第13話

 留三が横になって、囲炉裏で干物を焼いていた。

「何か、良い匂いがすると思ったら」

 宗次郎がすぐ横に座り込んだ。

「時雨は?」

「小太郎と話をしてます」

「小太郎?」

「あの子の名前らしいですよ」

「ふーん」

 留三は、大欠伸をした。

「興味無いんですか?」

「ある訳無いだろ。あるのは、この町でどうやって生き延びるかって事だけさ」

「留三さん。もう少し、優しくなれないですか?」

「阿保らし」

 留三は、素知らぬ顔で干物を四つ焼いている。

「それにしても、時雨さんがあんなに優しい人だとは思いませんでした」

 留三は、宗次郎の言葉に苦い顔をした。

(よく言うよ。忍び程冷血な輩はいないと言うに……)

 剣術の世界しか知らない宗次郎である。

「あら、良い匂いね。ありがとう」

 時雨が小太郎を連れて戻って来た。小太郎は、時雨の側について離れない。すっかり、時雨に慣れたようだ。

「別にお前達の為に焼いている訳じゃないさ」

「時雨さん。留三さん、こんな事言うんですよ。冷たいと思いませんか?」

「そうね。わざわざ大切な干物を四つ焼いてくれてるからね」

「え? 四つ?」

 そこで、宗次郎は初めて気付いた。自分と留三と時雨だとひとつ余ってしまう。

「……」

 宗次郎は、留三を見た。

「何だよ。俺の干物だ。俺がふたつ食うんだよ」

「憎まれ口は、あなたの売りだからね」

「うるさいな。別に売りにしてる訳じゃない」

「はい。小太郎君。美味しい干物が焼けたわよ」

 時雨が干物を取って小太郎に渡そうとする。しかし、小太郎は、留三を見ながら躊躇していた。

「食べたいなら、さっさと食いな。じゃなければ、俺が貰うぜ」

 その言葉に、小太郎は慌てて干物にがっついた。

 そんな小太郎の姿を見て、三人も干物を食べ始めた。

「で、その子供の親はどうしたんだ?」

「留三さん」

 宗次郎が眉を顰める。状況的に生きているとは思えない。

「何だよ。どうせ、そいつは一緒に連れて行けねえんだ。誰かに引き取って貰わないといけないだろ」

「また、そんな事を……」

「俺達だって、どうなるか分からないんだ。自分の身を守れるかも分からない。これ以上、お荷物を増やす訳にはいかないんだ」

「でも、だからって……」

 留三は、溜め息をついた。

「あのなあ、第一お前はお前の目的があるんだ。こんな事で躓いてどうする?」

「そうですが……」

「お父さんお母さんはどうしたの?」

 時雨は、留三を無視して、優しく小太郎に聞いた。

 小太郎は、おずおずと言った。

「分からない」

「ここは、あなたの家?」

 小太郎は、首を振った。

「あの部屋は、いつ入ったの?」

「……三日くらい前」

「お父さん達は、どこに行ったの?」

「お母さん」

「え?」

「お母さんが僕をあの部屋に入れたの。助けを呼びに行くって言って」

「お父さんは?」

「お父さんとお爺ちゃんは、僕とお母さんを先に逃がしてくれたの」

「そう……」

 留三は、溜め息をつきながら小声で宗次郎に言った。

「父親と祖父が盾になって、ふたりを逃がしたが、母親も逃げ切れず、何とか息子だけを安全な場所に置いたって事か」

「お母さんもどこかで襲われたんですね」

「子供を三日も置き去りにしねえだろうな」

 留三は、苦い顔をした。

 時雨は立ち上がると、留三と宗次郎の側に来た。

「飯を少し渡して、またあの部屋に閉じ込めるしかねえな」

 時雨が近付いたと同時に留三が呟いた。

「留三さん。それは駄目ですよ」

 宗次郎がすぐに否定する。

「何が駄目なんだよ」

「ここに置いて行っても、あの子だけでは生き延びれないですよ」

「あのな。さっきも言った通り、あのガキを連れては行けないんだ」

「でも、あまりにひどいですよ」

「おい。俺があのガキを見殺しにするって言うのか?」

「だって、そうじゃないですか」

「それは、違うぞ。いいか、俺達は、あの南蛮船に行く。その間は、このガキには、あそこで隠れて貰うんだ。お前の師匠を連れだしたら、後はお前達の勝手にするがいい。ここに戻って、このガキを助けでやってもいい。俺の預かり知らぬ所だ」

「ですが、私達が戻って来なかったらどうするんですか?」

「ほほお? それだけ危険だと分かっていながら、尚、このガキに余計な気を回すつもりか? お前がそのつもりなら、俺は下りるが、いいのかよ?」

「え、それは……」

「嫌なら、ガキの事は綺麗さっぱり忘れるんだな」

 時雨はその間無言だった。

「お前も、変に情けを掛けるなよ。今までも冷酷な場面は幾らでもあったんだろ。それに比べれば、このガキはまだマシだろ?」

 小太郎を振り返った。時雨の目に無力の子供の姿が映った。

 確かに、忍びとして、多くの生き死にを見て来たし、自らの手を下す事もあった。だが、そのほとんどが『大人』を相手にしての『事』であり、特に幼子を手に掛けた事は無い。『女』としての心が自然にブレーキを掛けていたのかもしれない。男の忍びは、得てして、年齢に関係無く命を奪う事に無関心だった。だからこそ、忍びの世界でも女は主流では無かった。その世界で、時雨は、『倫理』では無く、『技』を以て己の居場所を確保して来たのだ。

 小太郎が、後ろから時雨の腕を強く掴んで来た。この恐ろしい場所にひとり残される恐怖が身を震わす。その震えが時雨に伝わって来る。

「町から逃がすわよ」

 時雨が覚悟を持って呟いた。

「あん?」

「え?」

 留三と宗次郎が同時に時雨を見る。

「だから、この子を逃がすわ。私が連れて行くから、それまでちょっと待ってくれる?」

「どうやってですか?」

「おい、どうしたんだ?」

「町の外に出してあげるだけでいいでしょ? それなら、大して時間も掛からないわ。ふたりはここで待ってて」

「待て待て待て」

 留三が慌てて時雨に言い寄る。

「一体どうしたって言うんだ。お前は忍びだろ? 忍びが情に流されてどうするんだ」

「あら。私は、雇い主の依頼の為に冷酷になるの。それと関係無い事については、個人の好きにやってるわ。私達がいつも非情な人間だと思っているのはあなた達であって、私達だって無駄に命を奪ったりしないわ」

 そこで、時雨は優しく小太郎の手の上に自分の手を重ねた。

「忍びだからこそ、人の生き死について、誰よりも考えているつもりよ」

 仏頂面の留三の向こうで、宗次郎が目を輝かせて聞き入っている。

「ふんっ。そんな説教は、尼になってから言いやがれ」

「で、どうしますか? 町の外れまで行かないといけないから、時雨さんだけでは難しいですよ。みんなで力を合わせないといけませんね」

「止めろっ。いいか、そのガキを助けたいなら、自分だけでやりな。俺達は一切協力しないからな」

「そんなっ」

 宗次郎が留三を睨む。留三には効かないが。

「でないと、俺はお前にも協力しないからなっ。そんな危険な仕事を請け負う程間抜けじゃねえっ。それにな、塀を乗り越えて逃げるのはもう不可能なんだよ」

「え? どういう事ですか?」

「この町は、織田の軍勢に包囲されてんだ。町から逃げ出す奴は、ゾンビだろうが無かろうが、ひとり残らず殺されるんだ。そのガキだって、すぐに見付かって首を刎ねられちまうんだよ」

「えっ。じゃあ、私達も逃げられないって言う事ですか?」

 宗次郎は驚いて留三と時雨を見比べた。怒りを露わにしている留三に対して、時雨は少し笑みを見せている。

「あらあら、随分と脅してくれるのね。それなら、あなたはどうやって町を出るつもりだったの?」

「そんなの、簡単に教えれるかよ」

「そう言えばそうですね。私とお師匠様をどうやって逃がすつもりだったのですか?」

「出し惜しみしてる場合じゃないわよ」

「なにぃー」

「まさか、海からですか?」

「違うわよ。海だって、織田の水軍がびっしりと囲んでいるわ。夜に船の下を潜り続けるなら、辛うじて見付からないかもしれないけど、余程泳ぎに自信が無いと困難だわ」

「誰か、外から手引きするとか?」

「こんな人に、そんな仲間を作る愛嬌があると思う?」

「うるさいっ」

 留三は、意固地になってそっぽを向いてしまった。

「どうして、そんなに教えてくれないんですか?」

「自分だけ生き残るつもりだからよ。他人を信頼してない。自分だけの世界から出るつもりも無い」

「お前だって、忍びの世界に籠ってるじゃねえか」

「あなたみたいに、何でもかんでも自分本位で考えている訳じゃ無いわよ」

「ちょ、ちょっとおふたり共、喧嘩は止めて下さい。ここで言い合っても何にもならないじゃないですか」

 宗次郎のような純粋な人間には、留三と時雨の騙し合いは理解出来無い。

 留三としては、町からの逃走ルートは何よりも重要だ。誰かに知られてしまっては、その時点から安全なルートでは無くなる。無論、それは時雨だってよく分かっている。留三は、容易には教えないだろう。

 だが、時雨は小太郎を救いたかった。その為には、留三の逃げ道が欠かせない。

「第一な。何でお前はそんなにそのガキを助けたいんだ?」

 時雨は、留三を睨んだ。別に、そんな事を言う義務も無い。しかし、このままでは留三を落とせない。

 とは言え、感動的な話をした所で心が動く程まともな神経を持つ留三でも無い。

 時雨は、ゆっくりと懐に手を入れた。

 留三が見詰める中、取り出したのは、銃身が極端に短い火縄銃だった。

「何だ、そりゃ?」

 読み通り。留三の視線が釘付けになる。

「国友の試作品よ。忍びにも使えるように小さく作られたの」

 時雨が持ち手を向けると、留三はひったくるように両手に取った。

「すげえ、初めて見た」

「ふふ。やっぱりあなたなら夢中になると思った」

 近江長浜の国友村は、堺と並ぶ鉄砲鍛冶の一大産地である。刀鍛冶に長けた職人達による火縄銃の精巧さは比類無い。

 しかも、只の火縄銃で無い。懐にも忍ばせておける短銃である。

 留三は、一流の盗賊である。一流という事は、盗む腕前だけでなく、目利きも一流であるという事だ。その留三を以てしても初見であり、その価値の高さに一瞬にして気付いたのだった。

「これ、貰えるのか?」

「契約成立で良いかしら?」

「良いだろう」

「良いんですか?」

 宗次郎が慌てて言う。

「それ、大切な武器でしょ。そんなに簡単に譲っていいんですか?」

 宗次郎だけが勘違いをしているのは仕方無い。只、留三も時雨も指摘しない。

「大丈夫よ。それよりも、大切なのは、この子を助ける事なんだから」

「はー。時雨さんって立派ですね」

 宗次郎の口振りにトゲを感じながらも、留三は気にしなかった。

 留三と時雨は、短銃を武器として考えていなかった。ふたりの活動において、火縄銃は扱い辛い。わざわざ銃を打つ為に火を点け、弾込めして狙いを定めるのに、時間がかかり過ぎる。しかも、発射時の轟音で自分の位置がバレてしまう。

 あくまで、貴重品としての価値でしかふたりは見ていない。だから、時雨は駆け引きの材料として、留三は金目のものとしてしか感じていない。宗次郎は、そこまで思い至ってなかったのだ。

「よし。そうと決まれば、早速行くか」

 時間も無い。留三は、勢い良く立ち上がると、短銃を胸に仕舞った。

「あー。握り飯でも食いてえな」

「町を出て行ったら? あらかた仕事は終わったんでしょ?」

 確かに、それなりの量の盗みはしている。ちゃんと、隠しているから、このまましばらく堺を離れても問題無い。無理して、南蛮船に侵入する事も無い。いっその事、ガキと一緒に逃げる方法も無くは無いのだ。

 只、留三には、まだやり残した事があった。宗次郎に恩を返すのもそうだが、もうひとつ気掛かりが残っていた。留三としては、それを確かめなくては、堺を去ろうとは思わなかった。

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