第13話 人魚の涙

 分厚い革表紙の書物がデスクに置かれた。

 そのデスクも戦前からの年代物に見えた。

 埃が舞って、黴の匂いが宙に漂っている。

「これは大正期に書かれた本で、この諸島の伝承を纏めた、まあ近世の風土記みたいなものでね」と学芸員の友人は自慢げに笑った。

「風土記といえば。古事記において両児島と記されたのが雄賀、雌賀島という説がある。平安期には遣唐使が渡海する時に立ち寄っていた、何とあの空海もね」

 聞かせ処の箇所だろう、鼻高く口を切った。

「そしてね。室町時代から江戸初期にかけてはまあ中国との貿易の中継ぎ地点として隆盛を極めたようだ。船舶の碇石も20基近く引き上げられている。それぞれ宋、元、明と時代区分されて、ほらそこに展示しているだろう」

「しかし江戸時代初期、大坂の陣あたりから鎖国が始まるだろう?」

 僅かな高校時代の知識を紐解いてみた。

「一般的には、そうだな。けれどこの島は幕末まで、幕府ご禁制の『抜け荷』を行っていた形跡がある」

「抜け荷?」

「密貿易のことだよ。まぁ状況証拠というかね。五島とか平戸、それから島原、長崎の外海あたりもそうだけど、土地の婆さんに肉じゃがとか卵焼きを焼いてもらうとわかる。とにかく味付けが甘いのさ。つまりは伝統的に砂糖が潤沢に使えたということさね」

「砂糖か」

「砂糖は主にジャワ島とか台湾とかで、奴隷労働で生産していた。それをオランダ貿易船が、まあバラスト代わりに積んでいたのさ。船の積荷の重量バランスを取る重しだ。もし海が荒れて投棄しても惜しくないように最初は砂袋だったが。こと日本では砂糖が珍重されて、出島では高額取引できるものだから、すぐに入れ替わった」

「成る程、だから長崎でカステラが焼かれたのか」

「そうだ。で、その地名で何かピンとこないか?」

「隠れキリシタンがいた地域だな」

「そうだ。何れもカソリックの教義の下で生活をしていた。ただし内容は都合よく改変されているけどな。知っているか。あの踏み絵というの。あれはお正月を迎えるとまずそれを家族で踏んでいたそうだ。信徒が生き延びるために、これもイエス様は御赦しくださる、という解釈をつけてな。幕府の詮議もそれで難なくクリアしていったんだ」

 雌賀島で綿々と信仰は続き、現代に繋がるのは実感できる。

「でなポルトさまというのはな、その密貿易を受けていた一部の有力者ということだ。その証として瑠璃を嵌め込んだロザリオが代々受け継げられてきたんだ」

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