確かにそこにあった幸せ
聖域にも夜はあるらしい。
そして、空には月がぼんやりと照っている。そこは以前の世界と全く変わりはない、ということにちょっとだけ驚いた。
今日のゴタゴタのせいで、結局妖精妃様との面会は明日になった。あたしは最初に生まれた花のところに戻って、ベッド代わりにそこで眠ることにした。
「とは言っても、なんか眠れないなぁ」
気が高ぶったのか、疲れすぎたのか、それとも慣れない身体と環境のせいなのか――、多分それら全部が重なったからなのだろうけど。とにかくあたしの目は冴えてしまい、はぁ、とため息を吐きながらひたすら空を眺めていた。
――今頃、あっちの世界はどうなっているのかな?
あたしが死んだ後のことが気になってしょうがなかった。遺された人間がどれほど辛いのか、あたしは誰よりも痛いほど身に染みている。お母さんも、お父さんも、生意気な弟も、そして、あたしが助けたあの女の子も――。今をどのようにして過ごしているのか、気が気でなかった。
「眠れないのですか?」
どこからともなく声が聞こえてきた。
「えっ?」
あたしが振り向くと、そこには妖精妃様が静かに佇んでいる。
「夜分遅くに失礼致します。どうしても、あなたのことが気になったもので」
「い、いえ……。なんていうか、こちらこそ申し訳ないです」
妖精妃様が直々に会いに来て、あたしは目を丸くして驚いた。妖精妃様は何も言わず、あたしの真横へ座り込んだ。
「今日は本当にご苦労様でした。先ほどはあのように申しましたが、侵入者を捕まえてくださったことは、本当に感謝しているのですよ」
「そんな……、滅相もないです」
あたしはなんだか照れてしまう。「滅相もない」なんて言葉、校長先生に対しても使ったことはない。妖精妃様の前では本当に緊張感が高まってしまう。
「それにしても、まさか自身でマナ属性を理解できるとは……」
「えへへ……。偶然ですよ。アイツらがどうしても許せなくて、それで……」
「あなたは誰よりも優しいのですね。それに、命を本当に大事にする、素敵な方です」
――ドキリ。
思いがけず褒められてしまい、あたしは顔を赤らめてしまう。
「そ、そんなことないですよ! ただあたしは、その……」
こほん、とあたしは咳ばらいを挟む。
――この方になら、話してもいいかな。
「どうかなさいましたか?」
「あの、妖精妃様」あたしは恐る恐る話した。「信じられないかも知れないですけど、笑わないで、聞いてくださいね」
「? はい?」
「あの、あたし……。実は、前世が人間だったんです。それも、別世界の……」
――言っちゃった。
いくら妖精妃様とはいえ、こんなことをにわかにも信じてもらえるだろうか。あたしは言ってから困惑してしまった。
「ええ。ご存じですよ」
「えっ……」
知っているようだった。あたしは思わず言葉に詰まる。
「というよりも、この世界にいる妖精たちは皆、元はあなたと同じ世界の者ですから」
――えっ?
「えええええええええええええええええええええええええええええッ!?」
夜中なのに、あたしは物凄い大声を出して驚いてしまった。
「ふふふ、驚きましたか?」
「一体、どういう……」
「この世界の妖精たちは、あなたの世界で若くして亡くなった者たちの魂が生まれ変わった姿なのです。勿論、このわたくしも例外ではありません」
にこやかに、そして淡々ととんでもないことを話す妖精妃様。肝が据わっているというかなんというか……。
「妖精妃様も? えっと、失礼ですが、妖精妃様の前世って……」
「ふふふ、それは……」妖精妃様は不敵に微笑む。「秘密、です」
案の定、話してはくれないみたいだ。そこまで興味があったわけじゃないから別にいいけど。
「ま、まぁいいですけど……」
「ただ、わたくしがあちらの世界で人間だったのは、今から本当に何千年も前……、あなたが暮らしていた時代よりも遥かに前です」
そんなに前なのか。一体、何時代の方なのだろう。
「それと、これはあなたにとって酷な話でしょうが……」妖精妃様は神妙な面持ちで話しかけた。「今はもう、あちらの世界はあなたが暮らしていた時よりも、もっと先……、それこそ千年以上の時間が経っています」
――えっ?
それじゃあ、もうあたしらが生きていた頃の人たちは――。
「そんな……。だって、あたしが死んで、ついさっき生まれ変わって……」
「この世界に生まれ変わるまでに、何千年という時間を要します。あなたは突然目が覚めたかのように感じたかも知れなかったでしょうが、これは事実なのです」
あたしは愕然とした。
もう、お父さんもお母さんも弟も……、いや、文明そのものがほとんど変わってしまっているに違いない。
「あまりこういうことを話すことはないのですけど。というのも、大半の妖精は前世のことを忘れているのです。だけど、あなたのように稀に前世の記憶が残っている方もいらっしゃいます」
――そうなんだ。
「なんで、記憶が残っちゃったんだろ?」
こういうときに限って、稀な方に当たってしまった自分が悔しい。どうせならスッパリと前世のことを忘れてしまいたい。
そもそも、この世界の妖精って――。
「あの……、あたしたち妖精は、この世界におけるマナ属性そのもの、なんですよね」
「まぁ、そう言っても過言ではありませんが」
「ということは、あちらの世界で亡くなった魂が、こっちの世界でマナになっているってこと? それって、あたしらはこの世界のエネルギーに再利用されているみたいじゃ……」
――なんだろう。
無性にネガティブ思考が働いている。
「結局、あたしが死んだ意味って、何だったのかな……」
あの子の分まで生きようと思っていたはずだったのに。他の命を助けようとして、結局自分が死んでしまった。本当に、馬鹿みたいだ――。
「そう卑下することもありませんよ」
「別に、卑下しているわけじゃ……」
「ひとつだけ、教えてさしあげましょう。あなたが助けた、例の少女のことです」
――それって。
あたしは黙り込んで、続きを聞くことにした。
「あの子はずっと悲しんでいました。自分のせいで、あなたが死んでしまったと。幼いながらずっと後悔していたようです」
「うう……」
申し訳ないことをしてしまった。あの子の命は助かったけど、それ以上に深い傷を負わせてしまったみたいだ。
「そして彼女は毎年のように、あなたのお墓参りに来ていました。あなたのご両親も彼女のことをずっと心配そうに眺めていました」
だろうね。ただでさえ親友を失ったあたしのことをずっと心配していたのに、その上あたしまで死んじゃったんだから。多分、今度はあの子をあたしの姿と重ねていたのだろう。
「やがて、彼女はあなたのご両親が経営しているパン屋さんにも何度か顔を出すようになります。そして、高校生になった彼女はそこでアルバイトを始めます。一生懸命働いている彼女を、まるで本当の娘のようにあなたのご両親は接しました。それまで家の手伝いをほとんどしなかったあなたの弟さんも、彼女に触発されて積極的に手伝いをするようになります」
そっか。あの子の存在が、あたしの家族を支えていたのか。
「やがて……、彼女と、あなたの弟さんは互いに惹かれ合っていき、無事に結ばれることになるのです」
――えっ?
「例のドーナッツは、あなたのご実家の看板メニューとなり、それがきっかけで大繁盛するようになりました。彼女と弟さんも、それからずっと支え合いながらパン屋を切り盛りしていきました」
「それじゃあ……」
「分かりますか? あなたの死から、始まったものがそこにあるのです。あなたの死は確かに大勢の人たちに悲しみを与えました。けど、それがきっかけで始まった幸せも確かに存在するのです。何より、あなたが救った命がひとつある。そのことだけは決して忘れてはなりません」
あたしは言葉を失った。
段々と、嗚咽があたしの口から漏れていく。
――そっか。あの子、幸せに、なれたんだ。
まさかあたしの弟と結ばれるとは思わなかったけど。そんな人生もアリなのかもね。
気が付くと、あたしは泣いていた。今の今までなかった感情を、一気に押し出したのかもしれない。ポロポロと涙を零しながら、あたしはうずくまってしまう。
「良かった、本当に、良かった……」
「えぇ。わたくしが教えられるのはここまでです」
「ありがとうございます、妖精妃様……」
あたしは少しだけ涙を拭って妖精妃様を見た。
「いえいえ。それだけお伝えできただけでも良かったです」
「あの、もうひとつだけいいですか?」あたしは尋ねた。「亡くなった親友がどうなったか……、なんて教えられませんよね」
妖精妃様は首を横に振り、
「それは教えることはできません。この世界の妖精になったとも限りませんもの」
「妖精じゃなくて、その……、人間に生まれ変わるってことはあり得るのですか?」
ふと、昼間出会ったルーシェのことを思い出す。彼女はあまりにも似すぎている。まさか、とは思うけど……。
「わたくしの知る限り、そのような事例は存在しません。絶対にない、とは言い切れませんが、ほぼありえないと言っても過言ではないでしょう」
「そっか……」
あたしはちょっとだけ落胆した。
もしかしたら、と思ったけど、ルーシェは違うよね、うん。
「では、わたくしはそろそろお暇します。今夜はゆっくりと眠るのですよ」
妖精妃様は立ち上がり、静かに羽ばたいていった。
「あ、はい。おやすみなさい。ありがとう、ございました……」
そう言っている間に、妖精妃様は夜闇の向こうへと姿を消していった。
あたしはもう一度、空を眺める。
夜、月が綺麗。
まだ慣れない世界に、慣れない身体。
そして、未だに信じられない現実。
考えることは一杯あるけど――。
「うん。明日のことは、明日考えよう」
何度も深呼吸を繰り返し、あたしは花の上で横になるのだった。
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