第16話

 ゆるやかな上り坂が長く感じられた。

 恐らく、もう堺の境界は越えているだろう。一体、この通路はどこまで続くのだろうか。

 後から入って来た宗次郎がようやく追いついた。

「留三さんは、入口を守ってくれるみたいです」

「あいつが?」

 あいつにそんな他人思いの心があったか?

「やっぱり良い人ですね」

 お前、勘違いしている。いや、騙されている。

「大丈夫かい?」

 宗次郎は、小太郎にも気を使う。小太郎は、無言で宗次郎に頷いた。

 時間が無い。時雨は、小太郎を宗次郎に任せて、先を急いだ。

 歩いた距離と登り坂の角度を考えて、もう少しで地上に出る筈だ。

「大丈夫? 疲れてない?」

 振り向きながら、小太郎に聞く。

 小太郎は、「うん」と小さく答えた。僅かに照らされた表情から、恐怖の色が見て取れる。

 この子だけは守ってあげないと。時雨は、思いを強くした。

 やがて、通路は行き止まりになった。横に梯子が立てかけてあり、穴は上に向きを変えている。

 灯りを掲げて、上をよく見ると、ぼんやりと光の届く先の天井部分に木の蓋がされてある。

「あそこだわ」

「とうとう出口なんですね」

「そうよ。梯子を上るから、下から照らしていてね」

「分かりました」

 梯子は、少し古い。ここに置かれてから、誰も使ってないのだろう。色褪せて、ギシギシと音が鳴る。

 一番上に着くと、時雨は、宗次郎と小太郎に向かって、口に人差し指を立てて見せると、蓋に耳を近付けた。

 宗次郎と小太郎は、それを見ながら出来るだけ音を立てないようにした。

「大丈夫そうね」

「良かったな。帰れるよ」

 宗次郎は、小太郎に囁いて、安心させた。小太郎も少し笑顔を見せた。

「灯りを消して」

 時雨は、そう言うと、両手で蓋をゆっくりと上げ始めた。

 通路は、真っ暗だ。時雨が蓋を上げた様子は、微かに伝わる音で分かるが、目の前は漆黒の闇で塗り固められている。

 時雨が目にしたのは、四角く切り取られた夜の地面だった。

「ちょっと、待ってて」

 近くに生き物の気配が無い事を確認して、頭ひとつ分顔を出す。蓋を上げようとしたら、「コツン」と音を鳴らして何かに当たった。

 時雨は、地面に肘を立て、蓋から身を乗り出した。

どうやら、建物の床下に出て来たようだ。蓋の上には、木造の建物があり、幾つもの太い柱に支えられている。

時雨は、四つ這いになって、体を引き出すと、床下から用心深く顔を出した。建物の周りには、広葉樹の樹々が密度を高めている。

「鎮守の森だわ」

 建物を振り返ると、それはこじんまりとした神社だった。

 そう言う事か。神社に抜け穴の出口を作れば、半永久的にバレる事は無い。誰も、神社を検めようとしない。

(抜け目ないわね)

 商人は、それなりに実入りの良い商売である。その代りに浮き沈みが激しい。もし、権力者に睨まれてしまったら、次の瞬間には財産どころか自分の命が危ない。商人達は、お互い激しい競争を繰り広げているように見えても、その危険性を知る者同士、見えない仲間意識で結ばれている。

 床下から出た時雨は、音を立てずに森に向かって行った。取り敢えず周囲の状況を観察する。

 堺の町の方では、織田軍が昼間のように煌々とかがり火を連ね、蟻の這い出る隙間も無いくらいに兵が囲んでいる。只、彼らの注意は常に町に向けられ、この神社を気にする者はいない。

 堺から反対の方は、至って静かで真っ暗な闇が広がっている。どうやら、上手くいったようだ。

 時雨は、宗次郎と小太郎を引っ張り上げた。

「いい? 堺の町には近づかない事。織田の足軽に見付かったら、問答無用で殺されるから、反対側に向かうの。道を進んで行けば、どこかの村に辿り着くわ」

 時雨は、小太郎の両肩を後ろから抱え、暗闇に向けて指を差す。

「下手に歩き回るのは危険だから、最初の村で頼み込んで泊まらせて貰うのよ」

 小太郎は、無言で頷いた。

「お姉ちゃんは、一緒に来ないの?」

「そうね。一緒に行ってあげたいけど、私達には仕事があるから、行けないのよ。ごめんね」

 小太郎と同じ目線にしゃがみ込んだ時雨が優しく言う。

「でも、二度と会えないっていう訳じゃ無いわよ。そうだ。仕事が終わったら、小太郎君に会いに行くようにするわ。どこにいても、見付けるからね」

「ほんとに?」

 小太郎の顔が初めて緩んだ。

「私は、忍びよ。不可能な事は無いわ」

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