第8話
宗次郎は、少し戸惑った。どう見ても、そんなに簡単じゃ無い。多少の稽古を積んだとは言え、それは剣術の話であって、こんな軽業師のような経験は無い。
下を見ると、蔵と塀の間を数人のゾンビが蠢いている。もし、失敗して落ちたら怪我だけじゃ済まないのは明らかだ。
「お前~。俺を信じて無いだろ」
留三が半分冗談気味に言って来る。
こんな状況で、まだよく分からない相手に身を預けないといけないのだ。不安に駆られるのも当然だ。
仕方無い。宗次郎は、覚悟を決めた。
「行きますよ」
「おう。しっかり飛んで来い」
足場を固めて、少し身を屈むと、留三も出来るだけ手を伸ばして来た。
蔵に向かって思い切り飛ぶ。
勢いを付け過ぎたせいで、肩が蔵の壁にぶつかり、体勢を崩してしまった。
体がふら付き、足が滑る。
(やばいっ)
やっぱり、慣れない事はするもんじゃない。これは、人生の格言。
留三が軽業師並みに捕まえてくれなかったら、傷だらけの体でゾンビ達の獲物になっていた。
「はっはー! 興奮したなっ」
宗次郎は、力強く軽々と引っ張り上げられた。
「もう、こんな事は二度と出来ません」
「大丈夫。次は上手く出来るさ」
「次もあるんですか?」
蔵の二階の床に倒れ込む。荒々しい呼吸に埃が勢い良く舞い上がった。
「俺と付き合ってると、こんなことばかりになるぞ。さあ、こっちだ」
まだ、呼吸が落ち着いてないのに、留三はさっさと先に立って、下に続く梯子に足を掛けた。いつの間にか赤々と輝く燭台が手に収まっている。
「あ、窓を閉めておいてくれ。しっかりとな。誰かに使われたくないからな」
蝋燭の光が届く範囲には、大きな木箱や年代物の骨董品に鮮やかな織物、金ぴかの仏像等、ひと目見るだけでも高価そうな品が山積みになっていた。
「大したもんだろ。ここにある物だけでも、一生遊んで暮らせるぞ」
「はあ」
宗次郎は、半開きの口を無防備に晒しながら、暗闇に浮かぶ諸々を只眺めた。
ふたりは、一階に下りた。一階は、更に雑然と宝物がうず高く積み上げられている。
「すごい」
蔵の入口の大きな両開きの戸は、中から完全に打ち付けてある。
「これか? ゾンビ対策だけなら、閂だけでいいんだけどな、一番恐ろしいのは人間様だよ」
「え?」
「簡単に入れないようにしないとな」
「生き残っている人がいたら、助けて上げるべきじゃないでしょうか?」
「そういう意味じゃないんだよ」
そう言って、ニヤリと振り返る。この蔵の物は自分の物だ。留三は、誰かに見付かって取られる事を恐れていた。
そうとは知らない宗次郎は、こんな簡単な問答も解けず、単純に留三という男を怪しんでいた。
(どうも、この人はもったいぶった話し方をする。一体、何を言いたいんだろう)
命を救った事に対して協力をしてくれるのは有難いが、言葉遣いといい、粗野な仕草といい、どことなく育ちの悪さを感じさせる。もしかして、自分を騙すつもりなのではないか。言われるままについて来たが無闇に信用するのも危険かもしれない。
燭台を側の木箱に置いた留三は、蔵の真ん中に幾つか散乱している小物をどかし始めた。
「こういうのも、さり気無く散りばめるのが大事なのさ」
何を言ってるのだろう。宗次郎には、全く分からない。
ある程度片付くと、留三は床に貼ってある板の透き間に小刀を当てた。一枚、二枚と剥がす。
「それを取ってくれ」
燭台を渡すと、留三は床下を照らし、「見な」と呟いた。
宗次郎は、驚いた。
灯りの先で、煉瓦造りの階段が地下に向かって伸びていた。
「これは何ですか?」
「へへ。この町最大の秘密だな。地下通路への入口さ」
「地下通路?」
「おうさ。かつて、この堺の町が形作られる時、時の豪商達は、他の商人達を出し抜く為、また、稼いだ財産を隠す為の方法を考えていた。いかがわしい商品を誰にも気付かれずに扱ったり、せっかく稼いだ金が京の貴族や田舎武士に奪われてしまわないようにな。そこで、普段はいがみ合う商人、当時の堺を牛耳っていた六大商家が協力して莫大な費用を投じて作ったのがこの地下通路なのさ。勿論、町の人間には秘密でな」
蝋燭の火が階段に沈む闇の存在を際立たせている。まるで、黒い水が煉瓦造りの空間を満たしているかのようだ。
これだけの空間が金儲けの為だけに使われた筈は無い。長い間、堺の町の歴史にも残らない凄惨な事件の現場にもなって来ただろう。
宗次郎の背中に寒気が走る。
暗闇から微かに流れ出る冷気がゾンビではない、人ならざるものの怨念を含んでいるかのようだ。
「何を突っ立ってんだ。行くぞ」
宗次郎の思いを全く意に介する様子も無く、留三はさっさと階段を下り始めた。
「ちょ、ちょっと待って下さい。その地下通路って大丈夫なんですか?」
「どういう事だ?」
「地下通路には、ゾンビがいるとか無いですよね?」
「それは、分からんなー」
留三は、あっさりと言い切る。
「この前、入った時はいなかったがな。今日は、どうなんだろうな。人生と一緒だ。試してみないと分からない」
留三は、笑みを見せて振り向くと、腰の脇差を抜いた。
「こいつが俺の身を守ってくれるさ。お前も、さっき良い刀を選んだじゃないか。お互い協力し合えば、何も怖くないさ」
留三の身のこなし、刀の腕に疑いは無い。疑うとすれば、何を考えてるか分からない所だ。
宗次郎も脇差を抜く。
「そうだ。中は狭いから大刀は使い辛いぞ。さあ、行こう」
地下通路は、小舟が通れるくらいの水路になっていた。水路の両端を人ひとり歩けるようになっている。
静寂が辺りを覆い、耳鳴りが頭を突き抜ける。
「これを持ってついて来るんだ」
留三は、壁の窪みから松明を取り出し、火を点けて宗次郎に渡した。
「後ろに注意しろ。こっちだ」
前後に注意しながら、長い通路を進む。地下通路は、複雑に交差している。四つ角では、膝まである水路に足を濡らさなければならない。
自分達の足音が反響して、見えない先まで響いて行く。その暗闇の向こうで、どんな凶悪な奴らが潜んでいるかも分からない。
「ゾンビ、いそうですか?」
宗次郎が出来るだけ小さな声で囁く。
「特に変な音はしてないから、心配無いと思うがな。だが、用心するに越した事は無い」
留三の言葉に、宗次郎は黙って頷く。
松明の炎が通路の壁に怪しい影を蠢かせる。それが、何者かに見えて、時々驚かされる。
突然、宗次郎の目の前を黒い物体が横切り、驚いた。いきなりゾンビに襲われそうな気がした。
「わあっ」
松明をかざして、物体の姿を追おうとする。
「蝙蝠だ。いちいち声を出すな」
留三が低くたしなめた。
「は、はい。すみません」
宗次郎の背中に冷や汗が一気に噴き出る。
「大丈夫だ。ほんとに奴らが近付く時は、臭いで分かるからな」
「足音とか声じゃないんですか?」
「俺は、人一倍鼻が効く方でな」
「それにしても、この通路、長いですね」
「この地下通路は、各商家の地下を繋いで海に続いている。道が複雑なのは、用心の為だ」
「用心?」
「道は、簡単な方が案内し易いだろ?」
「そうですね」
「ほら、向こうが明るくなって来た。あらゆる道は必ず出口に導いてくれる」
確かに、通路の先で半円形に切り取られた光が見えている。少し赤みがかった光は、夕方を表しているのか。
地下通路の出口は、石垣や葦で分からないように巧妙に隠されていた。
「それでも、見付かる時もあるけどな」
「見付かったら、バレるじゃないですか。」
「ははは。そのまま言いふらす馬鹿はいないな。もし、それが商人達に知られたら、何されるか分からないからな」
「それって、命を狙われるって事ですか?」
「商人が武士と対等に付き合えるのは、金の力があるからさ。金が無いと、何にも意味を成さない。奴らは、その利権を病的なまでに守ろうとする。当たり前の事さ」
「何か、空っぽですね」
「ん?」
「商人って人達は、お金が無いと何も出来無いのですか? そう考えると、寂しいなと思って……」
「なあ、お前さんだって、その刀が無かったら何も出来無いんじゃないか?」
「え? そんな事無いですよ」
「いや、そんな事あるぞ。お前さんは、剣術以外で何か自慢出来るものあるか? 道場の外の世界で金を稼ぐ手段を持ってるか?」
「それは……」
「だとしたら、商人に対して偉そうな事が言えないと思わないか?」
「……そうですね」
後ろから聞こえる宗次郎の沈んだ声に、留三は、少しいじめ過ぎたかな、と反省した。
「ほら。こっち来な」
留三は、宗次郎に努めて明るい声を掛けた。
「見な。あの船だ」
留三は、身を隠しながら顎で海の向こうを指した。
「おっと、見付からない事をお勧めするぜ」
注意されて、宗次郎は、留三の後ろに隠れながら覗き見た。
瀬戸内の海らしい凪の港と幾つかの和船、そして、西洋風の原色に彩られた大きな南蛮船。
「あの船がどうしたのですか? あれにお師匠様が乗っているのですか?」
「それについては、お前さんに話しておかないといけない事がある」
「え? 何ですか?」
留三は、ゾンビ騒ぎの直前に見た光景を宗次郎に話した。
「……この騒ぎにお師匠様が関係していると言うのですか?」
「詳しくは分からないけどな。兎に角、陣兵衛があの船に入って行ったのは間違い無い。お前さんは、何か聞いてないのか?」
宗次郎は、明らかに動揺していた。そんな事は有り得ないという気持ちと、陣兵衛が港に向かったと同時にゾンビが現れたという事実。突然の事に頭が混乱して来た。
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