ウィルの忠誠心

 大丈夫かな、と不安になって、あたしはこっそりとルーシェの部屋を覗き込んだ。

 ――やってるやってる。

 何やら分厚い書物と睨めっこしながら、紙にカリカリとひたすら書き物をしている。目はいつになく真剣そのものだ。

「マナの種類と……、で……、妖精言語では……」

 そして、かなり独り言が多い。受験生なんてこんなものかも知れないけど。

 ――あの子も、独り言多かったっけな。

 前世で親友と一緒に受験勉強をしていた頃を思い出す。志望校は別々だったけど、私が分からないところを丁寧に教えてくれたっけ。それでいて、自分の勉強もしっかりやっていた。本当に尊敬できる子だったな。

 あたしはほっと胸を撫で下ろし、

「ま、これなら大丈夫そうか」

 邪魔してはならないと思い、そっとその場を離れた。明後日は筆記試験だし、妖精学についてはかなり勉強しているらしいから問題はないだろう。


 ――さて。

 ついでだから、他の二人も様子を見てこようかな。

 隣の部屋をこっそり覗き込んでみた。机にはフォンが座り込んでいる。

 と、その傍らで何かが飛び回っているのが気になった。

「ねぇ、フォン。後でぇ、二人っきりでいいことしない?」

「ちょっと、サラス。静かにしてよ」

「フォンつめたぁい。お勉強も大事だけどぉ、外でお茶しながら夕日の見える丘とか行ってリラックスしましょうよぉ」

 ――サラスめ。

「うん、後でね。夕日は知らないけど」

「えぇ、いいでしょ! フォンなら試験ぐらい余裕じゃないの! 夕日を見ながらぁ、愛を語りましょう。そして、夜はそのままベッドでぇ……」

 ――はぁ。

 あたしは段々煮え切らなくなって、フォンの部屋に入り込み、

「何、勉強の邪魔してんだあああああああああああああああああああッ!」

「ぐほおおおおおおぉぉぉぉッ!」

 サラスに向かって思いっきり蹴りを入れてやった。

「何すんのよぉッ!」

 と、蹴とばされたサラスが頬をさすりながら怒鳴ってくる。

「フォンが静かにしてって言ってんでしょうがぁッ! 邪魔すんなら早く出ていきなさいッ!」

「何よぉ! 私とフォンの二人っきりの甘ぁい時間を邪魔してんのはアナタのほうでしょ!」

「アンタが暇しているだけでしょ! んないらんことしてたら受かるものも落ちるっての!」

「ふん! フォンが落ちるわけないでしょ! アナタだって、フォンと私の関係に嫉妬しているんでしょ! ルーシェが構ってくれないからッ!」

「な、な、な、な……」

「なぁにその目!? ははぁん、図星?」

 ――うん、分かった。

 コイツは、あたしのことが嫌いだ。だから、あたしもコイツのことを嫌いになろう。よし、それがいい!

「さああああああらあああああああすうううううううううッ!」

「なあああああにいいいいいいいよおおおおおおおおおおおおッ!」

 あたしは目一杯、サラスを睨みつけた。そして、サラスも負けじと睨み返してきた。

 と、その途端――、

「あぁ、もう静かにしてよッ! 勉強に集中できないじゃん!」

 思いっきり、フォンに怒られた。

「あ、ごめん、なさい……」

「フォン……うぅ、ごめんなさぁい」

「二人とも、部屋から出て行ってッ!」

 あっという間に、あたしとサラスは部屋から追い出されてしまった。

 ドアの前で呆然と立ち尽くしながら、あたしはサラスの顔を見る。

「……静かにしよっか」

「うぅ、フォン……」

 半分涙目になっているサラスであった。ううむ、こうなってしまっては仕方がない。そっとしておこう。まぁ、時間が経てばフォンも許してくれるでしょ。

 とりあえず、次はシェーヴィの様子をみてみるか――。

 あたしは、向かい側にあるシェーヴィの部屋を覗き込んだ。隙間から、誰かの姿が見える。

 ――と、思いきや。

「ん、んん……。ルーシェ。あなたが、落ちるのは、許しませ……」

 なんかぶつくさ言っている。しかも、机に突っ伏している。

「こりゃ寝ているな」

 あたしは呆れ気味にため息を吐いた。明後日は試験だというのに、こんな調子で大丈夫なのだろうか。

 しばらく様子を見ていると、何やら彼女の身体の周囲がほんのりと明るく照りだした。

 ――あれは?

 シェーヴィの足元がもぞもぞと動く。かと思いきや、そこから現れたのはウィルだった。

「何してんの、ウィル」

 気になったあたしは部屋に入ってウィルに話しかけた。

「おっと、ミトラ……。いえ、ミトラ様。わたくしに何か御用でしょうか」

 ――えっ?

 いきなりどぎつい丁寧語が飛び出してきて、あたしは仰天した。

「えっと……、ウィル、だよね」

「はい。ウィルでございます」

「その喋り方、何?」

「おっと、驚かせてしまったようですね。大変失礼致しました」ウィルはこほん、と咳ばらいをして、「先ほどまでのは演技。これがわたくしの本当の姿なのです」

 ――本当の、姿?

 見た目的にもやんちゃな男子のようなウィルとは思えないほど、紳士的な口調。どうにも脳の処理が追い付かない。

「どういうこと?」

 ウィルは静かに目を閉じて、優しく話し出した。

「ミトラ様はご自身の前世というものを覚えていらっしゃいますでしょうか?」

 ――前世?

「えぇ……と、うん……」

 それはもう、くっきりと明確に覚えている。嫌な記憶も、何もかも全てと言っては過言ではないほどに。

「うっすら、とではございますが、わたくしは覚えているのです。前世は人間で、とある雪が降りしきる地域の、小さなお屋敷で使用人をしていたことを」

 なるほど、それでそんな口調なのか。確かに今のウィルは見た目は別として、佇まいと言葉遣いは執事っぽい。

「しかし、なんでさっきはあんなガキっぽく振舞っていたわけ?」

 ウィルはふふっ、と笑み、「シェーヴィ様が親しみやすいように、です。まぁ、見た目もこのように生まれ変わりましたから、という理由もありますけどね」

 ――へぇ。

「シェーヴィが、ねぇ。なんていうか、この子は普通に執事とか侍らせていそうな感じがするし、別に気にすることもないとは思うけどなぁ」

「シェーヴィ様はかなりプライドの高いお方。下手に過保護な対応をされることを非常に嫌います。それに、今シェーヴィ様に必要なのは身の回りを世話する使用人よりも、弟や妹、いえ、年の近い兄弟のような存在だと思いまして」

 思った以上にウィルは考えているみたいだ。あたしの中で彼の印象が半回転するほどにガラリと変わった。

「凄いんだね、ウィルは」

「いえ、滅相もございません。シェーヴィ様は、非常に似ていらっしゃるので、どうしても放っておけなくて……」

「似ているって?」

 あたしはきょとんと首を傾げながら尋ねた。

「かつて仕えていたお嬢様、です。それはそれは傲慢で、プライドが高いお方でした。それ故に、ご友人もおらず、一人っ子でしたのでかなり寂しい思いをされていました」

 ――なるほど。

「確かに、どことなくシェーヴィっぽいね、そのお嬢様」

「ええ。ただ、シェーヴィ様はまだ幸せなほうかもしれません。ルーシェ様やフォン様のようなご友人がいてくれますから。お嬢様には、そのような方はいらっしゃいませんでしたから……」

 辛い。それはさぞかし寂しかったんだろうな。

「結構明確に覚えているのね」

 妖精妃様が言うには前世のことを覚えているのは稀だという話だ。まさか、ウィルもそのタイプだとは思わなかった。

「いいえ、わたくしが覚えているのはそれだけでございます。あとは、そうですね……。寒い地域でしたから、お嬢様をとにかく暖めてあげたかった、と考えていたことぐらいでしょうか。恐らくですが、そんな思いがあって火の妖精に生まれ変わったのかも知れませんね」

「じゃあ、さっきシェーヴィの周りがほんのりと明るかったのって」

「えぇ」ウィルは頷いて、「わたくしのマナを使って、シェーヴィ様が風邪を引かぬように少しだけお身体を暖めていたのです。夕べも遅くまでお勉強されていましたから、疲労が祟ったようなので」

 ――凄い。

 マナをそんな風に使うだなんて思いもよらなかった。使役されている妖精としては、これ以上ないぐらいに満点の対応だ。

「いえいえ。わたくしができることをしたまでです」

「いや、凄いよ。あたし感心した! ありがとう!」

 思わずあたしは感謝してしまった。

「感謝されるようなことをした覚えはありませんが、なにかミトラ様にとって得るものがあったならば幸いです」

 再びウィルは静かにお辞儀をした。

 ――そうだ。

「それじゃあ、あたしも部屋に戻るね!」

「えぇ。わたくしはシェーヴィ様がお目覚めになるまで世話をしておりますので」

「うん、お疲れ様!」

「はい。あ、そうそう」ウィルは口元に人差し指を当てて、「わたくし……、いや、オイラのことは、くれぐれもみんなには内緒だぜ」

 途端に口調を戻すウィル。なんていうか、やっぱりこっちのほうがしっくりくるな。

「はいはい……」

 適当に相槌を打ちながら、あたしはシェーヴィの部屋を後にした。

 ――良いものを見せてもらった。

 ウィルのシェーヴィへの忠誠心は本物だ。見習いたい。

 ――ルーシェに、何かできないかな?

 勉強を頑張っている彼女をケアしあげたい。あたしは思案した。あそこまではとてもじゃないけど出来るとは思えない。

 だけど……。

 それならば、ここは自分自身が出来ることをやろう。

「そうだ!」

 考えた結果、あたしは台所に向かうことにするのだった。

 

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