放課後、学校に少し残って日向に今日の内容を書き写させた。家に帰ってからやると言うのだが、日向が家に帰ってから机に向かう姿など見たことがない。

 嫌だ、漫画読みたい、と駄々をこねられたが心を鬼にして、彼女を逃がさなかった。


「ねえ、つくよー、いつ帰れるのー」


「二教科だけでいいから、書き写し終わったら帰れるよ。だから頑張って、まだ一教科残ってるよ」


「分かってるけどさ、めんどくさいんだもん」


「日向がしっかり書いとけば、こういう事にはならないんだけど」


 頬を膨らませる月詠を見て、日向は、ごめんなさい、と謝る。


「でも、今日は書きすぎちゃったかも。一応、日向に読んでもらうから、いつも分かりやすくまとめては書いているんだけど」


「大丈夫、むしろありがたいよ。ここまで丁寧に分かりやすく書かれてたら、馬鹿でも理解出来るね」


 そう、日向は上機嫌に話す。努力のかいがあった、いつもこうして日向が褒めてくれるから、別に苦ではない。月詠はそう思える。


「それにしても、やっぱり月詠の方がお姉ちゃんみたいだよね。真面目で勉強が出来て、面倒も見てくれる」


 ペンを走らせながら、日向は月詠を褒めた。しかし、月詠はそれほど嬉しく思えなかった。ついその一言に、やめて、と言ってしまうほどに。


「ごめん、月詠はあまり好きじゃなかったよね。私達のどっちが姉で妹かって話」


「うん、私も、ごめんなさい」


「いいよ、気にしないで。さてさて、私はとっととノートに書き写しちゃいましょうか」


 日向はそう言って、またペンを走らせた。さっきよりも少し早く。

 月詠は、日向との姉妹関係の話が嫌いだった。本来、双子として生まれた二人は、先に母親の腹から取り出された方が姉、次に妹、だから日向が姉で月詠が妹だと、母親からそう聞かされていた。


 だが、月詠の恋愛感情が日向に向けられた途端、月詠はその関係を嫌った。玩具の取り合いの時も、お姉ちゃんなんだから、という母親の言葉に彼女は激怒した。

 彼女の想いは本物で、誰にも否定されたくない。"姉妹"という言葉は、彼女にとってそれを否定される単語だった。

 日向には本当の理由を伝えてはいない。同性で、ましてや姉妹で恋愛なんて、口が裂けても言えない。


 月詠はすでに、大人のような振る舞いができる。日向の書き写しが終わってからも、家に帰って食卓を囲む時も、平然を装い日向の隣を独占する。


「つくよー、お醤油取ってー」


 もぐもぐと口に物を詰めながら、目線の先には醤油ではなく母親が作った肉じゃがが置いてある。

 行儀の悪さにため息が出るが、仕方なく月詠は醤油を取ってあげる。


「はい、どうぞ。そんなにかけこむと喉に詰まらせちゃうよ?」


 日向が醤油を受け取って、小皿に用意された豆腐にかける。


「あ、ありがとう。大丈夫、大丈夫。美味しいからつい箸が進んじゃうんだ・・・・・・うぐっ」


 胸を叩いて喉の詰まりを取ろうとする。言わんこっちゃない、と月詠が背中をさすってあげる。


「もう、これじゃあ、どっちがお姉ちゃんなのか分からないわね」


 母の一言に胸が痛む。一瞬、瞼にストレスが現れぴくりと動く。

 そんな一言で片付けないでほしい。私だって日向に料理を毎日作って、嬉しそうに頬張る姿を見たい。それも特別な存在として。

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