第20話

「宗次郎か……。無事だったのか」

「お師匠様こそ、御無事で何よりです」

 陣兵衛は、恰幅の良い体格で堂々と胸を張り、それでいて、ひとつも隙を見せない緊張感を内に秘めている。

 宗次郎は、両肩を掴む陣兵衛の力強さを感じた。

「良く生きていた。他のみんなはどうした?」

「皆さん、ゾンビの餌食になりました……」

 宗次郎が力無く答えると、陣兵衛は、黙って肩を二度三度と軽く叩いた。

「良くわしがここにいると知っていたな」

「お師匠様は、港に行くと仰られていましたので……」

 留三や時雨の事は、伏せた。

「そうだな。兎に角、無事で良かった」

「お師匠様、このような所にいましたら危険です。早く堺を出ましょう。町は、織田の軍勢に囲まれていると聞きました。いつ、焼き討ちに遭うかもしれません」

「うん。そうだな……。まあ、取り敢えず入りなさい」

 陣兵衛は、宗次郎を船長室に導いた。

 師匠の歯切れの悪い言葉に、宗次郎は何か不穏な感じを覚えた。


 透き通る白い肌、切り上がるまなじり、鮮やかに光る青い瞳、柔らかに曲線を描きながら顎の先で鋭利に尖る顔。冷酷な印象を与えつつも、薄紅に存在感のある唇は、最後の温かみを見せている。

 西洋家具と切支丹の文化でしつらえられた船長室には、背の高い西洋人がひとり端然と立ち尽くしていた。

 堺に住んでいる宗次郎も宣教師や商人から西洋人を見慣れていたが、ここまで生気の感じられない人間は初めてだった。

 陣兵衛は、宗次郎に向き直った。

「この方は、フランス人のカール殿だ。カール殿、私の教え子である宗次郎です」

 カールと紹介された西洋人は、優美な動きで右手を差し出した。

「初めまして。カールと申します」

 日本語だった。しかも、流暢な言葉だ。

 堺に住んではいても、まともに外国の人間と接触した事は無い。宗次郎は、おずおずと手を出した。

「驚きましたか。私は、五年前からシャムに住んでいまして、そこの日本人に日本語を習ったのです。まだ、文字を書くのは苦手ですが」

「そうなんですか。とてもお上手で驚きました」

 カールは、満更でも無い表情をした。

「宗次郎。わしは、このカール殿の協力を得て、ある計画を進めているのだ。実は、それにお主も加わって欲しい」

 宗次郎は、それを聞いて驚愕した。

 という事は、師匠はゾンビに幾らか関係しているのだ。

「この町を襲ったゾンビ達は、あなたが連れて来たのですね」

「そうだ。私は、陣兵衛殿の依頼を受け、彼らをこの船に乗せて来た。だが、信じて欲しいのは、彼らが町を襲ったのは、ちょっとした手違いで、町を襲うつもりは全く無かったのだ」

「船が港に着いた時、先を争って乗り込んで来た商人達が無闇にゾンビに接触したのがきっかけだったんだ。襲われた商人達は、わしらの制止も振り切って、港に戻ってしまったのだ」

 それで、堺は地獄を見た。

 信じたくない事実を感じ取り、宗次郎の気分は一気に落ち込んだ。

 陣兵衛もその宗次郎の気持ちに気付いた。

「宗次郎。まあ、聞いてくれ。確かに、わしはゾンビを利用しようとしている。堺がこのようになったのは、不運でしか無かった。金儲けに目が眩んだ商人達が巻いた種なんだ。しかし、わしらは、あんな強欲な豚共と違う。わしらには、大きな目標がある」

 何を言っても、言い訳にしか聞こえない。

「わしはな、三好の再興を考えておる」

 宗次郎は、一瞬、自分の耳を疑った。陣兵衛は、ゾンビを戦に使おうとしている。

 かつて、近畿に勢力を誇った三好家は、足利幕府を圧倒する程の権力を持っていた。剣豪として知られる十三代将軍足利義輝を攻め滅ぼしたのは有名だ。特に最盛期の三好長慶は、傑出した人物として知られ、長命すれば天下をも狙えていた名将と言われている。

 陣兵衛は、その三好家に仕え、一時は宿老の末席に名を連ねていた。

 三好の滅亡により、身を隠し、面識があった堺の商人の庇護を得て、剣術道場を開いていた。

 宗次郎もそこまでは噂として聞いた事があったが、まさか、今でも三好家に心を残していたとは思わなかった。もう、織田の天下は揺ぎ無い。陣兵衛も諦めていたとばかり思っていた。

「ゾンビを使って、三好家の再興を果たすおつもりですか?」

 つい、言葉がきつくなる。

「そうだ。三好家は、南蛮商人との繋がりがあった。最近、南蛮ではゾンビが新しい兵士として使われていると聞いて、早速呼び寄せたのだ。堺の人々には申し訳無かったが、その実力は聞いていた以上だった。この戦力を使えば、例え織田の軍勢とてひとたまりもあるまい」

「いけません。あのような、恐ろしい者達を解き放てば、この国はどうなりますか」

「ゾンビ共が制御出来無い事を恐れているのだろう」

「そうです。この町で起こった事が全国で再現されるんですよ。どれだけの人が亡くなる事か」

 陣兵衛は、宗次郎の不安に駆られた顔を見て、余裕の笑みを浮かべた。

「それについては、ちゃんと対策が出来てある」

 陣兵衛がカールに目配せすると、カールは両手を叩いた。

 隣の部屋の扉が静かに開いた。

 そこに立っていたのは、若い細身の男だった。腰に大小の刀を下げている。黒ずんだ肌と光の無い瞳でゾンビだと知れる。

 宗次郎は、思わず腰に手を掛けた。

「大丈夫だ」

 陣兵衛が宗次郎を制する。

「入って来い」

 ゾンビは、言われるがままに部屋に入って来た。

(言う事を聞いている……)

 宗次郎は、そのゾンビが今までのゾンビとは違う事を悟った。

「見ての通り、このゾンビは、カール殿の命令を聞く。外のゾンビ共とは違い、無闇に人を襲う事は無い。どうだ? このゾンビなら安心だ。ゾンビによる軍隊。まさに、死を恐れぬ無敵の軍団の誕生だ」

 幻滅した。まさか、陣兵衛がこのような考えを持っていようとは。

「では……」宗次郎は、声を絞り出すように言う。「三好家の再興と言いますが、三好の跡継ぎは、ほとんど絶えておりますし、生き残りは皆織田家に降伏しております。今の状況では、とても反旗を翻す者がいるとは思えません」

「そうだ。それらの生き残りに声を掛けても我々の思い通りになってくれるとは限らない」

「ならば、どうされるのですか?」

「我々が隠し持っている三好の血筋を担ぎ上げるしか無いだろう」

「え……?」

 宗次郎は、驚いた。三好の血筋を師匠が連れていたのか? 道場にいても、それらしい人物はいなかった筈だが。しかも、道場で見知っている者は、あの時、ほとんどゾンビに襲われてしまったのではないか。

 今度は、陣兵衛が扉を開け、隣の部屋に入って行った。

 宗次郎は、陣兵衛が連れて来た人物を見て、再び目を見開いた。驚く事ばかりだ。

「お小夜さんっ」

 そこには、小夜が所在無げに立ち尽くしていた。

「宗次郎さんっ」

「どうして、お小夜さんがここに?」

「お小夜は、わしが仕えていた方の側室の子だ。織田に攻められた時、堺まで連れて来たのだ」

「お師匠様。お小夜さんをどうするのですか?」

「さっきも言ったように、お小夜を旗頭にして、軍を起こすのだ。男じゃないのが残念だがな」

「お小夜さん。それでいいんですか?」

 小夜は、困惑顔をして宗次郎を見た。下手に本音を口にする事を避けている。狼に怯える草食動物のように身を竦ませるだけだ。

「私は……」

 小夜にとって、陣兵衛は命を救ってくれた恩人である。その期待を裏切りたくない。というか、裏切ってはいけないと思い込んでいた。

「お師匠様。お小夜さんにそんなに大きな責任を負えるとお思いですか?」

 小夜は、大人しく気弱で優しい女の子だ。とても、戦の旗頭に耐えれるとは思えない。

「確かに難しいだろう。だが、わしと宗次郎で支えてやれば、大丈夫だ」

 突然、当事者の立場に引き込まれていた。まだ、陣兵衛に協力すると言ってないし、協力するつもりも無い。しかし、怯える小夜をひとり陣兵衛の元に残したくも無い。

 宗次郎とて、面と向かって陣兵衛に反対したくは無い。弟子の立場で師匠の気分を害する事が出来ようか。

 それでも、小夜に危険な事はさせたくない。

「心配する事無い。わしは、かつて三好の宿老だったのだ。それに、ゾンビだけでないぞ。わしが声を掛ければ、かつての仲間達が集まってくるだろう。三好の結束力は、伊達では無い事を見せてやる」

 宗次郎は唇を噛んだ。陣兵衛は、自分を育て、剣術を教えてくれた恩人だ。その恩人の言葉に背を向ける事が出来るだろうか。

(出来無い……)

「三好とカール殿の力を合わせれば、天下統一も夢では無いのだ。三好の復活が成れば、小夜も不自由な暮らしをしなくても済む。何の躊躇いがあろうか」

 師匠と小夜の為を思えば、そうする方が良いのかもしれない。宗次郎は、断腸の思いで答えを出そうとした。

 部屋の隅で高い音がしたのは、その時だった。

 西洋柄の花瓶が床に落ちて、真っ二つに割れた。

「きゃあっ」

 皆が花瓶に気を取られた隙に、小夜が黒頭巾の男に捕まっていた。

 あの服は……。

 宗次郎は驚いた。顔は分からないが、姿かたちは留三そのものだった。

「お小夜さんっ」

「おのれっ」

 宗次郎と陣兵衛が同時に留三に向かって行くと、留三は何の躊躇も無く、小夜を抱えたまま窓から海に向かって身を翻した。

「ああっ」

 真っ暗な海は光を失い、闇に塗り込められている。

(どうして、留三さんが……)

「何だあいつは!」

 後ろで陣兵衛が憤慨していた。

「これは、予想外の出来事ですな。どうするのですか、陣兵衛殿」

 落ち着いて全てを見ていたカールは、落ち着いて言った。

「どうするとは? 勿論、あいつを追う」

「どうやって?」

「ゾンビ達を総動員するのだ。どうせ、この町から逃げられやしない。しらみつぶしに探してやるっ」

「簡単に言いますが、この町は軍勢に囲まれているのですよ。そうそう人探しに使う時間はありません。言ってる事は分かりますね?」

「分かっておるっ」

 陣兵衛は、吐き捨てるように言う。

 カールは、陣兵衛の怒りとは別に、至って冷静にいる。

「それにしても、あいつは何者だ?」

 その視線は、宗次郎に向けられた。

「この船に忍び込んだのは、ひとりだけでは無いようですな」

カールは、宗次郎をちらりと見た。

 暗に自分を怪しんでいる。宗次郎は、緊張に包まれた。

「何を言いたいのですか?」

 宗次郎は、声を吐き出した。

「いや、余りにも偶然が重なっていると……。そうは思われませんか?」

「まさか、宗次郎があいつの仲間だと?」

「いやいや、そう言い切れない面はあります。その若者があの者の出現に驚いたのは間違い無いですし。しかし、それにしても、ですよ」

「宗次郎。どうなのだ。お前は、あいつの事を知っているのか?」

「いえ……、知りません」

 嘘がつけない男だ。不自然な目の泳ぎ方は、明らかに肯定していた。

「宗次郎。お前は……」

 言い終わるか終わらないか。扉が大きく開け放たれ、部屋の中が白い煙に包まれた。

「煙玉だっ」

 陣兵衛が口を押えながら叫ぶ。

 宗次郎は、目の前が真っ白になったまま、誰かに強く手を引かれていた。

「逃げるよ」

 耳元に囁かれた声は、時雨のものだった。

 強い力で前に押された宗次郎は、そのまま部屋の窓から海に向かって落下した。

「うわー!」

 したたかに海面に背中を打ち付けた為、しばらくその痛みで上手く泳げなかったが、すぐに時雨が近付いて支えてくれた。

「さっさと泳ぐのよ。ゾンビ達が追って来るわ」

「と、留三さんがお小夜さんを……」

「ええ、聞いていたわ。全く、どういうつもりなんだか」

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