第4話 照れ隠し

「こんにちは。えっと花撫乙葉さんだっけ? その男性アイドル好きなの?」


「ま、黛澄くん! え、あ、うん! この男性アイドル好きなんだあ!」


 偶然出会った黛澄に、花撫は驚きつつも髪の毛を整えながら答える。


「かっこいいよね。僕はそこまで曲とかメンバーの名前とかは分からないんだけど、昨日の歌番組で歌ってた曲、良いなあって思ったよ」


 彼は優しく微笑みながら、彼女にそう言った。何気ない会話なのだが、高嶺の花と対面して話しているこの状況に、花撫はついつい頬を真っ赤に染めてしまう。


「う、うん・・・・・・それ、この前出たばかりの新曲なんだ」


「ふうん、そうなんだね。だから、テレビ初の生パフォーマンスって言われてたんだね。それで、花撫さんはそのCDを買う為に来たの?」


「あ、あ、うん! そ、そうなの!」


 花撫は、緊張のあまり慌ててCDを手に取り両手で抱きかかえる。大事そうにCDを持つ彼女を見て、黛澄は感心した。


「花撫さん、そんなにそのCD欲しかったんだねえ。手に入って良かったね!」


「う、うん!」


「乙葉ー、お待たせー」


 と、ここで黒原が買い物を終えてやってきた。


「あれ? 黒原さんも一緒だったんだ」


「え・・・・・・黛澄さん、なんでいるの?」


 黒原は彼に対し嫌悪感を抱いている。だからか、自然に顔に力が入り抱いていた感情を露わにしてしまう。


「黒原さん、どうしてそんな嫌そうな顔をするの? 僕、なんか悪いことした?」


「えっ? なってる?」


「うん。ガッツリ」


「いや、別に黛澄さんは悪いことなんて何もしてないよ。私自身、黛澄さんのことを嫌っている訳でもないし」


「じゃあどうして、嫌そうな顔をするの?」


「・・・・・・つい、ね」


「つい、か。ならしょうがないかな?」


 黒原の本心は、彼がどうしてこんな所にいるのか。そして、この状況が白綺や別の女子に知られたらどうすればいいのか。という自身の身を案じた上で顔に感情が現れてしまっていたのだ。

 だが、これは黛澄に言っても仕方がない。そうして出てきた言葉は、説得力のない一言だけだった。

 しかし、黛澄はそれを笑って受け入れた。

 そして黒原は、すぐさま話を切り替える。


「それで、黛澄さんはどうしてここにいるの? 部活勧誘会があったんじゃないの?」


「部活勧誘会は三年だけでやることになってて、僕達二年は参加しないことになったんだ。それで時間が出来たから、このCDショップに時間を潰しに来たんだ」


「ふうん、そういうこと・・・・・・か」


「ねえ、それよりも黒原さんは何を買ったの? ・・・・・・それ」


 黛澄は、黒原が持つ袋を指差す。


「これ? これは私が好きな二人組のバンドの新曲。別に大したものじゃないよ」


 黒原は、自分の好きな物に対して"大したものじゃない"なんて言うのは、苦痛であった。だが、黛澄に詮索されたくないという一心で、口にしてしまう。

 しかし、それだけでは黛澄の好奇心を止めることは出来なかった。


「ふうん、僕にも教えてよ。そのバンド。吹奏楽をやっている身からすれば、自分の知らない曲を聞いてみたいんだ」


「えっと・・・・・・」


 彼女は、自分の好きな物に興味を持ってくれることに関しては、とても嬉しく思えた。

 もしかすると、同じ趣味を持ってくれるかも。そうすれば、オシャレなカフェで甘めのコーヒーを口にしながら同じ趣味について語り、時間を忘れて過ごしてしまいそう。

 なんて淡い期待をついしてしまい。


「わかった。教えてあげる。このバンドなんだ」


 袋の中からCDを取り出し、ジャケット写真を彼に向ける。すると、彼は指をさして口を開いて驚いた顔を見せる。


「あ! そのバンド! 僕も好きなんだあ! そっかあ、黒原さんも好きだったんだねえ」


 黛澄は黒原の趣味にとても感心した。そして、黒原も彼のセンスに感心した。


「黛澄さんも好きなんですね! お目が高いですねえ」


「ちょっとちょっと、二人だけで盛り上がらないでよお」


「ごめんごめん、つい嬉しくてさ。乙葉もバンドじゃなくて基本アイドルだから、あんまり話せないしさ」


「だからって除け者にはしないでよね!」


 ふぐのように頬を膨らます花撫の頭を、黒原が優しく撫でる。すると、みるみる縮んでいく彼女を見て、黛澄はついつい吹いてしまった。


「二人とも仲良いんだね。微笑ましいよ」


「うん! みおりんとは高校一年からだけど、親友なんだあ」


 花撫は嬉しそうに話す。

 彼女の口にした『親友』という言葉に、黒原は少し照れ臭くなる。自分の口角が緩む前に、黒原は解散を進める。


「ねえ、そろそろ帰ろうよ。明日も学校なんだし」


「ああ、うん、そうだね」


「うん、そろそろ僕も帰るよ」


 そうして、お互いに『またね』と交わし、彼女達はCDショップを後にした。



 ​─────黛澄と別れた二人は帰路につく。黒原は、CDの入った袋を振り子のように揺らしながら歩いていた。花撫も黛澄と別れたあと、つい勢いで店に戻って買ってきたCDを、大事そうに抱えながら隣を歩く。

 新作を買えた黒原だったが、怪訝そうな顔でグチグチと愚痴をこぼしている。


「もう初日から散々だよ。唐突に始まった席替えのせいで、人気者の黛澄さんの隣になっちゃうし、高嶺の花である白綺さんには睨まれるし、挙句の果てにはCDショップで黛澄さんと出くわすし。一体今日はどうなってるの? もしかして厄日だったの?」


 今日の出来事が、どうしても納得いかないようだ。

 愚痴をこぼす黒原の隣では、花撫がずっと嬉しそうにニヤニヤとしている。


「ちょっと乙葉、私の話聞いてるの?」


「ん、ああ、聞いてる聞いてる」


 まさに適当な反応だ。


「絶対聞いてないよねそれ。というか、なんでそんなにニヤニヤしてるの?」


「だって、あんなイケメンと対面で話せたんだよ!? あんな経験、今まで一度もなかったもん! みおりんは、黛澄くんが隣で嫌かもしれないけどさ。私にとっては、めちゃくちゃ羨ましい出来事なんだよ」


「そっかあ、人によっては嬉しいし、羨ましい事なんだね。でも、私は嫌」


 黒原はキッパリ言い切った。

 それに対し、花撫は少し嫌悪感を抱いたのか、ニヤニヤとして夕陽に負けないくらい頬を赤くしていたのだが、みるみると元の色に戻っていく。空気が変わる。


「だけど、私はいいと思うよ。一年の頃から人気だった彼が、隣にいるんだもん。もしも​・・・・・・もしも私がみおりんと友達じゃなくて、彼の事が好きだったら​────みおりんの事、イジメてたかも」


 花撫の言葉は、黒原の背中に寒気を感じさせた。この時の花撫は、先程の優しい親友ではなく、友達ですらない赤の他人、自身に嫉妬を抱き、目の前から消えて欲しいと願う殺人犯にも見えた。

 黒原は花撫から一歩引いて、彼女に問いかける。


「それって・・・・・・冗談、だよね?」


「​─────もちろん、冗談に決まってるでしょ? なに、信じちゃったの?」


 冗談と聞いて、黒原は胸を撫で下ろす。


「だよね! そうだよね! 乙葉の演技が上手すぎて分からなかったよ」


「そう? じゃあ将来は女優さんにでもなろうかな」


「うんうん、なった方がいいよ。全然分からなかったもん」


「まあ、興味はないけどね。ささ、早く帰ろ帰ろ」


「う、うん、帰ろ」


 一度感じた恐怖は、すぐには拭い切れない。彼女は花撫との距離を、少し離して隣を歩いた。




 ​翌日。​​───────


 黒原に、不幸がふりかかる。

 悲しくも人間というのは、自分の気に入らない人が現れると毛嫌いする。

 例えば、教室の中心にいる人物が、隣の席に座る同性を嫌うとしよう。一人一人に存在するパーソナルスペースの中に、嫌う人物を遠ざけたいという思いが生まれる。

 それが風船のように膨らみ、限界を超えて破裂した時、人は衝動的に残酷なちょっかいをやり始める。


「え、なにこれ」


 黒原と書かれた下駄箱には、紙くずがぐしゃぐしゃに丸められて閉じ込められていた。雪崩のように流れ出る紙くずに、黒原は動揺している。そして、すぐに気づいた。


「いじめ、ってことだよね、これ」


 おもむろに開いてみた紙くずには、幸いにも死を願う一言などは書いておらず、少し胸を撫で下ろす。

 だが、これは始まりに過ぎなかった。


 教室に着くなり自分の机を確認すると、消しカスが少量にばらまかれていた。昨日は使っていないはずの消しゴムのカスが落ちているなんて、とても不思議な話である。

 しかし、誰かが学校に残って、この机で自習をしていたのなら納得がいく。

 その誰かを攻めようにも、特定するのは無理に等しい。黒原はため息をついて、消しゴムのカスを綺麗に手のひらにまとめて、ゴミ箱に捨てた。


「全く、朝から面倒な事になってるな」


「おはよう。どうしたの? みおりん」


 朝というのに、元気に話しかける花撫に対し、黒原の気分は朝から曇天。引きつった笑顔を見せて「何も無いよ」と口にする。


「そう? じゃあいいんだけどさ。実は朝から教室の空気が重たくて」


「どうして?」


「白綺さんと、いつも一緒にいる落合って子わかる?」


「いや、全く知らない人。その落合って人がどうかしたの?」


 周りを気にするようにして、花撫は黒原の耳元で小声で告げる。


「実は、落合さんが白綺さんと​───────」


 これは、黒原が学校に着く二十分前のこと。

 教室で優雅に読書をしていた白綺と、その横で黛澄について友達と話していた落合の姿があった。

 落合絵梨おちあいえり、肩より長い金髪に制服は着崩して、若者言葉を巧みに使いこなす。いわゆるギャルと呼ばれる陽気な性格だ。

 誰にでも分け隔てなくコミュニケーションを取り、良く言えばどんな人にでも何でも言える人、悪く言えば余計な一言が多い人である。


 事の発端は、黛澄について白綺に意見を求めたことだった。


「眞樹は黛澄のことどう思ってるの? もちろん、眞樹みたいなお嬢様は黛澄よりも、もっとお金があるイケメンと付き合いたいって考えてるんだろうけど」


「いえ、別に考えていないわ。私は、黛澄くんのことが好きよ。誰にも渡す気は無いわ」


 白綺は本を読みながら、当たり前のように口にする。


「はあ? あんたはもう十分持ってるでしょ。金も美しさも、ウチが欲しいもの全部持ってるくせに! マジ意味不いみふなんですけど」


「落合さん、別に怒らなくてもいいじゃない。私はただ、一人の女性として黛澄くんに好意を抱いているのよ。お金とかそういうもの、全く関係ないわ。欲しいと思ったら欲しいの。ただそれだけよ」


 彼女の冷静な態度が、落合の怒りに触れた。


「怒ってない! ただ気に入らなかっただけだし! だから嫌いなんだよ。金持ちは何でも欲しがって、簡単に手に入れて、幸せに溢れて、毎日気持ち良さそうに過ごすんだからさ!」


 と言い残し、落合は教室を飛び出して行った。

 白綺は気にせず、本のページをめくり目で文章を追っている。だが、どこか悲しげな瞳をしていた。そして思わず本音を小声で漏らす。


「幸せなんて家には無いわよ​─────」


 一連の流れを終えた直後、重たい空気が流れる教室に、黒原が登校してきたのだった。

 話を聞いた黒原は、驚きもしなかった。それよりも、自分にされたイタズラの原因とやった犯人を突き止めたくてしょうがなかった。

 適当に頷く彼女を見て、花撫は変に思う。


「ねえ、ちゃんと聞いてた? 興味無いからって思っても馬耳東風はやめてよね」


「ちゃんと聞いてたよ。でも、私の方も大変なことが​─────」


 と言いかけた時、教室の扉をガラリと開けて「おはよう! 席に着いて」と朽城が入ってきた。

 すると、相談する間もなく花撫は自分の席に戻っていった。黒原も仕方なく席に着く。


「おはよう、黒原さん」


「あ、おはよう」


 黛澄と軽く挨拶を済ませる。その時、電流が頭の中を走るように、イタズラの原因についてひとつ思いついた。


 もしかして、こいつか? 私がイジメの対象になった原因って。こいつの隣の席に決まってから周りの視線が痛い気はしていたし、絶対そうでしょ。

 チラチラと隣に座る黛澄に視線を送り、もしやもしやと黒原は疑う。


 そして、結論にたどり着いた瞬間、黒原は窓側の方に気づかれない程度に椅子を動かし、身体を窓側に軽く向けた。

 これが今、彼女にできる最大の努力であった。

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