第3話「よくないほうのブライアン」



 二日酔いの朝、ヤニのにおいがこびりついた上着たちを洗濯乾燥機にかける。ひとり暮らしの必需品として、親が電気屋までついてきて強制的に買ってくれたやつだ。便利なのは便利で助かってはいるのだけれど、ひとり暮らしだと逆に容量がもったいなくて、数日間は回すことができない。うちには炊飯器もある。三合炊きだ。やっぱりひとり暮らしの手にあまる。


「彼氏のひとりでもつくってこい」という言外のメッセージでもあるのかも知れないが、生憎のところこの部屋に人間を連れ込んだ経験は女性限定だ。


 もっぱら炊飯器は二合まで炊いて、軽めの朝食と昼食用の塩むすびだけにしか使われずに、毎日不満げな面をしている。それでもほとんど毎日釜を洗ってやってんだから堪忍してくれよ。


 朝に聴く音楽はインストが多い。「ブライアン・イーノを聴くと体調が良いの」とでも冗談を言えればいいものの、シカゴ音響派とかあたりのほうが身体にはよく合う。二日酔いのときなどついもう一度ベッドに入るくらい調子が良い。


 とはいえ仕事には行かねばならぬ。スキンケアもすれば化粧もし、歯ブラシで髪を梳きそうになりながら髪の毛をセットする。ブローってなんだっけ、ボディに良いパンチ入れるあれだっけか。


 昨日の夜からの着信はとりあえず二次会以降のフミちんからのお写真などしかない。


 なぜか二次会三次会と夜が更けるたびに、フミちんの写メは「映え」を増してゆく。


 酔えば酔うほど誤字が減り、手ブレが少なくなってんのはあいつアル中か酔拳かなんかだろうか。


「いえーい、ほたるんと締めのラーメン食べてま~す♡  #吸収ラーメン部 #締めラーメン #麺気一杯 #豚骨ガチ勢 #バリカタ強硬派」


 2ショットで写るほたるにきちんとピント合ってんのは良いが、表情についてもバリカタといった具合である。ついでにいうと二枚めに撮られた食前のラーメンは結構美味そうだ。焼豚を炙っていないあたりもわたし好みと言える。


 髪が良い感じになる頃にはちょうど予約していたご飯が炊きあがった。


 ムカついたわたしは、お湯を注いで三分待つカップラーメンを一分半で開けてから、調理油注いでズルズルと食べてやった。炊きたてのご飯を豚骨系のカップ麺のスープにブチ込むと、どこか背徳的な味がする。


 念入りに歯を磨いて、なんか口臭が良くなるガムを噛んだ。アパレル関係というのはバンド女子にありがちのお仕事なのだが、まあ、自分のところで売ってる服さえ着てればそれなりに自由が効く、というのはありがたい。適当にアーディネート、コーディモネートしたら、靴を履いたらいざ仕事。



 そうして夜はやってくる。


 ボロいアパートの鉄扉の前で、きれいめな美輪明宏がベースバッグ片手に体操座りしているのを見つけた。


「死ね」


 おかえりの一言も言えないのかよ、と思う。


「せっかく忠犬みたいに待ってたんなら、お手くらいしたら?」


「寒いんだから、部屋にくらい入れてよ。死ぬよ」


「お手したら考えなくもないよ」とわたしは提案して、迷うまでもなくほたるはわたしの右手の甲にキスマークを付けた。


「さびしいの?」


「寒くて死にたいだけ」


「暑いじゃん、そもそも夏じゃん。また、誰かとお酒でも飲んでたんでしょ」


 アルコールのにおいと、そこら辺にいくつも転がってるストロング系の空き缶は、ほたるを見た瞬間から確認している。


「そのへんで夏祭りやってて、通りがかるの嫌だった」


「そんなもんですかねえ。……ああー、ほたる、立てる?」


「肩か胸か尻か陰部か貸して」「肩な」「じゃあそれでいいや」


 ほとんど酔い潰れたほたるを半分担いで、せっまい1DKにご案内する。


「ご休憩?」とわたしは問う。「ご宿泊」とほたるは答える。


 パチ革でできたソファの上にほたるの身体を横たえて、真っ黒なタオルケットを着せてやる。


「(逆さにしたらほんもののホタルみたいだな)」なんてことをわたしは思った。


 ホタルは成虫になるまでの間、大体川のなかでタニシみたいなやつを食って過ごすらしい。そうして成虫になったら、交尾の相手を求めて発光する。成虫になってからの寿命というのもセミなんかと比較できる程度には短いらしい。


 わたしにとってはよく分からんが、ほたるにはそういうホタルっぽいところがある気はする。


「ご宿泊」を決め込んだほたるは、セックスもせずにくぅくぅと寝息をかき始めた。


「こうしていると、ただのかわいい女子ではあるのにな」と言い残して、お風呂へと一直線で向かっていった。


 服を脱いで洗濯機にぶち込み、鏡のなかのわたしを見る。容姿はふつう、胸の形については悪いと言われたことがある。愛想は悪く、ボーカルをやるほど声も張れない。それでもベースは大好きだった。握力に自信があって、指が長いというのもわたしの自慢のひとつだった。


ベース以外にはたぶんベースボール以外にしか使えない特徴にも思えたが、まあ、なにもないよりは自分のことを好きになれる。


 そんなわたしのベースを初めて褒めてくれたのは、当時の対バン相手だった水津ほたるそのひとだ。それから互いの部屋に呼ぶ程度まで仲良くなるまでは時間がかからなかった。


 ほたるの部屋は殺風景かと思いそうだが、意外とファンシーに仕上がっていて、ディズからはじまってヒザを英語で言ったような企業名のキャラクターのカーテンをしていれば、知ってるものから知らないものまでいっぱい集めたぬいぐるみたちがそこら中に転がっている。


「さびしがりやだからね」とほたるは言う。


「だからいっしょに寝てくれるものが欲しい」とも彼女は言う。


「死ぬときもいっぱいいっしょに寝ていたい」


 一回セックスしたあとに、こいつ性病のひとつやふたつ持ってるんじゃないかと思ったが、どうやら当時はバージンというやつだったらしい。


 ほたるが気持ちよかったかは知らないが、それから何回かだけ、ベッドの上でふたりで裸になったりして色んなことを試してみたりした。しばらくして、今のバンドを辞めることにしたとフミちんから聞かされた。


 それからなんだか知らないけれど、わたしがヘルプでベースに入り、ほたるのことを避けるようになった。



 今日のシャワーは長かった。それもこれも、あいつがウチにいるせいだと思う。


 右手に犬のように噛みついた歯型はどうやら一晩じゃ消えそうにない。明日の仕事はガーゼと包帯で取り敢えず誤魔化すとして、なにか仕返しがしてやりたかった。


 わたしは嘘の禁煙四日目の唇で、わざわざ新しく一本点けて吸ったウィンストン味を、ほたるの口に当ててやった。


 そうしたらほたるからも同じにおいがして、わたしはなんとなく笑った。


 壁にこびりついたヤニみたいに、わたしたちは上手く離れることができない。

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