第12話 人魚の涙
冷やりとした感触が背骨に走った。
「瑠璃の収まったロザリオを見たことがありますか」
何気ない一言に船員の表情が強張ったからだ。
私も島生まれだが、中学2年からは島を離れての出戻りでもある。
このために起こるのが、こういう空気感だった。
少年期から現在に至るまでの共有体験が少ない。
そして今は耳鼻咽喉科の期間医として所属はしている。だが任期終了後には島を離れるので、どうしても地場者からは腰掛けとして見られていた。
「すみません」と反射的に口走ったが、船長は感情を押し殺したような声で言った。
「そんひとはなぁ、きっとポルトさまの洗礼を受けた方じゃ。島では大事にされとる」とそれ以上は口にしなかった。
雄賀島に戻って歴史文化資料館を訪問しようと思った。明治の旧家を改装した施設で、地域で発掘された文物や郷土史が保管されている。恐らくはポルトガルの宣教師が関係しているのだと思う。
まだ濃紺を帯びた海面は冬場の色をしている。
東風が産む白い波濤を舳先が切り分けてゆく。
舷側の窓から僅かに傾斜した海面を見ていた。
その波間から大きな魚影が見えたかと思うと、蒼黒い尾鰭が水面を叩いた。
ギョッと驚いて、舷窓に齧りついた。
その尾鰭が哺乳類の形状だったからだ。
果たして次の瞬間に、白い腕が伸びた。
水を掻いた掌は、人そのものに見えた。
狭い通りに、手狭な商店が軒を連ねている。
島を巡回するバスが、道一杯に渡っていく。
その脇道に歴史文化資料館があった。
江戸期からの漆喰塗りの建物で、土蔵が連結された旧家そのものだった。その土蔵を傍廊下で連結されている。
雨が近そうな黒い雲が、押し寄せている。
観光客には入場料が必要だが、私は電話一本で入れて貰える。
数少ない友人が学芸員の担当をしていた。働き盛りの同級生の殆どが島外に出るなかで、彼は色んな職務を兼務して頑張っている。同席して貰うためには電話を入れる必要があった。
「ちょっと気になる事があってね。瑠璃の嵌ったロザリオをしたお婆さんを診察したんだ。そのロザリオを話したら、ポルトさまの洗礼とか?ちょっとその後の空気が悪くて、それにどんな意味があるのか・・・」
「電話があったので探しといた。それは災難だったな。それは雌賀島だろうね、そのロザリオは稀少なもんだから」
まだ雨が来ると肌寒い時期だというのに、彼は上着も着ていない。
四角い顎で何でも噛み込んでしまう健啖家でもある。
その彼が控え目な笑顔で、戸棚から革表紙の文献を取り出した。
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