第7話
動き始めたのは正午過ぎだった。
ゾンビ達に見付からないように屋根伝いに港に向かった。
今日も照り付けるような日差しが身を焦がす。しかし、日陰を求めて道に下りる訳にはいかない。
目の前を進む留三は、足も軽やかに狭い路地を跳び越える。足首の状態は良いようだ。それにしても、相変わらずしなやかな動きを見せる。下を行くゾンビ達に気付かれないように、腰を屈め静かに移動する。宗次郎は、自分も同じようにしようとすると、どうしても一歩一歩遅くなってしまう。
(やっぱり、この人は普通とは違うな)
「紀州道だ」
留三が身を伏せた横に時間を置いて辿り着く。
生駒の石で舗装された南北に続く大通りは、左右に南蛮渡来の珍品名品を所狭しと山積みに並び立てる大商店が競って軒を連ね、日の本一の賑わいを見せていた。
今では幽鬼のようにうろつくゾンビが行き交う死の通りとなっている。
「これは……」
例え、ゾンビの動きが遅いと言え、一度も襲われずに走り抜けるのは至難の業だろう。
宗次郎が目を上げると、残りの家並みの向こうに船の帆柱がちらほら頭を覗かせている。南蛮船のそれは、和船と比べてひと際目立つ。
「港に続く路地を見てみろ。港に近付くに従って、ゾンビの密度が高い。それでも行くのか?」
「何度言われても、私の気は変わりません。あのゾンビ達が束になって掛かって来ても、何としても港に辿り着きます」
自分がどうなろうと構わない。師匠の無事は見届けたい。道場の人間で生き残ったのは自分だけだ。自分しか師匠を救う者はいない。宗次郎の思いは、半ば悲痛な雰囲気を漂わせている。
留三は、渋い表情をしながら、脂でパサパサになった頭を掻いた。
「仕方ねえな。こればかりは、人に教えたく無かったんだが……。じゃあ、こっち来な」
留三は、先に立って、通りから離れ始めた。
「どこに行くのですか?」
「あっちだ」
指差した先に、少し大きな屋根のある建物が見えている。
「あっち?」
「そう。木乃屋文七の屋敷だ」
「木乃屋?」
「淡路の商人だ。この町では古株で通っている」
「どうして、その商人の屋敷まで戻るんですか?」
「若いの。商人ってのは、ケチで小心者で、抜け目が無い連中なんだよ」
「はあ……」
突然のぶっ込みに上手く返事が出来無い若者。
留三は、先を急ぎながら言う。
「いいか。商人が何を一番大切にするか分かるか?」
「……信用ですか?」
「かー。真面目だねえ」
「じゃあ、何ですか?」
立ち止まった留三が片眉を上げながら、口角を上げた。
「金だよ」
宗次郎が当たり前の答えに窮すると、留三は再び足を早めた。
「いいか、若いの。この世の中、金さえあれば何でも出来る。食いもんも棲み家も、それこそ女なんて金をチラつかせれば向こうから寄って来るんだ。身を守る用心棒に自分を保護してくれる領主も手に入る。金を持つが故に金の力を良く分かってるのが商人だ。だから、金の為なら、平気で約束を破る事だって出来る。そんなの金で揉み消せば無かった事になるんだからな」
「そうでしょうか。人と人の繋がりって、お金が全てでは無いと思いますが」
「青いな。金持ちになると、信用も信頼も紙切れと同じさ。何書かれてたって、聞く耳持たねえ奴には意味が無え」
「私は違います」
「お前さんは、そうだろうね。でもな、そういう奴は、良いようにこき使われて、最後には野垂れ死ぬだけさ」
留三は、寂し気に言った。
「良い奴程、騙されてこき使われるのさ」
宗次郎は、留三の表情の変化を感じ取った。
(この人だって、それが良いとは思っていない。でも、世の中の不条理に折り合いを付けて生きている)
「ほら、あそこだ」
木乃屋の屋敷の隣の家の屋根で留三は止まった。
まるで武家屋敷のように広い。その広い敷地には、大勢のゾンビが歩き回っている。
「そこに蔵があるだろう」
母屋の手前に、これまた大きな蔵がふたつ並んでいる。
「まるで家ですね」
「でかいな。長屋ひとつ分はあるぞ」
「あれがどうしたんですか?」
「右の蔵の窓から中に入るんだ」
「蔵に入るんですか?」
「そうだ。そこからなら港に行ける」
「蔵から港へ?」
その言葉の意味が分からないままでいると、留三はさっさと屋敷の塀に飛び移った。
「こっちだ」
足元にはゾンビが蠢いている。留三が言った蔵は、塀から手を伸ばせば届く所にある。
「あそこまで飛べるか?」
「え?」
蔵の窓が少し高い位置にある。塀と蔵の間は腕の長さくらいの幅しか無いが、蔵の窓は体半分くらい高い。飛ぶだけでは届きそうに無い。
「無理でしょう」
「俺のする事を見てるんだ」
留三は、蔵に向かって飛ぶと、勢いそのままに二、三歩駆け上がり、すんなりと蔵の窓に手を掛けた。
(まるで、猿だよ)
宗次郎は、その芸当に感嘆した。
完全に塞がっている頑丈な鉄製の窓だが、片手で体を支えながら、留三は懐から細長い棒を取り出して窓の隙間に差し込んだ。
「しっかり、鍵を掛けておかないと他人に入られたら困るからな」
特に息が上がってる訳でも無く、平然と言う間に窓が開いた。
留三は、軽やかに中に入ると、手を差し伸べて来た。
「さあ。見てただろ? 壁に飛んで手を伸ばすんだ。俺が捕まえるから」
にこやかに視線を投げ掛ける。
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