飛び立つ方法

 あたしはようやく自身の置かれている状況を理解した。

「し、死んじゃったんだ、あたし……」

 あの子が亡くなって以来、人一倍には死というものに敏感になっていた。とにかく健康には気を使って運動や手洗いうがい等の衛生管理も徹底していたし、ニュースを見るたびに殺人事件や有名人の訃報なんかに凄く心を痛めるようになった。

 そんな自分がまさか、こうもあっさり死んでしまうとは……。てか、何が「これがあたしへの罰」だよ。もうちょっと抗えよ、溺れた時のあたし!

「どうしたんだい?」

「あ、うん……。何でもないです」

 今更焦ったところで仕方がない。あたしは一旦心を落ち着けることにした。

 それにしても……。

「何で妖精?」

 ここはあたしらが以前暮らしていた世界と全く違うことは理解できる。妖精が聖域の中で暮らしているということも理解した。けど、それ以外はさっぱり分からない。

 誰かに詳しく聞いた方が良さそうだけど……。

 そんな風にあたしが頭を悩ませていると、

「おっ、新入りかい?」

 またもや新しい野次馬が現れた。

「あ、リドゥさん。どうやらついさっき目が覚めたみたいですよ」

「へぇ、どれどれ……」

 ひょい、と声の主があたしの前に姿を見せた。

 すらっとした長身の男性。鋭い目つきに、うっすらと生えた茶色い髭。ツンツンに尖った茶髪に、服装はこれまたこげ茶のチョッキ。

 ――ヤバ。カッコいい。

 見た目は若くないが、いかにもイケオジといった風貌だ。さっき聞こえた声も渋過ぎず高過ぎず、好みだ。何なら、下手なハリウッド俳優よりもずっとカッコいい。ぶっちゃけタイプである。これで背中に羽の生えた妖精だというのだから、凄まじいほどのギャップ萌えを感じる。

「あ、あの……」

 あたしは思わず赤面してしまう。

「お嬢ちゃん、大丈夫かい?」

「あ、ありぎゃとう、ごじゃいます……」

 噛み嚙みの口調で、たどたどしく話した。

「おっと、自己紹介しないとな。俺はリドゥ。よろしくな」

「よ、よ、よりょしきゅおにぇぎゃいしみゃしゅ……」

 最早自分でも何て言っているのか分からなかった。ヤバい。本当にこんなイケメンおじさま、前世でも出会ったことがない。

「えっと、それで君は……」

「わ、わ、吾輩は、妖精でありましゅ」

「うん、それは知ってる」

「名前はまだありましぇん」

「それも知ってる」

「この続きは知りましぇん……」

「それは俺も知らん」

 ――どうしよう。

 自己紹介しようにも、何を話していいのかさっぱり分からなかった。多分、変な子だと思われたに違いない。

「とにかく落ち着けよ。誕生したばっかで何も分からないんだろ?」

「は、はい……」

 あたしは一度深呼吸をした。自分が死んだという事実を突きつけられた後に、これだ。頭の中で情報が整理できていない。

「とりあえずみんな、この子のことは俺に任せてくれ」

「おう、それじゃあ頼んだぜ」

「リドゥさんなら安心だわ」

 リドゥさんの鶴の一声で、あたしの周りに集まっていた野次馬たちは次々と飛び立っていく。注目されるのは慣れていないので、ようやくほっとした。

「それで、お嬢ちゃん」

「は、はい……」

 噛み嚙みな口調は治ったけど、緊張感は解けていない。

 ――カッコいい。

 あたしはもうリドゥさんにひたすら見とれていた。

「ちょっと気になったんだが、なんで葉っぱの上で寝ていたんだ?」


 ――えっ?


「えっと、良く分かりませんが……」

「普通妖精はこの森に咲く花が開くと同時に誕生するもんだが、お嬢ちゃんはこの葉っぱの上で寝ていたよな? まさか葉っぱから誕生したわけじゃ……」そう言いながら、リドゥさんは目線をゆっくり動かして、「あぁ、そういうことか」

「そういうこと、って?」

 あたしが尋ねると、リドゥさんは口元を歪めて笑った。

「あはははは、おじょうちゃん、随分寝相が悪かったみたいだな!」

 ――は?

 なんだろう、随分と馬鹿にされているような気がする。

「ほら、あそこで咲いている黄色い花。どうやらあそこから生まれたみたいだな」

 茎の上を目線で追っていくと、確かに上の方に巨大な黄色い花がこれ見よがしに咲いている。

「でも、随分高いところのような……」

「大方、あそこで生まれた後にグースカ眠っていたんだろ。で、かなり寝相が悪くて、ここまでゴロゴロと寝返りを打った、ってところだろうな。いやぁ、想像したら笑え……」

 その瞬間――、

 ボゴッ、とあたしはグーパンをリドゥの頬に思いっきり入れた。

「ぐほおっ!」

 ――前言撤回!

 コイツ、ガチでデリカシーない! なぁにが、「下手なハリウッド俳優よりもカッコいい」だ! さっきまでイケオジだなんだと惚れこんでいた自分自身を思いっきり殴ってやりたい! 乙女の純情を返せ! 千年の恋も一瞬で氷河期へと早変わりしてしまったわ!

「あぁ、もう! 最低!」

「いってぇ……。何すんだよ!」

「知らない! 自分の胸に聞いてみれば⁉」

 あたしはぷいっとそっぽを向いた。絶対、謝ってやんない!

「悪かったよ。言い過ぎた。反省している」

「ふん! もういい! あたしはとっとと……」

 と言いかけたところで、あたしははっと気が付く。

「どこへ行くんだ?」

「そ、それは……」

 確かに、まだこの聖域がどんな場所なのか分からない。見たところ中はかなり広そうだ。その上、あたしの身体は人間よりもかなり小さくなっている。迷うのは必至だ。

「ったく、寝相悪い上にせっかちとか……」

「う、うるさい!」

 一刻も早くコイツの傍から離れたいけど、ここは堪えるしかない。

「きちんと『お願いします』って言えば、飛び方を教えてやらんこともないぜ」

 癪に障るが、飛び去りたいのも事実だ。折角こうして背中に羽が生えたことだし。ただ、コイツに頭を下げるのだけは御免だ。

「お、お、お、お……」

 ――言ったらダメ!

 あたしに残されたプライドが、必死で止めようとしている。よりにもよってこんなデリカシー皆無のクソオヤジ妖精に負けてしまうのは嫌だ。

「さて、言えるか?」

 ――言ったらダメ!

「お、お、お、お、お……」

 ――言ったら、ダメ。

「お、おね、おね、おねが……」

 言ったら――。

「お願い、します……」

 あたしのプライドは、あっさりと崩壊した。

 だって仕方ないもん。こんな葉っぱの上にずっといるわけにもいかないし、こんな広い聖域を歩き回る気にもなれない。どうせなら皆のように自由に飛び回りたい。現状、コイツに頼むしかないわけだし、なりふり構ってはいられなかった。

「おうおう、よく言えました。それじゃ、飛び方をレクチャーしてやるぜ」

 ――あぁ、もう!

 あたしは最早なるようになれ、という気分だった。

「で、どうやれば飛べるの?」

「まずは地面を強く蹴ってだな……」

 ふむふむ。

「あとは、飛びたいって気持ちを強く持ちながら羽をはばたかせる」


 ――は?

 気持ちとか、そういう問題? あたしゃピーターパンかっての! 見た目的にはティンカーベル寄りになっているけどさ。

「そんなので飛べるわけが……」

「ま、論より証拠だ。やってみせろ」

 そんな安直な説明でできるとは思えなかったが、試しにやってみることにした。

 あたしはゆっくりと深呼吸をした。そして、足に力を込めて地面(葉っぱだけど)を強く蹴って跳びあがった。

 ――えいっ!

 心の中でゆっくり合図をして、気持ちで羽をはばたかせた。

 身体が徐々に宙に浮いていく。段々と、リドゥの頭があたしよりも下へ移っていく。いや、あたしの方が上に飛んでいるのだ。

「や、や、や、や、や、や……」あたしは空中で目をぱっと見開いた。「やったああああああああああああああああああッ! 飛んで、飛んでる! 飛んでるよおおおおおおおおおおッ!」

 なんだか嬉しくなってしまった。まさか、一発で空を飛べるようになるなんて。

「おうおう、なかなかやるじゃねぇか!」

 あまり褒められたくはない相手だけど、馬鹿にされていないだけで良かった。

 これで、あたしは自由にこの聖域を移動できる! あたしは歓喜のあまり二、三回ほど調子に乗って空で回転していた。

「とりあえず、これで……」

「そんじゃ、行きますか!」

 ――えっ?

「行くって、どこへ?」

「決まってんだろ」リドゥははぁ、とため息を吐いた。「妖精妃様のところだよ」

 ――あっ。

 すっかりそのことを忘れていたあたしは、呆然としたままゆっくりと地面へ降りて行った。

「んじゃ、行きますか。俺が案内してやるよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る