第3話 崩落

 幸せな生活は唐突として苦痛に変わる。いつだって不幸というのは身構えている時には訪れてはくれない。


 旦那は重度の糖尿病の治療を一切行っていなかった。行っていると思っていたのに、予約すらしていなかった。


 それが発覚したのは、本当に偶然だった。今日は病院に行くと言って出かけて行った日に、急遽連絡しなければいけない事が出来た。私が何度も携帯電話に連絡しても繋がらず、仕方なしに今日行っている筈の病院に連絡した。


 私はそこで驚愕した。予約は入っていなかった。つまり旦那は病院になんて行っていなかったのだ。


 この事を私は旦那に問い詰めた。あっさりと呆れた本音を白状される、二回程通って面倒になり予約の連絡さえいれなくなった。病院に行くよりも仕事に行きたかったし、酒を飲むなと言われるのが嫌だったとそう答えたのだ。


 呆れて物も言えなくなった。面倒だから?仕事に行きたい?酒を飲むなと言われたくない?私の頭の中で何も結びついていかないのを感じた。まるで目の前で話をしている人が宇宙人のように思えた。


 通院しなければ病状は改善しない、自分の体を治さなければ仕事にだって支障がでる、酒を飲まないように言われるのは体にこれ以上負担をかけるなということだ。どれもが旦那の心配から出てきた言葉なのに、何故それを受け入れてくれないのか、私には理解が出来なかった。


 更に悪い事は続いていく、車の中から大量に酒の空き缶が見つかった。どうやら仕事帰りに買ってきて、家に帰る前に駐車場で飲んでいたらしい、飲み会に行けないから気付かれないようにするにはこれしかないと思ったと彼は語った。


 もうそれだけでも頭が一杯になっていたのに、今度は家に届く郵便物が気になり始めた。


 カード会社や携帯電話会社から、沢山の督促状が届くようになった。それも一社だけでなく何社もだ、素人目にも異常なことはすぐに理解出来た。


 しかも旦那はそれを開けもせずに放置していた。沢山の郵便物が分厚い本のようにまとめられていて目眩がした。堪らず私がその事を聞くと、開けたら払わないといけないからと彼は言った。


「開けなくても払わないといけないんだよ!」


 喉まで上がってきた罵声を堪えて、私は旦那にどれ程の借金があるのかを聞いた。額にして二百万程だった。気絶しそうになりながらも、お金の使い道を聞くと殆どが酒代に消えていた。


 私にはもうどうにか出来る範疇を超えていた。旦那の実家に泣きついて、この惨状を説明した。これから子供にかかるお金がどんどん増えていくと言うのに、自らの命を削る酒代に消えて借金まで増やされては堪らない、何とか助けてもらえないだろうか、私の必死の嘆願に旦那の両親も非を認めお金を出してくれた。


 しかしお義父さんから飛び出た言葉に私は驚かされる事になる。


「でもねえ男には飲まなきゃいけない時もあるんだよ」


 頭の中の糸がぷつんと切れた音がした。飲まなきゃいけない時?それは幼い我が子を差し置いて命を削る理由になるのか?私は足元がぼろぼろと崩れていくのをこの時感じた。


 もう何を言っても無駄だ。彼は酒を止めないし、彼の両親は彼の味方だ。孤立した私は花乃との時間をもっと優先するようになった。旦那に近づけてなるものかと、私は娘の幸せの為に出来る事を探し始めた。


 そんな私に更に追い打ちがかかる、背後に迫る影を私は甘く見ていた。


 その夜旦那は中々帰ってこなかった。いつものように酒を飲んでいるのだろう、私はそう思っていた。遊び回って疲れた花乃を寝かしつけると、私もそのまま隣で眠ってしまった。もう旦那の帰りを待つのにも疲れたから、別にいいだろうと思った。


 朝になってカーテンを開く、窓から旦那の車が見えた。帰ってきて車で酒を飲んで寝たのだろうと思い、起こしに行った。


 車のドアは開いていて、旦那の足が力なくそこから垂れているのが見えた。ただ事じゃない空気を感じて急いで駆け寄る、酒臭い車内で旦那は力なく意識を失っていた。


 それからの事を私はよく覚えていない、兎に角助けを呼んで色々な音色のサイレンが鳴っていた。彼の体は救急車に乗せられて、そのまま集中治療室に運ばれた。


 彼の体はもうとっくに限界を超えていたのだ、膵臓に大きなダメージを負い、糖尿病は深刻化していた。彼はそのまま入院する事になった。

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