第5話 四年前の遺体
春の気温が段々と湿度と共に上昇してきた頃、袖捲りをして衣替えの時期までの辛抱だ。
じんわりと汗をかいてしまうほど今年の五月は少し暑い。
その中、ひとつのニュースが学校全体を大きく震わせる。クラス中はその話題で持ち切りだ。
「ねえねえ、これってすぐそこの川でしょ?」
「そうだよ。しかも、川上中の制服を着てたらしいよ、その白骨遺体」
「身元は分からないみたいだけど、亡くなってから相当時間経ってるよね。あ、なんか四年前に行方不明になった女の子じゃないかって書いてあるよ」
「ウチらが中二の時だよね。なんか怖いね」
携帯の画面をいじりながら口にしていたのは、SNSに流れてくるものであった。
彼らの通う高校の近くには、大きな川が流れている。河川敷には草木が生い茂り、雨の降らない限り歩いて川を渡れてしまうほどに水量も少ない。
ちょうど草刈りに来た地域住民が、白骨遺体が岩に腕を引っ掛けるようにしているのを偶然発見し、通報したようだ。
SNSの内容では身元不明なのだが、唯一その遺体は川上中学校の制服を着ていたという。制服のボタンには学校の紋章である蓮の葉が刻まれている。
「川上中って山の方だよね。流れてきたってこと?」
「それかそこに捨てられてたとかじゃない? どっちにしても不気味だよ」
この話題について、花撫も黒原に帰宅途中に話していた。
「ねえ、みおりんはこの白骨遺体、どう思う?」
そう言って黒原に携帯の画面を見せる。ずらずらと書かれた文字の羅列が、目を酷使させる。
「どうって、どうもこうもないでしょ。全く知らない人なんだしさ」
「でも、確かみおりんも川上中じゃなかったっけ? 同じ中学なんだから、誰か分かるんじゃないの?」
「ううん、全く知らないよ。四年前に行方不明になった子がいたら、学校中大騒ぎしてるはずでしょ? だけど、そんな記憶一切ないよ」
「そっかあ、でも怖いね。もし身近でもこんな事件あったらと思うと─────」
「ちょっと不吉なこと言わないでよ。ただえさえ現状が不吉なんだから」
そう言って黒原は周りを見渡す。周りが自分のことを見ていないことを確認すると、そっと胸を撫で下ろす。
心配ばかりする彼女の肩に手を置き、花撫は優しく声をかける。
「まあ大丈夫だよ。みおりんには私がついてるから」
「ありがとう乙葉、持つべきは親友だね!」
親友とはこうあるべき、困った時には手を貸してくれる。それが直接手を貸すことでも、暖かい声をかけてくれることでも、どちらにしても有難いことだ。
だけど、それにしてもと花撫はもう一度話を戻し、やっぱ怖いよねとまた水を差す。
「うん、怖いけど犯人ってもう捕まってるんでしょ?」
「それがね、犯人逮捕の情報が載ってないんだよね。もしかすると、まだ捕まってないのかもしれないよ。野放しってやつだね」
「やめてよ、余計怖いじゃん。でも───────」
黒原は、何か思い出したのか深刻な顔をして打ち明ける。
「確かその子って、自殺したんじゃなかったかな。そんなことを周りの子がこそこそ話してた気がする」
「自殺!? ってことは殺人事件じゃないの? 私、てっきり殺人事件だと」
「でもあくまで噂だと思うけどね」
花撫は白骨遺体のニュースについて、殺人事件だと思っていたようで、噂と聞いて驚いた顔をしていた。
「これってさ、もし殺人事件だったらどう思う?」
この一言から彼女達による推理大会が始まった。
「もし殺人事件だったらかあ・・・・・・犯人は殺した後に川に死体を捨てた、それで流れ着いたのが発見された場所ってどう?」
「うんうん、みおりんの推理、悪くないね。私は殺した後に、川に埋めたんじゃないかなって思うんだ」
「埋めたって、どうやって。ただえさえ水が流れてるのに」
彼女の推理に疑問を投げかける。流れ続けている川にどうやって捨てるっていうの。
疑問は「簡単だよ」という一言で投げ返された。
「あそこの川って普段はどうなってる?」
「えっと、水が流れてる」
「いやいやそうじゃなくて、じゃあもっと簡単に聞くね。雨が降らない限り、歩いて向こう岸まで渡れる? 渡れない?」
「渡ろうと思えば渡れるかな」
この時点で花撫が言いたいことをいまいち理解出来ず、曖昧な回答をする。
晴天が続くと川の水は、中心の方にしか流れなくなる。流れが強い時はその場所を歩いて渡ることは難しいが、緩やかな時であればどうにか渡れる、なんて安易な考えの上だ。
しかし、彼女の答えは花撫が求めていた答えだったようで。
「そう、そういうことよ」
いや、どういうことなの。黒原はさっぱり分からなかった。「何が言いたいの」と直接聞いてみると、得意気な顔で話し始めた。
「川の水は雨が降らない限り増水しない。そして、渡ろうと思えば渡れるほどに干上がっていく。イコール、地面が見えるってことでしょ? ということは、誰かがそこに死体を埋めに行ったって考えられない?」
「なるほど・・・・・・犯人は生徒を殺して、川に埋めに行ったってことか。乙葉の推理、妙に説得力あるね。しかもミステリーとして面白い!」
「でしょでしょ!」
お互いに的を撃ち抜くような推理で、胸が高まる。
「でも殺人事件だったとしたらさ、犯人ってどうなんだろ。たぶん捕まってないよね」
「乙葉、自殺だったら犯人なんて存在しないよ。まあ、それをするまでに人を陥れた犯人はいるかもしれないけど」
「ああ、そっか。どっちにしても許し難いね」
「まあね」
推理を楽しんでいると、二人は住宅街の十字路に着いた。いつもここで左右に別れて家に帰る。
楽しかった一日もここで終わりを迎え、また出された宿題を片付けなければならない。そう思うと、黒原は残念そうにする。
しかしながら、どうして親友との「また明日ね」と交わす挨拶はこんなに心地いいのだろうか。ああ、また明日も会えるんだ。楽しい日々が待っているんだ。黒原は、希望を持たせてくれる一言だと感じていた。
黒原が家に帰ると、入口には鍵がかかっていた。ため息をつき鍵を開けて中に入る。
「ただいま、おばあちゃん、鍵は開けといていいよ」
と大声で言ってみるが返答は無い。
居間に向かうと、テーブルの上に置き手紙がある。
デジタルが進んだこの世の中に、紙を使って伝言を残すなんておばあちゃんだけだ。黒原はカバンをテーブルの上に置き、座椅子に座って手紙を読む。
〈美織へ 買い物し忘れた物があるから買ってくるね。冷蔵庫の一番上に美織が好きな豆大福があるから、お腹が空いていたら食べていいからね〉
「おばあちゃん、買い物に行ってるんだ」
あまり興味を示さない黒原が興味を持ったのは、祖母が用意してくれた大好きな豆大福だった。背丈より少し高めの冷蔵庫の一番上に手を伸ばし、ぽつんと置かれた豆大福を手に取る。
和菓子が好きな彼女は必ずと言っていいほど、お供に茶葉にお湯をかけて煮出したお茶を準備する。
やっぱりこの組み合わせが一番だよね。コーヒーでもなく、紅茶でもなく、和菓子には深みと苦味がある緑茶がないと始まらない。
電気ケトルのお湯を沸騰させ、茶葉を入れたティーポットに沸かしたお湯を回しかける。少し時間を置いてから湯のみに入れる。いつもの手順だ。
準備を終えた黒原は、テーブルに持っていきあぐらをかいてテレビをつける。豆大福を小さな一口で食べ進めつつも、緑茶の深みを口いっぱいに堪能する。
黒原の家は祖母との二人住まいである。先立ってしまった祖父は、今でも仏壇から笑顔で二人を見守っている。両親とは中学の頃から話をしておらず、ある日学校から帰った時から姿を見ていない。行方不明だ。
とくに捜索願を出したわけでもなく、空っぽの頭で歩きたどり着いたのが祖母の家だった。徒歩十分圏内にある彼女の唯一の家だった。
祖母は優しいし、料理も上手、噛む度に旨みが溢れ出るせいでよく噛んで食べるくせが身についてしまった。
この前作ってもらった鮭のグラタンなんて、頬が思わず緩んで溶け落ちてしまうほどに格別だった。あの味は決して忘れられない。
市販の豆大福であるが、よく噛んで味を堪能し緑茶の苦味も味わう。「ああ、美味しい」とついつい声が漏れてしまう。
人が幸福を堪能しているというのに、テレビの画面には暗いニュースが流れていた。それは今日、花撫と話した事件についてだった。
悲しみを繕ったニュースキャスターの女性が淡々と話す。
『先日、発見されました河川敷の白骨遺体の身元ですが、四年前に行方不明となったとされる御国香織さんのご遺体であると判明いたしました』
女性が言う、
『香織さんのご遺族の方が悲痛の声を上げていました』
すると画面が切り替わり、
「う、うちの娘は、常識に欠ける部分があったと思います。ですが、どうして、こ、こんな事に・・・・・・。明るく良い子で人当たりも良くて───────人の恨みを買うような、自殺するような子じゃないんですっ!」
彼に向けられたカメラのフラッシュが激しさを増す。
「私は、許さない・・・・・・香織をあんな姿にさせた犯人を、絶対に見つけてやるっ!」
娘を失った父親の怨恨が、表情から滲み出ていた。歯と歯の間に舌があったら、ちぎれてしまうんじゃないかと言わんばかりに悔しさを噛み締めている。
そこでまた画面が移り変わり、先程のニュースキャスターが淡々と次と話題に移行する。
───本当に悔しかったんだろうな、あの人。
黒原は同情し、圧倒されていた。娘を失う経験はないが、行方をくらませた両親は失ったも同然だ。胸に痛みを感じ、胸の辺りをぎゅっと握り抑える。
痛い、頭にもそう感じ始めた。ぐっと縛り付けるような痛み、孫悟空が頭につけているサークルが、三蔵法師の詠唱によって縮んでいくような痛み、ゆっくりと頭痛が酷くなっていく。
「うっ、痛・・・・・・い」
寝転がっていても辛い痛み、段々と視界が薄れてきてしまう。
「そうだ、確か食器棚の二段目に予備の薬があったはず・・・・・・」
四足でゆっくりと食器棚に向かう黒原は、歩いて三秒程の距離にも関わらず、酷い痛みのせいで汗が止まらない。息も荒くなり呼吸もしずらくなる。
椅子に体重をかけて重たい体を持ち上げると、食器棚に手を伸ばし、やっとのことで瓶に入った錠剤を手にする。
辛うじて瓶の蓋を開けて、一回二錠、大きめな粒を口に入れフラフラと歩き、キッチンの水道水を手の届く範囲にある乾かしていたコップを使って流し込む。
これで、頭痛は治まるはず。黒原は、特に重い病気を患っているわけではないのだが、稀に起きる激痛を伴う偏頭痛対策で薬を常備していた。
───今回の偏頭痛、結構キツイな。立ってるのがやっとだ。
台所に手を付き、どうにか自分を支えているのだが正直これ以上は動けない。視界もだんだん暗くなってきた。
「あっ」
スローモーションで自分が床に向かっていくのが分かる。最後に鈍い音が聞こえて、頭とは別の場所に強い痛みを感じた。そして、視界も真っ暗になって───────。
───────ムンクの叫びだ。
次に目にしたのは天井のシミだった。何年も住み続けて出来上がったシミは、祖母の家に黒原が住み始めてから存在する。
深夜0時、勉強で疲れ果ててベッドに横になると、必ず目にする芸術家の作品、を模したもの。
毎日寝付きの悪い原因の一つはこれなのかもしれない。おかげで寝不足のまま学校に向かうから、授業をちゃんと受けることが精一杯である。
「大丈夫? 美織ちゃん」
この細くしゃがれた声は祖母である。そこで、おおよその見当はついた。
黒原が倒れた後、ちょうど帰宅した祖母が体をゆすったり心臓の鼓動を確認したりして、とりあえずベッドまで運んだのだろう。
心配そうに顔をのぞかせる祖母に対し、黒原は口角を上げて「大丈夫だよ」と答えた。
「急に頭痛が酷くなってきて、食器棚にあった予備の薬を飲んだの。部屋まで取りに行けるほど余裕がなくて」
「良いんだよ、こういう時のための予備でもあるんだから。それにしても久しぶりだねー、頭痛が起きるなんて。中学校以来だったわよね」
祖母は頬に手を当てて、奥様会話をしている風に話す。
「うん、でも薬があったからどうにかなったよ」
「明日、学校休む? どうする?」
「ううん、ちゃんと行くよ。勉強遅れたら大変だからね」
「偉いねー、美織は。じゃあおばあちゃん、ご飯作ってくるから出来上がるまでゆっくりしていなさいね」
そう言って、祖母は手を振って部屋を出ていった。
なんであれ頭痛が起きたのは、確かに中学校以来、何が原因で痛み始めたのかが分からない。
もしかして豆大福? それとも緑茶? どちらか、もしくはどちらも腐っていたのかもしれない。誤って口にしてしまい体調を崩してしまったのかもしれない。
原因が分からない以上、直前に口にしたその二つのせいにするしか当てがなかった。
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