生まれ変わったような気でいた
私はずっと後悔していた。
苦労して入った、地元じゃ有名な高校。地区大会で優勝するほどの強豪校と聞いて、ワクワクを胸に入部した。
だけど、そこで待ち受けていたのは、熾烈な虐めを受ける日々。女王様気取りの部長を始め、ちょっとでも気に入らないことがあると後輩に当たり散らす先輩たち。しかも、なまじスターみたいな扱いをされている部活だったから、そういった問題を教員たちは何度も隠蔽していた。
唯一の癒しと言えば、別の高校に入学した幼い頃からの親友。そして、彼女の実家で作ったパンを食べること。昔から慣れ親しんだ味だけど、何度食べても美味しい。ふんわりして、優しい味で、本当に大好きだった。欲を言えば、私の大好物のドーナッツを置いて欲しいということだったけど、なかなかそれを叶えるのは難しいところがあったみたいだ。だけどいつか置いてあげる、ってあの子は言っていたっけ。
自惚れかも知れないけど、私なりに一生懸命練習はしていた。けど、先輩たちにはそれが気に入らなかったみたいで、執拗に虐めた。他の同級生たちよりも練習しているとはいえ、他校との練習試合に無理矢理私を出場させて下手を打った私を、ひたすら攻めた。そしてそれにこじつけてひたすら笑い者にした。
限界だった。折角のチャンスだったと思っていたのに、そんな仕打ちを受けるなんて。
頑張っていたのに、親友と会うのも控えていたのに。何で私がこんな目に……。
気が付くと、私は学校の屋上へと足を運ばせていた。こっそりと職員室から鍵を盗んできた。もう完全に無意識だった。楽しい思い出とかは全て意識の外へと飛んでいた。
そして、私は――、
靴を脱いで、屋上から飛び降りた。
空を切り裂くような感覚。意外と落ちるまでに時間は掛かった。
走馬灯って本当にあるんだね。親友と遊んだり、喧嘩したり、一緒にドーナッツを食べたりしていた日々を、その短い時間で思い出していた。そこで私は気が付いた。なんて、愚かなことをしていたんだろう、って――。
最後に私が見たのは、ただの地面だった――。
そして、気が付くと私はこの世界で、別の姿へと生まれ変わっていたのだった。
「かんぱーい!」
皆は一斉に、ミルクの入ったジョッキを乾杯した。
「なんだかんだあったけど、みんなが無事で良かったよ」
「ええ、本当に」
フォンとシェーヴィが仲良さそうに牛乳髭を付けながらミルクを飲み干す。
その傍らではメイサが顔を赤くして「ぷはぁ!」と一気にジョッキの中身を飲む。多分、彼女だけ酒を引っ掛けているのだろう。
「ま、試験は残念だったけど」
「でも、わたくしの手柄はしっかり挙げることができましたから」
「おう! アタイらの知名度はこれで鰻上りだ!」
――全く。
ちょっとだけ呆れてしまう。まぁ、この子ららしいといえばそうなるけど。
「それにしてもあの偽ダゴン。一体どうなるんだろう?」
「あぁ、国に捕まって尋問されているみたいだが、全く口を割らないらしい。これが捕食者協会の指示によるものなのか、奴が個人的にやったことなのか、これじゃあ埒が明かないな」
「捕食者協会……。今回の件だけでは潰すことはできなさそうですわね」
「でも、まぁ」メイサは酒を瓶からもう一杯注ぎ、「今後はこれ以上捕食者協会には関わらないに越したことはないな。ま、アタイとしては師匠の敵討ちが出来ただけで良かったよ。ルーシェも、な」
――そうだ、ルーシェ。
それに、ミトラも。姿が見えない。
私は辺りを見渡した。部屋の中にはいないけど、あの二人はどこに行ったのだろう……。
と思った矢先、
「おっまたせーッ!」
勢いよく扉を開けて、ルーシェとミトラが部屋に入ってきた。何か凄く香ばしい匂いが一気に部屋に充満する。
「おっ、何作ったの?」
「えへへ……」
ルーシェの手には、山盛りのお菓子が乗ったお皿がある。このお菓子って……、
「おっ、ドーナッツか! 旨そうだな!」
「えっ、メイサはドーナッツのこと知ってんの?」
ミトラはちょっとだけ目が点になっている。
「あん? 馬鹿にしてんのか!? ドーナッツぐらい知っているに決まってんだろ!」
それを聞いて、ミトラは「ガーン!」と顔を青白くさせてしまう。
「いや、多分みんなドーナッツのこと知らないだろうから、どうせならこの世界で広めてやろうって思っていたのに……。こないだのボールドーナッツだって、初めて食べたみたいな顔していたのに……、それにルーシェだって作り方知らないって……」
「まぁ、そりゃボール型のは初めて食ったからな」
「うん、私もドーナッツは作ったことがなかったから」
「なっ……」
落胆しながら地面に膝を突くミトラ。
「あのなぁ、ミトラ」
「ドーナッツぐらい、既に他の妖精から作り方は伝わっているのよ。そんな安直な考えは捨てることね」
ウィルとサラスが呆れながらミトラの肩を叩く。
――全く、この子は。
本当に、昔から変わっていないんだから。
「でもでも、すっごく美味しく作れたよ! 味見したんだけど、こんなに美味しいのは初めてだよ!」
「ほう、どれどれ……」
机の上にドーナッツの入ったお皿が置かれ、みんながそれぞれドーナッツを手に取り、口に運んでいく。
「お、本当だ!」
「美味しいよ、ルーシェ!」
「ま、まぁ、あなたはこれだけが取柄ですものね……」
皆が本当に美味しそうに食べていく。幸せそうに、一個ずつ手から口へドーナッツを運んでいく姿。
――なんだろう、これって。
「ほら、アンタにもあげる」
ミトラは私の方へ、一個ドーナッツを渡してきた。きちんと私たち妖精に合わせた小さなサイズも作っていたんだ。
「なかなかうめぇぞ」
「本当! ミトラにしては上出来じゃない!」
「なぁんですってぇッ!」
喧嘩を始めたミトラとサラスを余所に、私はそのドーナッツを口に入れた。香ばしい揚げたての匂い、そして砂糖の柔らかな甘みが口一杯に広がる。
――あれ、これって。
食べたことがないはずなのに、食べた記憶が蘇る。何故かは分からないけど、どこか懐かしい味が感じ取れた。
私はドーナッツを食べ終えると、そっとその場から立ち上がった。
「どうしたの?」
「外の風に当たってくる……」
私はそう言って、部屋から飛び去るのだった。
外の月が綺麗だ。聖域で見た夜空と何ら変わりはない。
夜風がやたら気持ちがいい。今日は風の妖精たちも安定しているようだ。
――相変わらずだな、あの子は。
最初に聖域で出会った時、ふと感じた既視感。
似ているな、とは思ったけど、話しているうちに理解した。ミトラは間違いなく、私の親友だ。
そんなことってありえる? なんて思ったけど、間違いない。ちょっとからかったらすぐ怒るところとか、気分を変えるために鼻唄を歌うところとか、
――誰よりも、命を大事にするところとか。
「ふっ、やっぱりそうだよね……」
私が独り言を呟いていると、背後の草をサクッと踏む音が聞こえてきた。
「こんなところにいたのか」
振り向くとそこにはメイサが心配そうに立っていた。
「メイサ……? なんでいるの?」
「ただの酔い覚ましだよ。ついでに、ちょいとお前と話をしたい気分だ」
「そっか……」
メイサは私の横に座り込んだ。
「ミトラと話はできたのか?」
そう尋ねられると、私は首を横に振る。
「話せるわけないよ……」
「何でだ? 親友だったんだろ?」
「でも……」
言葉に詰まってしまう。そして、更に風が冷たく吹き付けてくる。
「まぁ、そう簡単に話せることじゃないか。信じてくれるとも限らないからな」メイサが私の顔をじっと見つめてくる。「なぁ、そうだろ。リドゥ」
私、いや、俺は……。
そう言われて、なんとなく俯いてしまう。
「まさか自分がこんな姿に生まれ変わるなんて思ってもみなかった。今では結構楽しんでいるけどな!」
「記憶をほとんど残したまま転生する奴はそうそういないからな。アタイも話を聞いてびっくりしたよ」
私、じゃない。俺だってそうだ。自分で言うのも何だが、こんなイケオジ妖精に生まれ変わるとか全く考えもしなかった。
「初めに聖域でミトラと出会ったとき、本当に親友とそっくりだったと思った。見た目もほとんどそのままだったからな。それで、侵入者の一件を経てそれは確信に変わった。あぁ、コイツは全く変わっていないな、って」
「そんなに変わっていないのか、アイツ」
メイサがちょっとだけ笑ってしまう。そして、釣られて俺も笑った。
「あぁ、全然! ただ身体が小さくなっただけと言ってもいいぐらいだ」
「あはははは、何だそれ!」
考えてみたら――、
「かく言う俺も、あまり変わっていないのかもな」
「えっ……」
今度はメイサが不安そうに俺の方を見てくる。
「ずっと後悔の日々を過ごしてきて、なんとか明るく振舞ってはいるけどさ、本当は前世に遺してきたアイツのことが気掛かりだった。まさかこんなに早く、アイツと再会できるとは思わなかったけどな」
「だったら話せばいいじゃないか」
「いいや、やめておく」
俺はそっと立ち上がった。
「どうしてだ? 大事な親友なんだろう?」
「聞いてしまったんだよ、アイツと妖精妃様の会話」
――そう。
ミトラが生まれた日の夜、アイツは妖精妃様と話していた。
俺も眠れなくて少しぶらついていたんだが、偶然そこに出くわしてしまった。趣味が悪いかも知れないが、物陰からずっと二人の会話を盗み聞きしてしまった。
その中で、アイツは遺してきた人々がどうなったのかを知ってしまった。そして、あちらの世界がどうなっていたのかも――。
「最後にアイツは、こう尋ねた。『亡くなった親友がどうなったか……、なんて教えられませんよね』って。その問いに妖精妃様は『それは教えることができません』と答えた。最初は俺も、それは妖精の掟として教えられないものだとばかり思っていたが――、よくよく考えてみると、妖精妃様は多分こういう意味で言ったんだよ。『前世のことに捉われ過ぎずに、新しい道を進むことだけ考えろ』ってな」
この解釈は間違っているかもしれないが。だけど、俺はそう言っているものだと確信している。だからこそ妖精妃様は、遺してきた人たちのことだけを話したのだろう。
「だからお前も、振り切って進む、ってことか」
「あぁ。大体、かつての親友がこんなオッサンになってたら嫌だろ? もう俺は、前世の私じゃない。大地の妖精、リドゥ様だ!」
「んで、アタイの契約妖精、ってことも忘れないようにな」
俺とメイサはお互い見合って、ふっと微笑み合った。
「さてと、んじゃ家に戻ってもう一個ドーナッツを食べるとしますか」
「あぁ。アタイもまだ飲み足りないからな」
「飲みすぎんじゃねぇぞ。太るぜ」
「おめぇも食い過ぎるなよ、中年妖精!」
俺たちは互いに憎まれ口を叩きながら、帰路に就くのだった。
――あのさ、親友。
私たちはもう、姿かたちも変わっちゃったかも知れないけど。
これからはずっと一緒にいられるからね。
ただ、前世のことはもう、綺麗さっぱり捨て去ろう。そして、私たちは妖精として、新しく道を進んで行こう。
だから……、
これからもずっとよろしくな!
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