第6話 一悶着
消しカス事件から二ヶ月程経ち、空模様が暗くなることが次第に増えていく季節となった。
この頃、頭痛も特に無く、出来るだけ目立たないように努力を続けていた黒原のもとにも、暗雲が漂い始めていた。
地味なイタズラはすぐに終わりを告げ、今では普通に生活をしている。しかし、ズカズカとこちらに向かってくる足音が、"普通"をねじ曲げるきっかけを生むことになる。
「ねえあんた、最近調子に乗ってるでしょ」
昼休み、机に向かって一人復習をしている黒原に、急ないちゃもんをしてきたのは落合だった。話しかけられているのは自分ではないと、うさぎが耳で危険を察するように、黒原も危険を察して何も聞こえないふりをする。
「ちょっと、聞こえてるの? それとも聞こえてないふりをしてるの?」
「・・・・・・」
「おい、反応しろよ!」
怒り心頭の落合は、黒原の机を強く叩く。
「は、はい・・・・・・私に何か用ですか」
まるでイヤホンをつけていて、周りの音が聞こえていなかったようなフリをする。
「あんたやっぱり調子に乗ってるわ。そうじゃなかったら、ウチの事無視しないよね」
「あ、その、勉強に集中してて、全然気が付かなくて・・・・・・」
「はあ? 言い訳してんじゃねえよ。ブスのくせして何調子こいてんだよ」
「そ、そこまで言わなくても・・・・・・」
「ん、なんか言いましたか? ブス原さ〜ん。声が小さくてよく聞こえませ〜ん」
─────ああ、とうとう捕まってしまったんだ。
黒原は頭の中で大きなため息をついた。鍵付きのカゴの中に閉じ込められた鳥は、一生そこから自由になることは不可能。
落合に捕まってしまった彼女もまた、二年目の学生生活の序盤で自由を失ってしまった。
それに、落合のような性格の人物に捕まってしまった以上、陰湿で地獄のようなイジメが本格的に始まるのだと、黒原はまた、頭の中で大きなため息をつく。
「わ、私、何もしてませんよ。勉強してるだけです。来年には大学受験が始まるし、今のうちにやっておかないと・・・・・・」
わざと弱々しく言葉を発するのだが。
「はあ? 知らねえよそんなもん。てめえの勝手だろうがよ。てか何もしてないやつに、ウチが腹立てるわけねえだろ。てめえの存在が気に食わなくて腹立ててんだよ!」
なぜこういう面倒な人ほど、台詞の初めは決まって「はあ?」と言うのだろうか。存在が気に食わないほど腹を立ててる人物に、どうして話しかけてくるのか。などと、黒原は冷静に余計な事を考えていた。
「おい、なんか言えよ! ブス原っ!」
落合はとうとう彼女の机を蹴った。長く綺麗な脚で、重たく頑丈な木でできた机を数センチずらす。
さすがに冷静な黒原も、その行動には恐怖を感じ、思わず「ひっ」と情けない声が漏れる。怖い、許して。そんな感情が彼女の頭の中を蠢き、顔は青ざめて手が震え出す。
「ちょっと待ってよ、なんで怯えてんのよ。ウチはそんなつもりで、あんたに言ってるんじゃないんですけど。まるでウチが悪者みたいじゃ〜ん。勘弁してくれる?」
「ひっ、ひぐっ」
とうとう泣き出してしまった。
泣き出した彼女を見て、落合は余計に腹ただしく感じた。彼女は、別に悪者になるために黒原に声をかけたのではない。単純に、黛澄の近くにいてほしくないから、声をかけただけだった。
なのに、相手が泣き出しては元も子もない。
「ちょ、ちょっと待って、別にそんなつもりじゃ・・・・・・」
あれだけ威圧していた彼女だったが、予想外の状況で困惑していた。
「あれ? 黒原さん、泣いてるの?」
心配そうにやってきたのは、黛澄だった。
「落合さん、黒原さんになんかしたの?」
「黛澄くん、べ、別に何もしてないわ。ウチはただ・・・・・・」
「いいえ、あなたは黒原さんの事を罵倒していたわ。変な因縁つけて、調子に乗っているだの、ブス原だのって、彼女を傷つけることばかり言ってたじゃない」
ズカズカと現れ、垂れ込んできたのは生徒会の笹岼だった。メガネを人差し指で上げて、瞳は落合のことを睨んでいる。
「ちっ、余計な事言いやがって」
「余計な事じゃないわ。事実を述べただけ。そうやって、良い子を装ったって結局はバレてしまうんだから、嘘をつかない方が身のためよ」
「うるせえ! あんたみたいな真面目ちゃんは、黙って机に向かって小さな文字をひたすら眺めていりゃいいんだよお!」
「落合さん、一旦落ち着こ」
そう言って、笹岼と落合の間に黛澄が入る。落合はバツの悪そうな顔をする。
「ウチは落ち着いてるよ、いつだって落ち着いて行動してる。黛澄くんに止められなくても、ウチは落ち着いて物事をはっきり言っているんだよ」
「もしそれが本当なら、あなたはかなり空気が読めなくて性格の悪い、最低な人、ということになるわよ」
否定しなくていいの、と問うような言い方を笹岼は真顔で口にする。
笹岼の言い分は、合っていて、なおかつ落合の事を遠回しに否定してもいいのかと聞いているようなものだった。それは相手を黙らせる魔法の質問でもある。
「くっ・・・・・・」
「ねえ落合さん、君のように社交的な女性が、他人を罵倒するなんてありえないよ。僕は友達やそれ以外の人と、仲良く楽しく話している落合さんの方が好きだな」
まるで落合の事を擁護しているようだ。相手の良いところだけ見て、それを賞賛し、更には好きという二文字を付け加える。優しくも残忍な一言だ。
黛澄にとって、その一言は安易に出せるものなのだろう。そうでなくては、彼は他人を自然に傷つける天才だ。
もちろん、彼の言った好きというのは恋愛感情としてではなく、人としてという意味だ。
だが、彼の事を想う落合には、その意味は通じなかった。
「ウチ、ウチのこと、今、好きって言った。言ったよね!?」
悪気もなく黛澄はこくりと頷く。
「ほら、あんた達に勝ち目はないのよ」
落合は黒原と笹岼を交互に指をさして、勝ち誇った顔をしている。が、彼女たちは彼が言った好きの意味をしっかり理解していた。
「もういい、これ以上あんた達と喋ってても時間がもったいない。メイクを直さないといけなかったのに、無駄な時間を使っちゃったよ」
呆れた顔でため息をつく。
彼女たちからすれば、吹っかけてきたのはそっちだろ、と言いたくなるほど落合の行動が理解出来ていなかった。
しかし、これ以上の面倒事は望まない二人は、口を噤む。
「忠告しとく、またウザイ行動とかしてたら、ガチで容赦なく遊んであげるから覚悟しろよ? だから次は無いと思え」
そう吐き捨てて、彼女は空気が悪くなった教室を一度出ていった。後ろ姿は怒っているように見せていたが、黛澄に言われた好きという言葉が脳裏に焼き付いて、顔のにやけは抑えられていなかった。
彼女が出ていったあと、黛澄と笹岼が黒原の元へと駆け寄った。
「黒原さん大丈夫? 怪我はない?」
「何もしてない人に突っかかるなんて、面倒な人ね。良くも悪くも、黒原さんはそれほど目立った行動をしていないのに、どうして狙われる対象になるのかしら」
笹岼に対して、一言余計だ、と思いながらも涙を拭って、黒原は首を振る。そして一言、分からない、と告げるが実際のところは分かっていた。
隣の席に座る黛澄のせいであることに。
だがその本人を指でさしたり、こいつのせいだと言うことも出来ず、ただ分からないと言うしか彼女には手段がなかった。
「でも、また何かあったら手を貸すわ。一度ああいう性格の女の子に捕まってしまったら、どこまで酷い目にあわされるか分からないものね」
「僕も何かあったら助けるよ。力は弱いかもしれないけど、少しでも黒原さんの助けになるならいつだって手を貸すよ」
温かい言葉をかけてくれる二人、黒原は思わずまた涙を流しそうになっていた。
ここはグッと堪えて笑ってみせる。と、タイミングよく五時間目のチャイムが鳴る。
かばってくれた二人にとても感謝をしていた黒原は、あの時のことを思い出しては胸の奥が暖かく感じていた。
人の優しさとは本来はこうあるべき、誰かが困っていれば接点はなくとも救いの手を伸ばす。素晴らしいことだ。
その事を学校の帰り道でその場にいなかった花撫に、黒原は嬉しそうに話していた。
「笹岼さんと黛澄さん、すごい優しかったんだよ。私をかばってくれて、いつでも助けになるよって言ってくれたんだ」
「へえ、でも落合さんも中々恐ろしい人なんだね。知らなかったよ。黛澄くんのこと好きだから、隣の席になっていつも楽しげに話してるように見えるから、みおりんにちょっかい出したのかもね」
「え、そうなの? 私は別にそんなつもり、さらさらないんだけど。むしろ向こうから話しかけてくるから、それに反応してるだけ。もしそれが落合さんの逆鱗に触れたなら、私、もっと気をつけないといけないね」
「そうだね。もっと気をつけてくれないと」
花撫はそう言うと、下唇の端を噛み手ぐしで強めに髪をとかす。プチプチと聞こえてくる絡まった髪の毛が切れる音は、彼女の底知れぬ怒りを感じさせた。
「ね、ねえ、怒ってるの? 心配して怒ってるならもう大丈夫だよ。私なりにどうにかして、乙葉に迷惑かけないようにするからさ。あと笹岼さんにも黛澄さんにも」
「うん、本当に気をつけなきゃダメだよ。もう・・・・・・始まってるからね」
「え、イタズラされてるの知ってたの?」
「当たり前じゃん。靴箱の中から大量に紙くずが落ちてきた時、私いたもん。大事な電話してて手伝えなかったけど、あれは酷いよ。人としてどうかと思う」
「だよね! 犯人はだいたい分かってるけど、本当に許せない」
「犯人って?」
花撫は立ち止まって聞く。
「落合さんでしょ。まあ証拠は何、って言われてもないんだけどね。でも、黛澄さんの隣に座る私に、ああやって言ってくるってことはそういうことなんじゃないのかな」
そう聞いて、花撫はまた歩き出す。
「そっか、でもそうかもしれないね。イタズラした上で突っかかるって、もうそれイジメじゃん、イジメ」
花撫が口にした『イジメ』という単語に、黒原は頭を抱えてしまう。
「え、私とうとうイジメの対象にされちゃったの? せっかく目立たないようにこれまで頑張ってきたのに。はあ、この日が来てしまったことなんだね」
うなだれる彼女に対し、花撫は納得がいったように腕を組み首を縦に振る。
「そりゃ当たり前だよ。隣に黛澄くんがいたら、誰だってイジメの標的にされると思うよ。イケメンと喋ってるだけで狙われる世界なんだから」
花撫の核心をついたような言い分に、すぐに返す言葉は何も見つからなかった。正直それが全ての元凶なんだと、黒原は心からそう思ったからだ。
基本的にどんな異性と話していたところで、何も生まれないのが平和な世界。しかし、人間とは悪い生き物、仲良くしているだけで周りに面倒な状況にされやすい。
例えば、ものを届けてくれ、一緒についていけ、付き合ってる、結婚するのか、などと男女の仲というのを上手く利用したり、すぐに恋愛的要素で見ようとする。いわゆる『噂』というものだ。
そして、吹き抜ける風のように噂は囁かれていき、いつしか嘘か真実か区別がつかなくなる。
「だけど別に、付き合ってるわけじゃないんだよ。ただ隣の席ってだけなんだよ」
黒原は眉をしかめて怒り口調で言う。
「でも笑顔で仲良く話してるように見えるけど?」
「いや向こうから話しかけてくるから答えてるだけで、嫌そうな顔したら相手に悪いし。それが、問題なの?」
「そこから噂が広まっていくんだよ。現状、黛澄くんを狙ってる人は多いからね。もし、そのまま生活を続けていたらやがて───────」
立ち止まる黒原を追い越し、花撫は数歩先で立ち止まり振り返る。
「痛い思いをする」
真っ直ぐと黒原の瞳を見て断言する花撫の言葉は、優しくも重たく、忠告をしているように感じられる。
言われた黒原は目線をおとし、ぎゅっと持っていたカバンを抱き締める。
「わかった・・・・・・。とりあえず、気をつけてみるよ。出来るだけ黛澄さんと話をしないで遠ざける。そうすれば、平気だよね」
「うん! 元の日常に戻ると思うよ!」
花撫はにっこりと笑顔でそう言った。
彼女の意見に同意して、元の日常に戻れるという希望が見えた黒原は、笑顔をつくり歩き出す。
「よし、それなら頑張らないと! 明日から実行!」
「「おー!」」
二人して拳を上げて勢いをつける。
そうこうしている内に十字路にたどり着いた。
「あ、じゃあ私はここで。また明日ね、みおりん」
「うん、わかった。また明日」
「「バイバイ」」
二人は手を振って十字路を左右に別れた。お互いに背中で相手を見送る。
この時、黒原は鞄をまた強く抱きしめて、手を震わせていた。ある程度歩いた所で振り返り、花撫の背中を怯える犬のような瞳で見つめていた。
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