バイバイ、ルーシェ

無数の触手がうねりながらこちらへ伸びてきた。思いのほかその動きが素早い。

「火よ、爆発しろ!」

「水よ、穿て!」

 ウィルとサラスから放たれた火と水がそれぞれマナ・イーターの巨体に直撃する。相手の口元はしゃあ、と粘液を垂らしながら、一瞬だけ動きが止まった。

「はあっ!」

 ルーシェがブーメランを投げる。マナ・イーターの触手が一斉に割かれていく。が、すぐに根本がぐにゃぐにゃと動いたかと思うと、あっという間に再生してしまう。

「物理はあまり効かない?」

「これだと僕の拳は……」

「大丈夫よ、フォン!」サラスは手を翳し、「水よ、我が主にその力を宿したまえ!」

 サラスの詠唱と共に、フォンの身体が青白く光る。と思いきや、彼の腕に洗濯機のような水流が勢いよく回る。

「これなら!」

 フォンは一気にマナ・イーターに近付いて、思いっきり腹部に拳を叩き込んだ。水流がまるでドリルのように、相手の身体に大きな穴を開ける。

「や、やった……」

「いや、まだだよ」

 フォンは瞬時に背後に飛び跳ねて距離を取った。穴の開いた腹部は徐々に塞がっていく。だが、そのスピードはかなりゆっくりだ。

「連続で攻撃を叩き込めば、あるいは……」

「なるほどな! よっしゃ、シェーヴィも!」

「でも、わたくしは武器のようなものは……」

「これ、使って!」

 そう言ってルーシェは何かをシェーヴィに投げて渡した。それは彼女が使っているナイフだ。

「これは、あなたの武器では……」

「これならシェーヴィも使えるよね!」

「でも、貴方が……」

「私にはブーメランがあるから! だけど、気を付けてね!」

 シェーヴィに微笑むルーシェ。心なしかシェーヴィの顔が赤い。が、すぐにフン、と花を鳴らして、

「ま、まぁ借りを作るのは癪ですけど、仕方ありませんわね! ありがたく使わせていただきますわ!」

 ――無理しちゃって。

 本心ではないだろうけど、照れているのは物凄く伝わってきた。見ている側からしたら、なんだかちょっとだけニヤニヤしてしまう。

「よそ見している場合じゃないわよ、ミトラ!」

 おっと、いけない。あたしも気を抜いている場合じゃない。

「シェーヴィも、ニヤついている場合じゃないぞ!」

「分かっていますわ! いきますわよ、ウィル!」

「オッケー! 火よ、我が主にその力を宿したまえ!」

 ウィルの詠唱と共に、シェーヴィの身体が赤く光る。それと同時に、彼女が持っているナイフの切っ先に強い炎が灯った。

「これで戦えますわ!」

 シェーヴィが一気に近付いて、思いっきりナイフを振るった。火の一閃がマナ・イーターの身体に傷をつけ、焦げ跡を形成する。

「はあああああああッ!」

「はっ!」

 フォンとシェーヴィが連続で相手の腹部に攻撃を叩き込んでいく。あまり怯んでいる気配もないが、動きは徐々に鈍っていく。

「よぉし、あたしも続いて……。えっと、光よ、我が主にその力を……」

「ミトラ、危ないッ!」

 ――えっ?

 あたしが後ろを振り返ろうとした、その瞬間――、

 ガシッ、と何かがあたしの脚を掴んだ。

「げっ!」

 ぬるぬるとした気持ちの悪い触感。マズい、これって……、触手に捕まれた!?

「ミトラ!」

「助けるッ!」

 シェーヴィのナイフが触手を切り裂こうとする。が、触手は上へとナイフを躱し、そのままシェーヴィの身体をブン、とはたいてしまう。

「きゃああああッ!」

「シェーヴィッ!」

 フォンが呼びかけるのも束の間、別の触手が彼の身体をはたいてきた。フォンは「うわああああッ!」と悲鳴を挙げて背後へと飛ばされる。

「ククク、いいぞ! 全員喰ってしまえ!」

「ふんっ! 放せッ、この……」

 あたしはなんとか抜け出そうとする。が、思った以上にがっしりと掴まれていて抜け出せない。

 ――ヤバい。

 このままじゃ、あたしもさっきの妖精みたいに食べられてしまう。それだけは、絶対に嫌!

「待って、助ける……」

 ルーシェがブーメランを投げつけようとする、が、

「馬鹿! 下手をしたらミトラに当たっちゃうでしょ!」

「あっ……」

 シェーヴィに注意されてミトラはブーメランを持った手を下す。

「あたしに構わずやって!」

「でも……」

「ひ、ひひひひひ、どうだ、ざまぁみろ……」

 後ろの方から偽ダゴンの弱々しい声が聞こえてくる。とはいえ、奴も最早余裕がないのだろうか、次第に後ずさりしている。チクショウ、今すぐにそっちに行ってアイツをぶん殴ってやりたい。

「じゃなくて、いけない! そいつ逃げようとしている! 誰か捕まえて!」

 その掛け声を聞くや否や、偽ダゴンは立ち上がって一目散に「ひぃぃぃぃぃ」と声を挙げながら逃げ出してしまう。

「あ、あの野郎……」

「あたしに構わないで、早くアイツを追いかけて!」

「でも!」

 みんなが物凄くパニックに陥っている。だけど、あの偽物を逃がすわけにはいかない。幸い、マナ・イーターの動きはかなり鈍っている。ならば今のうちに奴を捕まえるしかない。

「分かった、僕が行くよ!」

 フォンは立ち上がって、痛む身体を抑えながら偽ダゴンを追いかけていった。

「わ、わたくしも……」

 続いてシェーヴィも追いかけていく。

「頼んだよ、二人とも!」

 そう声を掛けながら、あたしは何度も触手から逃げようともがきあがく。ふんぬ、と声を出してみるけど、やっぱりダメだ。

「待ってろ、ミトラ。オイラたちが助けるから! 火よ、焼き尽くせ!」

「水よ、穿て!」

 ウィルもサラスも、何度か攻撃する。が、マナの力が弱まっているのだろうか、あまり効いている気配がない。その間、二人を狙って何度も触手が伸びてくる。

「ダメか……」

「ミトラ……」

 ルーシェが戸惑いながら、あたしのほうをじっと心配そうに見てくる。

「ルーシェも追いかけて! コイツはあたしらでなんとかしておくから!」

「そんな……、できないよ」

 ――ルーシェ?

 気が付くと、涙声になっている。そっか、初めて会った時も、ルーシェは泣いていたっけ。芯は強いところもあるけど、やっぱりこの子は泣き虫なんだな。

 何度も脱出を試みる。だけど、次第にあたしの身体がマナ・イーターの口元に近付いてきているのが分かる。このままじゃ食べられてしまうかも知れない。

 だったら、このままルーシェだけでも逃がしてあげるべきなのかも……。

「ミトラを食べないで!」

 とルーシェはあたしが捕まっている触手に近付こうとする。が、すぐに別の触手にはたかれてしまった。

「きゃあッ!」

「近付いちゃダメだって!」

「けど……」

「いいからアンタも行きなさい! お父さんの仇を取るんでしょ!」

「ダメええええええええッ!」

 ミトラがあたしのほうへ近付こうとする。

 ――ダメ。

 近付いたら、あなたも無事じゃすまない。

 折角、パートナーになれたのに。一緒にドーナッツ作ろうって約束したのに。仲良くなれたのに。

「バイバイ、ルーシェ」

 あたしはまた死ぬんだ。どうせ一度失った命だし、不思議と怖くはない。まぁ、前みたいに心残りだらけで死んじゃうわけなんだけどさ。

 あたしはそっと眼を閉じた。多分もう、奴に食べられる。


「ミトラぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 ――その瞬間。

 誰かの指先が、あたしの手に触れた。

 ――あぁ、これはルーシェの指だ。

 と思った矢先、

「えっ?」

「何?」

「嘘……」

 あたしの身体が光りだした。

 その光は周囲をまばゆく照らし、あたしらの視界を遮る。

 しばらくして、あたしは目を見開く。光はもうない。いや、そうでもないか。何かがほんのりと、まだ光り輝いている。これは――?

「あれ?」

 何だろう。目の前の視界がズームしている。マナ・イーターの身体も、少しだけ小さくなった気がする。というよりも、あたしの身体が、大きくなっている? これって……。

 あたしの手にはブーメランがある。それに、首元をよく見ると赤いマフラーが巻いてある。

 ――もしかして、これって?

「ミトラ? えっと……」

 誰かがあたしの名を呼んできた。いや、これはあたしの口から発した言葉だ。

『ええっと、ルーシェ?』

「え? 何で、頭の中にミトラの声が?」

「ちょっと、何が何でどうなってんのよ? ミトラはどこに……」

『あたしはここにいるよ! てか、サラス。小さくなったんじゃ……』

 と言いかけて、ようやくあたしは気が付いた。

 サラスが小さくなったわけでも、あたしが大きくなったわけでもない。あたしが、ルーシェの身体に入ってしまったのだ。

「これって、共鳴リンクじゃ……。まさか、ルーシェとミトラが出来たのか!?」

 ――りん、く?

「な、何それ……」

共鳴リンク。妖精使いの身体に、使役妖精が憑依してマナを増幅させる秘技だ。そんなに使える精霊使いも限られているし、まさかルーシェがそんなのを使えるなんて……」

「ミトラ、ルーシェ……。アンタたち、一体……」

 そんなのこっちが聞きたい。どうやってやったのか知らないし、使えたのもどうしてだか分かんない。

『ルーシェ。やっぱアンタ、最高の妖精使いだよ!』

「え、そうかな……。まさか私がそんなこと出来たなんて」

 照れくさそうに言うルーシェ。自分の口で自分じゃない言葉を発するのって、なんだか凄く不思議な気分だけど。

 などと感慨に耽っている場合じゃない。あたしらは一気にマナ・イーターを睨みつけた。

『それじゃあ、行くよ、ルーシェ! こうなったら一気に、アイツを倒してしまうよ!』

「うん!」

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