ダゴンの目的

「どうしたの? ミトラ。顔色が悪いよ」

 ルーシェがあたしの様子に気付いて声を掛けてきてくれた。

「サラスも」

「ウィルもおかしいですわ」

「あの、その、ええと……」

「どうやらこの先には大量の負のマナが溢れているよう、なの……」

 サラスが正直に言う。

「負の、マナって?」

「この世界に溢れているマナの中には、マイナスのエネルギー……、つまりオイラたちの身体に害を及ぼすようなものも存在するってことだよ。こんなのをまともに身体に浴びたら、オイラたち全員あっという間に消滅だぜ」

「ぜ、全然気付かなかったよ。ごめん、ミトラ……」

 ルーシェがあたふたしながら謝ってくる。

 ――いけない。

 今、一番大事なのはルーシェたちの合格のことだ。ここであたしたちが怯んでしまったら、折角ここまで来た意味が無くなってしまう。

「ルーシェは悪くないって! あたしたちのことはいいから、行って!」

「だけどさ」フォンが心配そうに話しかけてきた。「持ってきてと言われたマナストーンって、もしかしたら負のマナかも知れないよ?」

「そうですわ。わたくしたちで感知できなかった石を迂闊に持ってきたらあなたたちだって……」

 そっか。前世の世界で言えば放射線とかヤバい物が出る物質を持ってきてダイレクトに近付くようなもんだろう。

 ――どうしよう。

 もしかしてこれはダゴンが仕組んだことなのでは? と勘ぐってしまう。ダゴン、いや、捕食者協会は一体何を企んでいるのか。もしくは、そこを見越して決断力を試している、立派な試験なのだろうか。


 ――どうしよう。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 あたしは段々頭がこんがらがってきた。恐ろしいほどのジレンマがあたしに襲い掛かる。サラスもウィルも、いや、フォンもシェーヴィも、みんな頭を抱えている。

 そしてルーシェは――、

「やめよう」

 扉からそっと離れて、苦笑い気味にあたしたちのほうを見てきた。

「えっ……」

「それじゃあ、試験は?」

 頬をポリポリと掻きながら、ルーシェはあたしたちのほうを見てくる。

「ミトラたちがいなくなるような試験なんて、これ以上やっちゃダメだよ。凄く高名な妖精使いかも知れないけど、こんな学園、絶対におかしいって」

「そ、そうですわね……」

「考えてみたら、第一次試験の時から何かおかしかったもんね。あんな難しい試験、いくらなんでも解ける人はそうそういないよ」

 ――みんな。

「で、でもいいのかよ。本当に後悔しないのか?」

「立派な妖精使いになるんでしょ?」

「いいの」ルーシェはふふっ、と微笑んで、「私たちには、既に立派な師匠がいるじゃない」

「そうだよ。今まで通りに戻るだけだから」

「まっ、あの不良師匠のお世話をする日々が続くと思うと胃が痛くはなりますけどね」

 ――あれ?

 何だろう、あたしの頬に何か滴っているような。

 あぁ、そうだ。

 あたし今、泣いているんだ。

「るー、しぇ……、るーしぇええええええええッ!」

 あたしは思わず彼女の身体に寄り添った。

「はいはい。気にしなくていいんだよ」

「フォンんんんんんんん、ごめんなさあああああああああい。私のことを嫌いにならないでえええええええ」

「嫌いになんてなるもんか。君は僕の大事なパートナー、だよ」

「おじょうさ……、シェーヴィいいいいいい」

「もう、本当ウィルは手のかかる弟みたいですわね」

 みんなで思い思いにパートナーに泣きじゃくった。罪悪感が半端ない。今まで頑張ってきたこの子たちの気持ちを無下にしてしまったみたいだ。

「それじゃ、戻ろっか」

「う、うん……」

 あたしらは涙を拭っている、ふと扉の横道のほうから誰かが来る気配があった。

 ――妖精、だ。

「た、助けてくれ……」

 よろめきながら飛び回ってくる妖精の姿には見覚えがあった。あたしたちよりも先に洞窟に入っていった、あのクソヤローと一緒にいた妖精だ。

「あー! アンタ、さっきはよくも……」

「す、すまねぇ! でも今はそれどころじゃねぇんだ!」

 ――それどころじゃないって。

 もっと文句を言ってやりたいところだったけど、見るからにそれどころじゃなさそうだ。どういうわけかコイツの服が所々ボロボロに汚れている。っていうか、若干出血しているみたいなんだけど。

「一体全体、何があったの?」

「その扉に入ろうとしたら、とんでもねぇほどの負のマナの気に当てられてよ。ワシらは行くのをためらったんだが、アイツらは『合格のためだ。一緒に来ないならお前たちとはここで契約終了して俺たちは石を持って帰る』とか言って入っちまいやがって……」

 何て奴らだ!

 ある意味想像通りだったけど、それでパートナーの妖精たちを放り出すとか酷すぎる。あの岩の妨害といい、何であんな連中が一次試験を突破できたのだろう。

「でも、その怪我はどうして……」

「そ、それがよ……。どうしようもねぇからワシらは帰ろうと思ったんだ。けど、そこにあのバケモノが……」

 妖精が話していると、突然ドシン、と地面が揺れる音が聞こえてきた。

「な、何の音?」

「ああああああああああッ! 間違いない、アイツだ! 他の妖精もみんなアイツにやられちまって……。悪いこたぁ言わねぇ、早く逃げ……」


 ーーシュッ!

 という何かを摩るような音が聞こえてきたかと思うと、奥の方から長い触手が妖精に絡みついた。

「ひ、ひいいいいいいッ! 放せッ!」

「な、な、な、な、な、何なのよこれ……」

 横道から現れたのは、赤褐色のグネグネした物体だった。背丈は洞窟の天井まで届きそうなほどでかい。形だけでいえばイソギンチャクのようにも見えるけど、中央に明らかな口のような物が見える。

「やめ、ワシを食うな……」

 と妖精が怯えるのも束の間、触手は妖精を絡めとって口の中へあっという間に運んでしまった。そして、ごくん、と間髪を入れずに飲みこんでしまう。

「あ、ああああああ……」

 あたしたちは完全に言葉を失っていた。異形の化け物がゆっくりとあたしらのほうへと近付いている。どこが眼なのか分からないけど、明らかにあたしらにターゲットを変えていることは明らかだ。

 唖然としたまま、あたしらは一歩ずつ引いてしまう。

「待ちなさい。この子らを食べるのは少々おあずけです」

 カツッ、と何かを地面で叩くような音と共に、背後から誰かの声が聞こえてきた。彼の声と共に、化け物は静かに動きを止めた。

 この声は、まさか――。

「だ、ダゴン!」

 振り向くとそこに現れたのは、あの仮面校長――ダゴンの姿だった。馬鹿長い錫杖を携えながら、ゆっくりこちらへ歩み寄ってくる。

「どうやらその部屋に入らなかったようですね。悲しいです、合格を諦めてしまうのですか。まぁ、想定の範囲内ですが」

「アンタッ! これは一体どういうこと!?」

 ちょうどいい。コイツには聞きたいことが山ほどある。しっかりと真実を話してもらわなければ気が済まない。

「何って、決まっているじゃないですか。本校の入学試験、ですよ」

「ふざけんなッ! こんな試験があってたまるかッ!」

 ウィルが物凄い剣幕で怒る。

 ダゴンは仮面の向こうからでも聞こえるほどのため息を吐いて、

「そうですねぇ。ではお話いたしましょう。これは仕掛けなのですよ、人間と妖精の契約を切らせるための、ね」

 ――仕掛け?

「どういう意味ですの!? まさか、妖精との契約を切らせるためにわざとあの負の魔力を発生させたんじゃ……」

「はい、その通りです」ダゴンは仮面越しに笑っている。「我が校は厳密には妖精使いの学校ではございません。全てのマナを妖精たちから奪う、捕食者協会のメンバーを募集し、育成するための機関なのです」

 ――捕食者協会。

 やっぱり、そこが関わっていたみたいだ。

「捕食者協会って、あの?」

「どうやらさっきの受験生たちは、まんまとスカウトされてしまったわけね」

「ええ。既にマナストーンを持って地上に出られております。あぁ、一応マナストーンがあるのは事実ですよ。負のマナストーンですが、ね」

「扉の奥から感じた負のマナはそれか!」

「はい。ちなみに、彼らは今、負のマナに魅入られて自我を失っています。最早自身が使役していた妖精のことも覚えていないでしょう」

「なっ……」

 なんてことを、と言いかけたけど、もう口から何も出てこなかった。

「これで立派な捕食者協会の一員となれるでしょう。あの第一次試験も内容は関係ありません。あんなもの、妖精を私利私欲の為にしか利用しないような、素質のある者を選抜するために行なったに過ぎません」

 ――なるほど。

 要するに、性格の悪い連中を探し出そうって魂胆だったわけか。まんまとそれにハマったのがアイツらだったわけで……。

 ――待って。

「それじゃあ、ルーシェたちは? この子たちは、決してそんなことのために……」

 絶対ありえない。ルーシェも、シェーヴィも、フォンも、私利私欲のために妖精使いになりたいなんて考えるはずがない。現にさっきもあたしらのことを心配して扉に入らなかったわけだし。

「あなた方は違いますよ。ただ、少々興味を持ったもので」

「……興味?」

 あたしは目を細めて聞いた。

「ええ。あのメイサのお弟子さん、ということで。どれほどの実力をお持ちなのか知りたかっただけなのです。ついでに言えば将来、我々の障害となるかも知れないので、ここで葬り去っておこうと思ったという理由もあります」

 ――あの、メイサ?

「へぇ。元弟子のことをそう呼ぶんだ」

「私は彼女のことを弟子だなんて思ったことはありません」

 ――思った通りだ。

 あたしは拳をぐっと握り、ダゴンを思いっきり睨みつけた。

「アンタ……、やっぱり、本物のダゴンじゃない」

 一斉に皆があたしのほうを見てくる。

「え? ミトラ、それって……」

「どうもこうも、ずうううううううっと胡散臭すぎたんだよ、アンタ! 有名な妖精使いの名前を語って、学園を創って、その目的が世界中のマナを自分たちの物にするですって!? そんなの、ルーシェのお父さんがやることなわけ……」

 そこまで言いかけて、あたしははっとした。

「私の、お父さん……」

「えっと、その……」

 ――どうしよう。

 このことは内緒にするつもりだったのに。つい頭に血が昇って口に出してしまった。

「あのダゴンがルーシェのお父様?」

「それに、この人が偽物って……」

 ――あぁ。

 ここらが限界だな。

 ルーシェにはずっと隠しておくつもりだったのに。どう転んでも彼女を傷つける結末にしかならないから。

 あたしはふぅ、とため息を吐いた。

「ごめん、ルーシェ。あたし、ずっと知っていたんだ。この学園が、捕食者協会の者かも知れないってこと。それに、ダゴンが、ルーシェの本当のお父さんだってこと……」

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