第2話 苦楽

 産まれた赤ちゃんの名前は花乃とした。二人で考えた大切な名前、祝福を込めた初めてのプレゼント。


 赤ちゃんは兎に角忙しい、生きるために様々な要求を言葉もなく母親に伝えなければならないからだ。


 方法は泣くこと、大声で泣くことだ。赤ちゃんは泣くことが仕事で、お母さんはそれに応えるのが仕事、私は懸命に頑張った。


 授乳におむつにお風呂にミルク、定期検診に予防接種、世の母親とはこんなにも大変な事をやっていたのかと思い知る。自分の母の偉大さを、母親になって身に沁みた。


 旦那は育児には協力的だった。まあ自分に出来る範囲という感じだけれど、何もしてくれないよりは遥かにいい、少し私に比重が傾いている気もしたけれど、旦那は働きながらも協力してくれているのだから文句も言えない。


 花乃の成長は早かった。どんどん大きくなってどんどん出来る事が増えていく、そして何をしていても可愛かった。どんな仕草もどんな要求も可愛くて堪らない、この子がどんな未来を辿るのかを、こんなにも小さなうちから想像してしまう。


 一方で疲れは溜まっていった。それは仕方のないことだが、体はとても辛かった。私は身も心も削られつつあった。花乃は楽しそうだけれど、私は段々と辛くなっていった。


 そして花乃が成長するにつれて、旦那はどんどんと育児から離れていった。前は当たり前のようにやってくれた事をやってくれなくなった。なるべく早く帰宅していた頃から遅くに帰るようになった。


 旦那はお酒が大好きだった。そして飲み会が好きだった。仕事に行って飲み会をしてぐでぐでになって帰ってきてまた仕事に行く、そんな生活の繰り返しで、私は段々と不安を感じていた。


 糖尿病を患っていながら、お酒を飲むことを止めなかった旦那は、ある時会社の健康診断で肝臓の数値で引っかかった。私も結果を見せてもらったが、肝臓を患わせて亡くなった父の数値より、桁違いに悪い結果が出ていた。


 病院に行き検査をすると、糖尿病が悪化していた。このままでは取り返しがつかなくなりますよと、医者は苦言を呈した。


 幼子を抱えた私は心配が頂点に達した。このまま彼の病気が進行しようものなら、私と花乃はどうなってしまうの?そんな疑問が日常についてまわった。


 通院するように言われても、旦那は忙しいと言って通院をサボるようになった。確かに予約をとって長い待ち時間を過ごすのは大変だけど、このままじゃあなた死んじゃうのよ、私はそう必死で説得した。


 旦那の返事は色よくない、しかし子供を引き合いに出してようやく納得してくれた。私はただでさえ日々の育児に疲れているというのに、更に心労を背負う事になった。


 それでも病院に通って治療さえしてくれるのならそれでいい、彼の体が病魔に蝕まれていく事が心配だったから、それさえ解決してくれるのなら私は多く望まない。


 花乃が少し大きくなって、立つことも走ることも出来るようになった頃、私達はまだだった結婚式を挙げた。子供が出来てそれどころではなかったので、私はこの式が本当に嬉しかった。


 ドレスを着てメイクをして、物語に出てくるお姫様のような気分だった。そんなことではしゃぐような年齢じゃないけれど、この時ばかりはウキウキとした気持ちが押さえられなかった。


 多くの人から祝福されて、私達は皆の前で誓いあった。


「病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しきときも愛することを誓います」


 指輪を持ってきてくれたのは、歩けるようになった花乃だった。指輪を受け取り、互いの手にはめて誓いのキスをした。一仕事終えた花乃を旦那が抱き上げて、会場から盛大な拍手をもらい祝福された。


 疲労や不安、旦那の病気、様々な問題点を多く残しながらも、この時はまだ幸せだった。でも私は、幸せにかまけて目をそむけていたのかもしれない、着々と背後に迫っていた黒く重い影の存在に。

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