第2話
町の中心を貫く紀州道は、信長の南蛮趣味に反映され、生駒産の御影石が全面に敷き詰められている。
「南蛮の町は、家も道も城も全て石造りらしい」
切支丹からの又聞きが信長の想像を刺激した。家々は難しいが、彼は南蛮人を迎える堺を故国と同じような景色にして迎えようとしたのだろう。
八月の強い日差しが肌を刺す。日本の夏は、軽いサウナのように体の芯まで堪えて来る。
道を行き交う商人達は、背の高い外国商人を引き連れ、奇抜な服に派手な柄の扇子を振り回す。両側に並ぶ店の前には、南蛮渡来の名品珍品が山のように積まれ、賑やかに客寄せを行う丁稚達の声に趣向を補っている。
最後の穏やかで喧騒な一日の始まりだった。
午前の剣術稽古を終えた
堺に三軒ある剣術道場の中でも高い実力を認められている寺前道場で、まだ若干十七歳ながら若手筆頭と目されている。師匠の覚えも目出度く、時折師匠の代理として、道場の若手に稽古をつける事もある。
両親を早くに亡くし、父の友人であった陣兵衛に育てられた。その為、特に目をかけられ、厳しい稽古をつけられて来た。
自らの力で身を守らなければならない時代だった。
京の騒乱から始まった時代のうねりは、全国を覆っていた。陣兵衛は、この時代を生き抜く力を宗次郎に与えようとしていた。
「宗次郎さん。お帰りですか」
道場の行き付けの蕎麦屋の前だった。小さなこじんまりとした店だが、清掃が行き届いていて、居心地が良い。店主は、諏訪の地から流れて来た職人らしく、素材の味を生かした料理は、人気が高い。
仲居のお
「お小夜さん」
宗次郎は、足早にお小夜の元に駆け付けた。
「はい。お師匠様のお使いに行ってました」
お小夜は、小柄で気立ての良い娘で、道場の人気も高かった。稽古帰りにわざわざこの店に寄る者もいる程だ。殺気立つ剣術生の心を安らげる魅力があり、宗次郎も少なからず好感を寄せていた。
「この暑い中、ご苦労様です」
柔らかな笑顔で細くなる目が純真に見え、男心をくすぐる。
「いいえ、これくらいへっちゃらですよ」
宗次郎は、少し胸を張りながら答えた。余り、女性慣れしていない為、たどたどしい。
「まあ、勇ましいですね」
胸の前で軽く両手を合わせる。その仕草もまた愛らしく、微笑ましい。
「そういえば、お師匠様もお出掛けになられてましたね」
「はい。古い友人に会うとかで、港の方に向かわれました。夕方には、戻られるそうです」
「港に?」
「そうです。シャムに知り合いがおられるので、その関係の相手だと言ってました」
「まあ、シャムですか。それは、遠いですね。お師匠様は、シャムに行かれた事があるのですか?」
まるで、シャムが日帰りで行けそうな会話をする。それ程、堺の人々にとって、海の向こうは身近な存在だった。大陸や南方の国々と往復する商人は珍しくなかった。遠く印度帰りの商人もいると言う。
「いやあ、それは聞いた事がありませんが……」
宗次郎は、楽し気に笑った。お小夜と話しているだけでも心が浮き立つ。
「私もいつか行ってみたいです」
「え? シャムにですか?」
「ええ」
お小夜が強く頷いて、宗次郎は驚いた。幾ら国際的な環境でも、女性が気安く国を出れる状況でも無い。堺という特殊な環境がこの町に住む女性に刺激を与える事はあっても、男の頭の中は、所詮、女は家を守るものだという観念が支配している。
「海を越えるのは大変ですよ」
「その時は、宗次郎さんも一緒について来て下さい。心強いですわ」
本気で言ってるのか、宗次郎は少しどぎまぎした。
「分かりました。いつか私がお小夜さんをシャムにお連れしましょう」
単純な格好付けだとは分かっていた。お小夜も宗次郎の言葉を聞いて、楽し気に笑った。
「約束ですよ」
「はい。約束です」
それだけの会話だったが、実現困難なおふざけのような約束でも、お小夜と特別な繋がりが出来たようで、宗次郎にとっては幸せを感じて満足だった。
「そういえば……」
その時、お小夜は、急に不安な表情を作った。
「噂は聞かれました?」
周りを気にするように、お小夜は声を潜めた。
「噂? 何ですか?」
「私も、お客様に聞いたので、本当か分からないのですが……。夕べ、港についた南蛮船が、どうも雰囲気がおかしいと……」
「雰囲気が? どのようにおかしいのですか?」
「それが、まるで無人船のようにひっそりとして、不気味な感じだという話なのです」
まるで、真夏の怪談話だ。
「それは、長旅で船員が疲れて、みんな寝ていたんじゃないですか?」
異国の異質な文化だ。変な習慣に大袈裟に反応する事はよくある。
「そうかもしれません。ですが、初めて聞いた話でしたので……。お師匠様に悪い事が起きなければ良いのですが……」
「考え過ぎですよ。それに、悪い奴らがいたとしても、あのお師匠様にかかったら、誰も敵いませんよ」
「そうですね。私は、ほんとに心配性だってみんなに言われるんです。宗次郎さんにそう言われて、少しほっとしました」
ふたりは、お互い見合わせて笑い合った。
澄んだ目が宗次郎の視線と重なる。宗次郎は、殊更大袈裟に笑顔を作った。
その時、港の方から只ならぬ喚声が聞こえて来るのに気付いた。
宗次郎は、その場に固まり、声に注意した。似たような感じは今までに何回も経験した事がある。
戦を逃れて逃げて行く人々は、脇目も振らずに心の底から恐怖の叫びを上げる。その声は、聞いた人にも恐怖をばら撒き伝染させる。
「何でしょうか?」
何か恐ろしい事が起きている。声が震え、小さな体が更に萎縮する。
声は数を増し、次第に近付いている。
道行く人々も同じく足を止めて港に目を向けている。勘の良い人間は、早くも港とは逆の方に急いでいる。
明らかに様子がおかしい。
「やっぱり、南蛮船でしょうか?」
今の段階では、答えようが無い。
「お小夜さん。どこかに隠れていた方が良い」
「宗次郎さんも逃げた方が良いんじゃありませんか?」
「私は、お師匠様が無事か見に行って来ます。それまでは、二階の部屋にいた方が良いでしょう」
下手に外を走って逃げるよりも閉じこもっている方が安全だと思った。
「危険ではありませんか?」
「いざとなれば、この剣が身を守ってくれます」
「分かりました。でも、無理をしないで下さい。お待ちしております」
「はい。必ず迎えに戻ります」
不安な表情で強く頷くお小夜。
宗次郎は、お小夜に笑顔を見せると、逃げ出す人々の波を掻き分け、港の方へ走り出した。
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