第10話 空に落ちる 前編

「乙葉、小テストの時どこにいたの? もしかして保健室とか? 体調悪かったの?」


 質問攻めをするが、花撫は素っ気なく答える。教室を出る時からずっとこの調子だ。校長のハゲ頭が光っていた話や、テレビでやっていたサンタを信じてやまない少女の話、花撫の好きな男性アイドルの話もした。

 しかし、花撫はどこか遠くを見て黒原の話に興味を示していないようだ。


「あ、うん、そうなんだ。ちょっと体調がね」


「そっか、無理しないでね。体調崩したら、遅れを取り戻すの大変だから」


 黒原が言うと、それはとても説得力がある。それにしても彼女の様子がおかしい、直接聞くにも聞けない。もし悩みがあるなら話して、と口にしては見たものの彼女はこくりと頷くだけ。


 気付いた時には、いつもの分かれ道に着いていた。花撫は俯いたまま、じゃあね、と背を向けるが、我慢ならなかった黒原はとうとう口を開いた。


「乙葉、私、何か気に入らないことした?」


 よく分からない、彼女を心配しているはずの自分から発せられた言葉じゃなかった。無意識に発せられた言葉は本心なのか、それとも夢に出てきた秦野の言葉なのか。黒原は後者を信じたかった。

 だがもう、口にしてしまった以上相手の耳に届いてしまっている。花撫は足を止め、黒原の方へと振り返った。彼女は黒原を恨みの籠った目で睨みつける。


「気に入らないこと、ね。私に聞く前に、そっちが先に言わないといけない事があるんじゃないの?」


「え、何のこと?」


「とぼけないで。昼休み、黛澄くんと何してたの」


 怒りの籠った口調に黒原は一歩引いた。明るい乙葉からは感じることが無かった雰囲気、いや確か前にも黛澄さんが関わる話の時にもこんな態度を取っていた。

 顔を逸らして、特に何も無かったと伝えると、花撫は拳をぎゅっと力強く握り歯を食いしばる。


「ふざけないで! 一人で抜け駆けして、黛澄くんに目の前でギター弾いてもらってイチャイチャして、最後には二人で手を繋いで・・・・・・何なのよ!」


 花撫は激昴して、持っていたバッグを地面に投げつけた。

 彼女は見ていたのだ。黛澄との会話も、心地良いギターの音色も二人の幸せな空気も何もかもを見られていた。

 その瞬間、黒原は恐れた。自分の、黛澄への気持ちが見透かされているのではないかと。それに笹岼が言っていた黛澄の事が好きな人、その中に花撫の名前も挙がっていた。

 こういう態度を取るという事は、花撫の想いは事実なのだろう。

 今はとにかく誤解を解こう。


「聞いて乙葉、あれは付き合ってるとかじゃなくて、黛澄さんが私を元気付ける為にしてくれた事なの。乙葉と同じように、黛澄さんは私の事を心配していて、自分が出来る事で私の為に行動してくれて​───────」


「要するに、黛澄くんはあなたの為なら何でもしてくれるって、そう言いたいの?」


 違う、そうじゃない。私が言いたいのは、黛澄さんは優しくて周りをしっかり見ていて、私の事もしっかり見ていて​。いや、これじゃあ乙葉が言っている事を肯定することになる。

 黒原は、上手い言い訳をほんの数秒間、頭の中をぐるぐると回転させて考える。だが上手い言い訳は、全て花撫に喧嘩を売るような事しか思いつかない。


「いや、そうじゃなくて」


「じゃあなんだっていうの?」


「その、黛澄さんが優しい事は乙葉も知ってるでしょ? だから、黛澄さんは酷い目にあった私の事を心配して行動してくれた。これは私だけじゃなくて、乙葉にもしてくれる優しさだと思う」


 彼女は、瞬時に思いついた言葉をただ並べてみた。焦りもあって彼女にしっかりと伝わっているのかはわからないが、黒原の精一杯の言い訳だった。

 すると、花撫はそっか、と俯いてふふっと笑ってみせた。


「そうだよね、さすが黛澄くんだよ。どんな人でも優しく手を差し伸べる、私の理想の相手だね」


 彼女は顔を上げると、喜びが顔から滲み出ていた。

 気味が悪い、口には出せないが花撫の変わり身に、黒原は親友に対してそう思ってしまった。


「ごめんね、みおりんは何も悪くないんだよね。悪いのは落合さんだね。こうして親友と黛澄くんを誤解しちゃう状況を作った、落合さんが悪いんだもんね」


「う、うん、良いよ。私も乙葉に誤解されるような事して、ごめんね。変だよね、あんなに嫌だって言ってたのに黛澄さんと関わっちゃうなんて」


 ​───────全然、変なんかじゃない。


「関わってたら今回みたいに疑われちゃうし」


 ​───────別に疑われたっていい。


「それに、私、黛澄さんのことなんて全然好きじゃないしね」


 ​───────好きに決まってるじゃん!


 初めて自分の好意を言葉で否定した。

 胸にちくりと痛みを感じる。黒原は好きなものを否定する事は滅多にせず、それを口に出すなんてもってのほかだ。自分の好きなバンドでさえ否定したことが無いのに。

 だが今は、そうする事が最善の策だと彼女は信じた。

 黛澄に好意は無いと聞いた花撫はそっか、と胸に手を当ててとても嬉しそうだった。


「あー、良かった。もし、みおりんも黛澄くんの事好きだったら​───────」


 最後の一言がずっと胸に残る。何度も拭っても取れないシミのように、色濃くこびり付いた言葉。

 そうなんだ、この子は親友だとしても自分の為なら、私の事を"殺していた"んだね。

 黒原は彼女の人間性を疑い、これ以上は関われないとはっきりした。親友というのは上辺だけの決まり文句、実際はそうではない。

 手に入れるためなら何でもする。それが例え人の道を外れたとしても。

 花撫に対する想像は理想であり、現実とは異なる事を黒原はその身に感じ取った。


 それなら、落合さんとかはどうなってしまうんだろう。笹岼さんが言っていた、黛澄さんの事が好きという人達は、乙葉に殺されてしまうかもしれない。

 あれから彼女の機嫌は良くなって、いつもの仲良しごっこに戻ったのはいいものの、もしかすると命を狙われているのかもしれない。

 いやそんなまさか、そう思いたがったが今の花撫にはその確証がどこにも無かった。

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