空に落ちる 後編

 これはあくまで警告だった。黒原のノートを三冊ほど目の前でビリビリに破いて、黛澄くんに近付くなと伝えたかっただけだった。なのに、ウチだけが敵扱い、まあ当たり前か。

 やってる事は"イジメ"と変わらないもんな。

 悪人と思われても仕方ないけど、みんなだって一緒のはず。黒原という存在がいる事にストレスを溜めている、あいつが黛澄くんに何もしなければみんなだって嬉しいはず。

 でも、みんなにとって良い事をしたはずなのに、どうしてウチだけが否定されなきゃいけないの。


 落合は早朝、学校に来ては登校してきた黒原が机に並べたノートを三冊奪い、抜け駆けするな、と大声を上げてビリビリに破り捨てた。

 落合もまた花撫同様に、教室に手を繋いで戻ってきた二人に苛立ちを覚えていた。そして行動を起こした。

 これを良しとして行った事なのだが、周りの皆は蔑み、つるんでいた仲間からも罵声の声を浴びた。


「なんでよ、なんでよ」


 曇り空の下、やや強めに吹く風に金色の髪をなびかせながら、落合は遠く見つめている。四階建ての校舎の屋上で目や鼻は赤くして、ボタボタと涙を流していた。


「黒原だって悪いじゃんか、ウチだけが敵扱いって、何なのよ」


「あなたはやり過ぎたのよ、絵梨」


 不平等に苛立つ落合に諭したのは、笹岼だった。


「梓乃か、あんたから"絵梨"って呼ばれるの久しぶりだわ。中学生以来だっけ?」


 落合はそう言いながら涙を拭う。


「懐かしいよね、あの頃は二人で遊びまくって仲良くしてたのに、高校からは"落合さん"ってまるで今までの思い出はなかったかのような顔しちゃってさ。それで、ウチの敵がなんの用?」


「ごめんなさい、それに関しては謝るわ。まさか、高校デビューで金髪に染めてくるなんて思わなかったものだから、声をかけられた時につい知らない人で同じ苗字なんだと思って敬語を使ってしまっただけよ」


「へえ、まっ、いいよ。別に気にしてないし。それよりなんの用なの?」


 用は何かと問うと、笹岼はメガネを人差し指で上げて真剣な顔で謝ろう、と一言告げた。

 今更謝るなんて恥ずかしいしダサい、落合はそう思い頭を横に振った。


「今ならまだ間に合う、黒原さんもちゃんと謝罪を受け入れてくれるから」


「嫌だ、ウチは謝りたくない。正直、黒原には死んで欲しいとすら思ってる」


「えっ?」


 笹岼は聞き返す。


「黛澄くんを独り占めなんてずるいもん! ウチだって彼の事好きだし、彼氏にしたい。それなのに、隣の席だからって二人の距離はそれ以上に近付いてて気に食わない!」


 腹から声を出し、黒原への怒りと黛澄への思いを口にした。

 落合の席は黛澄とは真反対の席にあり、隣と話す度に黛澄と黒原が仲良く話している姿が目に入る。


 苦痛だった​───────。


 もし自分が隣だったらと考えるだけで胸がいっぱいで、声をかけようにもいつも隣には黒原の姿がいた。タイミングが悪かったんだと、言い聞かせ続けていた。

 だが、もう限界を迎えた。


「黒原の靴箱に紙を敷き詰めたり、トイレに入ったの見計らって水を頭からかけたりしたのは、全部ウチ、ウチがやったの。まあどうせ、とっくに悪人だと思われてたから、分かってただろうけどね」


 そんな事はない、と口にしようとしたが、そこから繋げられる、彼女を擁護できる言葉は思いつかなかった。


「ウチはもう、仲間はいない。教室に戻っても冷たい目で見られるだけ。それなら、いっそ、ここから自由になろうかな」


「ちょっと、何考えているの。死んだところで良いことなんてないわよ」


「冗談だと思う? 本心だよ」


 そう言うと、落合は屋上の塀に上り両手を広げて微笑む。前方から吹く強風が髪を引っ張り、今にも彼女を死へといざなうようだった。

 体はそれに耐えるのに必死で、足元が安定せず上手くバランスが取れない。足場の狭い塀の上では多少のもたつきが命取りになる。

 今日は雲の流れが速く、今にも雨がポツポツと降り始めそうな不安定な天気だ。雨も降り始めたら足元は滑りやすくなり、余計に危険を伴う。


 目の前で友達を失いたくない、その一心で笹岼は落合に説得を試みる。


「自殺なんて絵梨らしくないよ! 私がいるから、これからは私があなたを守るから。だから、もうこれ以上はやめて!」


 胸が張り裂けそうだ、あと一歩で落ちてしまう。彼女にとって、高校では仲良くしていなかった元友達かもしれない。そのせいで悪に手を染めてしまい、結果一人にさせてしまった。


 ​───────私のせいだ。


「私が悪かったから、謝るから・・・・・・お願い、死なないで!」


 泣いて詫びる笹岼に、落合は唖然とした。まさか自分の為に、涙を流してくれる人がいるなんて思いもしなかった。

 落合はそれに答えるように、塀に腰を下ろす。元々仲良くしていた友達が、忘れられていたと思っていたのに、こうして迎えに来てくれてとても嬉しかった。


「・・・・・・もう泣かないで、梓乃がいてくれるなら敵無しだね。本当はずっと一緒にいたかった・・・・・・それはもう叶わないと思った。ウチ、一人になって怖かったんだよね。連れが出来たのはいいけど、心の底から笑う事が出来なくて」


 足をばたつかせて薄暗い空を見上げる。


「でも、もう平気だよ。梓乃がこれから一緒にいてくれるんだもん」


 赤く腫れた目を擦り、さっきまで泣いていた顔を笹岼は無理矢理、笑顔に変える。


「うん、一緒だよ。絵梨は私の親友だからね」


 現状を可笑しく感じお互いに笑い合う。こうして、二人が笑いあったのも久しぶりだった。中学で放課後に勉強を教え合った時以来だ。

 数学の苦手な落合に、公式の覚え方と問題の解き方を頭を抱えて笹岼は教えてあげる。四苦八苦したが、やっと出来るようになった時、不思議と笑いが込み上げて止まらなかった。

 あの頃の楽しかった思い出が懐かしく感じる。


 それから笹岼が一緒に戻ろう、と手を差し伸べたが、落合はもう少し落ち着かせてから戻ると伝えて、先に笹岼を教室に戻らせた。

 風は先程より少し弱まって、目を閉じて熱を冷ますにはちょうど良い心地良さだった。

 ああ、これで良かったんだ、落合は一つ大きな深呼吸をする。


 ​───────ありがとう、梓乃。


 彼女はゆっくりと体を後ろに倒した。

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